ガキィの趣味
俺にとって困難なこととは、人と接することだった。引きこもりにもなるだけの十分な理由。人と会いたくないのだ。そのくせ、自分と同じ仲間は探している。
人と上手に意志疎通ができない。冗談が分からない。嘘が付けない。痛みを共有できない。
その欠点のために、高機能社会不適合者なのであるが、これはこの社会には合わないということであって、別になにかが悪いという意味ではない。
俺のような人間はテストで振り分けられるのだが、そもそもそのテスト自体が間違っている可能性が高い。今まで人間の文化や価値観や技術を作ってきた人間の多くは、俺のように人と、うまく接することができない人が多かったのは事実だ。
その人達を排除してみろ。後には何が残ると言うのだ。
一般的に正常だと思われていた人たちが大多数を占めるのがこの日本だったのだが、その社会は終わりを迎え、新たな秩序と価値観が生まれることになったのだ。
そりゃあ、普通だった人には生きづらいよね。いままで障害者と笑っていた側が生きるのに障害を持つようになったのだ。
それを新たな仲間に伝えなくてはならないのだが、意志疎通に問題がある俺だ。うまく伝えられない。そもそも人という存在が苦手であり、公共の場でギャーギャーとバカみたいに騒ぐ子供をみると、それを放置する親を殴って顎から刃物を脳天まで貫通させたくなるのだが、それも我慢しなくちゃいけなかった。
わかるわかる。みんな言いたいはずだ。そんな人に子供をまかせていいのかと。
実は俺、子供には人気があるのだった。
おそらく、本質的に子供のままのような、残酷な行為になにも感じていない(命の輝きのような物は感じるが)の幼稚な精神を嗅ぎとられているのだ。その上で、大人になるまでに培った能力があるために好かれるのだと思った。
俺はとくに人によって態度は変えない。そこまで高度なコミュニケーションはとれない。とる必要がない。生きるのに必要なコストだけをはらって生きていたい。
大統領も倒したいし、米軍基地に行って武器の強奪もしたい。
サイドワインダーミサイルの分解をして構造を知りたいし、人間をばらして魂と心の所在を知りたいのだ。
もちろん魂と心などというものは存在しない、文系の人たちが作り上げたまやかしであるのだが(文系の人ごめんな!これは愛のある批判だから!)できるならば、文系にも生き残って欲しい。
そういう面ではこのガキィは、文系らしかった。本を読むらしい。
適当に文庫本を与えると、文字ばっかりでや!と突き返してきた。よむといいのに。それは敬愛してやまない作家先生の本だというのに。ああ。
ま、こんな感じである。しばらくは体力を回復させるために様子見となる。