目を覚まそう
俺達に価値がないわけない。
大丈夫。まだ間に合う。今生きているということは、今までずっと勝ち続けてきたということだ。いったい何に?
生存競争というこの戦いに。
弱い人間は既に自然が淘汰した。
特に、一人では何も出来ない連中が、手足を引っ張りあって死んでいった様は滑稽だった。愉快だった。腹がスッとする思いだった。
長年連れ添ったカップルが、彼女の足を折ってまで助かろうとする様などはまさにそれで、つまるところ、生きるには重荷になるものを下ろさねばならない。これは、運動の法則でもある。前に進むには、質量を後ろにおいていかなくちゃいけない。
我々は勝ち続けている。暗い部屋のなかで、田舎で、どうでもいいと思われながら。今生きていること、それがなぜなのか考えればすぐに答えは分かる。
この世界は残酷で、弱いものは生きてはいけない。弱いやつは社会という枠組みの中で強いやつに守られていたからこそ、生きることを許された。
飯を食うことが出来た。暖かい家の中で眠ることが出来た。安全な水をのむことが出来た。退屈な日常に飽きることが出来た。
それは特権である。時にそれは平和と呼ばれるそれは、なぜか無償で貰えると思っているやつらがいる!!
この世界はそういう風に出来ていない。俺が言っているのは、この世界の話だ。目を覚ませ。社会は世界ではない。
今朝、我が家に泥棒が入った。子供ずれでお腹が減っていたから盗みを働いたという。助けてくれと、凄まれた!俺達はどうするべきだったか!
弱いやつに渡す米はねぇんだよ。
誰かに助けられ、子供をだしにすれば助けられるという魂胆が見え透いている!!
これらは全く屑のやり方である。彼らが盗もうとしたのは俺達の食料である!許すべきなのか!
いつまでも奪われるがわじゃねぇんだよ。俺達が大変な思いをしていた時、お前らは笑って暮らしてきた。学校で、会社で、社会で、世界で、笑って生きてきた。
もう終わりなんだよ。もう、奪う側じゃない。
彼らは金を提示してきた。その紙屑になんの意味があるというのか。それは、かつてあった社会の遺産。もう、ほとんど意味がない。
今こそ、立ち上がるべきではないか!
戦う意思のあるやつ、まだ戦えるやつは俺に続け!
弱いやつに容赦している場合じゃない。自分達の生活を見直すべき時が来たんだ。




