時には後ろに向かって
人は追い込まれたときに本性が出てくるという。それは、普段の態度からは想像もつかないほど劣悪で、汚ならしい、悪魔のような存在だという。
俺の場合は、元来の浅ましさが出た。
県道16号に向かう道で大きなトラックを見つけた。ガルウィング式、つまり、翼を広げるように荷台を開けるタイプの大型トラックだ。ケツに書かれた積載可能重量は25000kgであった。俺の浅ましさが出た。
運転席を覗き込むと、人工皮革張りの綺麗な椅子の上にちゃんと鍵が置いてあって、持ち主の連絡先が書かれた名刺と一緒に置かれていた。裏側には『こいつをブツけたら許さん!』とのメッセージつき。実に好い人だ。この運転手は、災害時に車を離れるときには鍵を残しておくことを知っていた。そして、キーを差し込むと、エンジンは肩を回すように大きくいなないてその巨大な排気量に車体を震わせた。真っ黒な排煙が咳みたいに飛び出て、息を吹き返す。
俺には心残りがあった。米である。今年収穫した5トンあまりと、来年の種籾、その他古米、保存食等の物資が倉庫にそのまま残して飛び出てきてしまっていた。
普通、時間がない時に家に帰ってはいけない。津波が押し寄せているときに、大事なものがあるからといって家に帰ってはいけない。例えそれが親であろうと、捨て置くしかない。そうしなければ助けに帰った自分すらも一緒に死ぬことになる。母親はそんなことは望んでいないだろう。自分の死を悟ってお経でも口ずさんでいるかもしれない。ああ、愛しい我が子よどうか母のために命を落とさないでくれ。
うるせぇバカ!俺は帰るんだよ!今日の糧より明日の種籾なんじゃ!!!おりゃぁ!!!!
というわけで踏み込んだアクセルペダル。唸るエンジン。燃料は半分しかない。
二人にここで待つように伝えて家に帰ってみると何か聞こえるな。なんだろうな。怖いな。
「ンナァーーーーン!ウナァーーーン!」
という叫び声が家から聞こえる。
玄関窓のすりガラスの向こうに、白とグレーの斑模様が見えた。右に左にと体を擦り付けている。玄関が開けられないのだ。
「ギンさん!!!」
我が家の猫であった。自分のことを人間だと思い込んでいるらしいその愛猫を、俺はあろうことか、家に忘れていたのであった。
やっぱり帰って良かったじゃん。人生、時には後ろに向かって進むのも大事だ。先に進んで同じ失敗を繰り返すよりも、自分の行動を思い出して対策を立てた方がいいに決まっている。自分の命が賭けのテーブルに乗ってるときには特にだ。
結局、二時間かかって食料と水を積めるだけ積んで、ギンさんを助手席に乗せたとき、見慣れた軽トラックが家の角を曲がってきた。
まさか奪われたのか?二人に待つように言ったのが不味かったか。
不思議なことに運転席に人影がなかった。そればかりか、酒を飲みベロベロになった運転みたいに右に左にとよれた車はついにエンストして止まる。
開け放たれた運転席からは涙をボロボロと夕立みたいに落として、上着を涙でぐっしょり濡らしたガキィちゃんが、転がるようにして降りてきた。小さすぎて前からその姿が見えなかったのだ。そして無言で駆け寄ってきて、背中に噛みつくようにしてガシッ!っとしがみついてくる。
「おいでぐなぁ!!!!!おいでぐな!!!」
「なんだ置いてかれたと思ったのか。戻ってくるって言ったじゃいか」
俺は苦笑いで頭をポンポンとして、「俺が嘘ついたことあった?」と有名な台詞を言う。
「……ない」何故ならば俺は嘘がド下手であったから、殆どその嘘というものをついたことがなかった。そういう男だった。
「うー……なんかちょうだい!」
「なんかって何。げんきんだな」
「魔法のステッキがいい!」
そういったものを持っていない。買った覚えもない。何のことかと思ったら、先程ちょうだいしてきたトラックのシフトレバーのことだった。
小さいお手ての指差す先には、ダイヤモンドの塊みたいな持ち手があった。当然、ダイヤじゃなくて樹脂の塊なのだが、なんなら、間に気泡が入っていて、泡が点々と残っているような代物なのだが、これがいいという。仕方なくスパナで持ち手を緩めて、ダイヤにレバーの代わりに竹竿を刺すと喜んで握り、走り回った。
「接着剤が乾くまで待ちなさい」
「わー!!!!」
まったく、子供はテンションがコロコロ変わるな。出発まで結局二時間半もかかってしまった。
でもこれで良かったのかもな。なぜなら俺達はパニックになった人々の往来を避け、大通りを快速で走れたのだった。それは緊急車両のために確保された道だったようだ。肝心の緊急車両は事故って路肩に乗り上げ丸焦げになったのしか見ていない。




