暴力に屈するものか
世間体というのを気にするのはやめた。
しかし一方で、仲間には頼りにされたいという欲もあった。
俺に残っている人間の部分。ある意味恥部のような尖った感情の起伏に押し流されるようにして県道へと向かった。
茨城には録な電車がない。最近空港もできたが、それはもう、ままごとのような空港で弁が悪く、飛行機に乗るために数十分車の中で時間を潰すような辺鄙な環境にあった。
故に、感染者の増え方は東京や神奈川に比べてずっとゆっくりだったし、まだこの時は道を歩いて避難してくる人がいた。
この時俺は、車の放置された道の真ん中を歩いて、重そうな荷物をもって歩く避難民に遭遇した。
歩いて避難するとき大荷物をもって歩くのは素人だ。それが何を意味するかは実際に長距離を歩いたことのある人にしか分からない。
俺は学生時代、100キロを歩いたことがあったため、彼の間違いを直ぐに察知することができた。
バックパックパンパンに入った物資は、そのまま肩と腰のパッドで受けることになる。最初の1時間は良いが、2時間3時間と背負っているうちに、パッドは食い込み、むごい激痛を生むようになる。
さらに、足はもっと深刻である。彼はなんと革靴を履いていた。
あれではすぐに足が蒸れて皮が剥がれ、豆だらけになるだろう。
一目見て分かる素人だった。
彼に声をかけたのは、すぐに物を捨てそうだったからだ。
「大丈夫ですか?」
「に、荷物持ってくれ!!」
そう言うとドカドカ置いて自分はさっさと身軽になって歩いていった。
その様子に面食らって呆然としていると、つかつかとやって来て、「金か? 金がほしいのか」と俺の胸ポケットに1万円札を捩じ込んだ。
人間は酷く脆い皮の内側に、あり得ないほど醜悪な本能を持っている。
誰もが身の内にもっているそれは、肉体、精神的に追い込まれたとき簡単に顔を出す。
特に追い込まれた人間は簡単に非常なる決断をするようになるものであった。
(挨拶も無しに荷物運搬を頼むなんておかしいかもしれない)
そう思う瞬間が普通はあって良いはずだ。
しょうがないのでザックを担ぐと行きなり殴られた。
頭を殴られたため、チカチカした視界で回りを見る。
「早く運べよぉ!!」
言葉にならなかった。なんだろうかこの人は。今まで、暴力で人に言うことを聞かせてきたような雰囲気だった。
が、しかし、俺は特殊な性格をしている。まさに暴力による弾圧に耐えてきた生き残り、その程度の暴力で屈するはずもなく、彼を黙って見据えた。
俺の目は生まれつき切れ長で、普通にしているのに前を見たときに睨んでいるような格好になる。3白眼というやつであった。
相手はそれが気にくわない。暴力が足りないと考えたらしく、脇道の畑に入ってトンネルの支柱を持ってきた。
振りかぶってそれをこん棒がわりに使うつもりらしい。
腰が入っていない一撃をザックを盾にして受けつつ、自分の取るべき行動について考えた。
おそらく、眼球への攻撃が良いだろう。相手は戦いになれておらず、攻撃は大振りで何かしらを喚きながら攻撃を繰り返すばかり、自分がカウンターをもらうなど考えてもいない所作だった。
俺が身を屈めると、痛みに耐えかねたと思ったのか距離をつめてきた。
素人が。
右手を熊の手のような形にして指先に力を入れ前に付き出すと、指先にニュルリとした感触があった。
眼球を潰された男はあまりの痛みに尻餅を付いて地面の上を転がる。
そこに何度も蹴りを入れた。
何度か繰り返しているうちに動かなくなって。じんわりとした痛みのなかに感じるはずの罪悪感を感じられずに、むしろ、世界からゴミ虫が一匹減らすことのできた自分を褒め称えるファンファーレを聞いたような気がした。