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天上のイヌワシ

 百里基地所属のUH-60Jが、その曇天模様の機体を滑らせるようにして関東の空を飛んでいた。


 貴重な航空燃料を消費してまで偵察に飛んだのは、ある兆候があったからだった。

 空に、大量のカラスが竜巻のように渦を巻いて飛んでいた。カラスは死体を食べる。そのため、沢山の死体が集まっていることが予測されたため、偵察が行われたのだった。


 偵察に使用されたのはUH-60Jという多用途ヘリコプターで、強力なターボシャフトエンジンと四枚の回転翼をもっていた。飛行機ではなくヘリコプターが選ばれた理由には、高機動性に基づいた、様々な地形への着陸性能と、元々救助用として採用された事に由来する、捜索用の各種センサーやライト、カメラなどの資機材を有していたためである。隊員からの愛称はロクマルであった。

 開け放たれたスライドドアからは容赦なく外気が流れ込む。身をのりだし、地上に目を走らせる隊員には、さながらそれは、滝に打たれるような強烈な物となった。


 偵察に飛んだのは、特段、大きな建物もない、関東特有の平坦な地面の場所だ。茨城県河内町。空から見ると、利根川流域の豊富な水を利用した畑、田んぼ群であり、回りからはぽっかりと抜け落ちたような土色の地域だ。茨城県は、魅力のない県として百里でも有名であるが、この日本における重要な食べ物の供給を担っている。なくてはならない場所なのだ。ここはそういうところだ。


「高度を落とす!撮影しろ!指揮所に繋ぐ!」


 利根川の水面に、何かゴミのような物が浮いていた。カメラで確認すると、それらは人の形をしていて、画面向かって右側、上流に向かって歩いていた。感染者だ。その群れは10人ほどの集団であり、まだ、大丈夫かと息をつく。


「何やってんだ?」

 おかしいことには、白い軽トラックが、その利根川の土手をかなりの速度で上流側に走っていくのが見えた。

 感染者の歩くスピードを見るに、十分逃げきれそうに見えたが、その慌てようが、ロクマルに乗っていた隊員達に冷や水をかける。それでも基地には報告しなければならない。


 無線のスイッチをいれ、すぐに報告を始めた。

「現在、利根川流域を飛行中!逃げ遅れた民間人がいます……ああ、なんてことだ。なんてこと」


 ロクマルは上流側から下流に向かって飛行している。そうするにしたがって、川にいる感染者の量が目に見えて増えていった。


「嘘だろぉ……」


 眼下にはついに、堤防を越え、畑へと流れ込む感染者の姿があった。人を踏み台にし、さらにその上によじ登って、生きている人間の居住区へ入り込もうとしているのだ。


「なんだこれ。なんだこれ。あ!バカ!なんでそっちに行くんだ!」


 グレーの軽バンが、スピードをあげて感染者の方に向かって加速していく。

 バカな。逃げる方向が違う!そっちじゃない!!

 隊員は無線が指揮所に繋がっていることも忘れて精一杯叫んでいた。

 叫んでも声は届かない。ここは空の上だ。ヘリコプターのエンジン音しか下には届かない。


 あの軽バンは何に向かって走っていたのか。それはすぐに分かった。


「なんてことだ。終りだ」


 真っ赤な塊が、蟻の群れのように蠢いていた。視界いっぱい。それらが、闊歩するごとに、端から端まで全ての田畑が飲み込まれていく。堅牢に作った電気柵が、シワのないようにピンと張られたビニールハウスが、押し倒され踏まれてダメになっていく。そこにあった農作物はどうなっただろうか。想像するにそれらは、来年の生き残りを支える物資だった。この冬を越すための備えであった。あるいは、新たな命を繋ぐための糧であった。


 それらが、明らかに目減りしていく。

 賽の目のように切られた農道をまっすぐ走った軽バンはブレーキひとつ踏まずに感染者の集団に突っ込んだ。


 鈍い爆発と、火の玉が見えた。

 恐らくは車に乗せた燃料ごと突っ込んで、この群を退かせようとしているのだ。空から見るその光景は、何と、何と……。


 あまりにも小さかった。巨人の腕は針を刺しても止まらぬように、それはまったく、意味をなしていないように思えた。


「これから救助に入ります。その許可を下さい!」


 ロクマルには救助用のウィンチがあった。それで救助しようというのだ。





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