脱出
自衛隊のレンジャー伊藤さんが我が家を訪問したのは、事の発生から25分後だった。
それだけ早く知らせていただけたのは、正に伊藤さんの人格がなせる技だと言えたし、貴重なガソリンを使ってバイクにて駆けつけてくれたからでもあった。
伊藤さんは部隊でも優秀な隊員で、さらには、必ず作戦を完遂して帰還する事においては右に出るものが無く、ある程度の裁量が認められているらしい、というのが感想だった。
しかし、今、そんなことを考えている場合ではないのである。
我が家は利根川流域の地域にあった。今、感染者がまるで示し合わせたように集団で遡上を始めた。
なんで? 鮭みたいに産卵するつもりか?
今そんなことを考えている場合じゃない。
生きることを考えないといけない。
生き残るコツは常に行動し続けることだとブラピの映画から学んだ。さらに、我が愛しの母校では、『行動』とは、自らが考えて率先し動くことであるとの叩き込まれた。俺はまず、この拠点からの退去を決めたのだった。判断にかかった時間はおよそ2秒ほどだ。悪くないタイムだ。早く行動しないと、パニックになる。今、どれだけ生き残りがいるのか分からない。自分が生き残るには彼らよりも先に行動しなければならない。椅子が全員分あるなんて誰も言っていない。この世界はいつだって残酷で、上手く生きられるのは一定数の人間しかいない。奪う側と奪われる側。俺はどっちになりたいのか。
―奪う側だ。
ここからは1分一秒が血の一滴となる。
だんごむし君とガキィちゃんに必要な物だけもつように伝えて自分の必需品を取りに向かう。
必需品はいつでも持ち出せるように窓際に置いてあった。
俺にとって長距離を移動するときに必要なのは、水、乾いた靴下、ポンチョ、懐中電灯である。食料はどうせ60キロ以上歩くと食欲が失せてしまうので待っていかない。食べ物の匂いがきつくて気持ち悪くなってしまうのだ。100キロ程度ならば食べないでも歩いていけるし、それよりも怖いのは足が使えなくなることだった。
実際、持ち物が重すぎたために、捨てなければならなかった事例は多く、家財道具の持ち出しなどもっての他である。もし自分が略奪者ならそういう連中を狙う。とにかく、軽く目立たないように移動しなければならない。
「ちょっと!農家さん逃げるなら説明がほしいっすよ!」
「分からないのか?俺達は今生きるか死ぬかの瀬戸際にあって、生き残らなければならない」
良く言うだろう。命捨てますか。それとも他のもの捨てますかって。
伊藤さんが言うには、あと数ヶ所回るとのこと。それってつまり、俺達のような集団が複数あるということであった。
ガキィちゃんがギャンギャンと泣いている。突然ガラリと変わった空気に怯えているのだろう。理解できないのかもしれない。特別に取っておいた個包装の羊羹を投げて自分の用意を進める。
ガキィちゃんは泣きながら食べることにしたらしかった。
俺が迷ったのは、履いていく靴の種類だ。サバゲー用のジャングルブーツ、登山用のキャラバンゴアテックス、履き古しのホカシューズ、ランニングシューズ。迷って履き古しのホカシューズに足を突っ込んで車庫に向かった。
車での移動は本来推奨されていない。道路を車で埋め尽くすことは緊急車両の道を塞ぐだけでなく、大渋滞をおこして皆の迷惑になるからだ。
今回は生き残りはそんなにいないだろうから、車で行くことにする。行けるところまで行って、捨てる。そしたら自転車に乗る。それも壊れたら最後は足だ。
俺の場合は足に自信があった。
農家で歩くし、土の上を歩く経験も多い。なぜならここは茨城で殆どが畑と田んぼのような場所であるのだった。
逃げるとすればどこだろう。
エンジンをかけ、家の前に寄せて二人を待ちながら落ち着いて考えた。
自衛隊に行こう。少なくともまだ動いている組織はそこしかなかった。




