あの日
1月21日 茨城県
世の中について考えてみた。
この世の中には、代わらない日常に飽き飽きして、世界の終焉を望む数奇な人間というのがいる。それが俺。
特に最高なのがゾンビものである。人から人に感染して、男も女も、学歴も職業も関係なく皆平等に腐り、死んでいくあの様なんてもう!言うこと無いっすから!これこそ本当の平等ってやつ。
ロメロのゾンビなんていうのは、まさにその金字塔、草分け的存在で、死人が生き返るというあの恐ろしさと、食べられる恐怖感は今見ても最高の部類である。
だが、それは想像の中であるから幸せなのであって、まさかそれが本当におこるなんて思ってもみなかった。高校生が退屈な授業中に頭の中でやる妄想みたいなものだ。
その日は何でもない一日だった。
見るでもなく、何となくつけたテレビ画面で見慣れたレポーターがマイクを握っている。
インターネットを使う世代は、テレビが都合のいいことしか放送しないと知っているので、極力見ない。今日のそれも習慣としてつけているだけだった。この市でテレビを見るのは老人くらいだ。
俺の住む茨城は、本当に娯楽が何もない、絵に書いたような田舎だった。それはつまり、若者の都市部への流出と、残った人の高齢化がすすむ環境を意味しており、多かれ少なかれ昔の風習にしがみついた方々が、順番守ってあの世にいくだろうなというような感じだった。まだここでは部落と言う言葉が使われているといえば伝わるだろうか。差別の撤廃という日本の大筋から逃れた片田舎で、年老いた住民たちは自分がどの部落出身かというのを声を大にして言っている。まるで、勲章でもひけらかすみたいに騒ぎ立てて、みんなで足を引っ張りあって、誰かが抜きん出てしまうのをみんなで防いでいる。まあ、そんな場所なのだ。
今日に限って、自衛隊のチヌークがかなりの低空飛行をしているらしく、部屋の引き戸のガラスがカタカタと音をならして揺れていた。
自衛隊さん、随分と仕事熱心だ。
しかし、それも三機、四機とつらなって飛行となると話が違ってくる。通常、この機体は多くとも二機編隊で飛ぶのが普通なのである。あのヘリコプターの羽は特注で一本一千万円するという。それを六枚もつけているから、その機体の高級さは折り紙つきだ。だからそんなに多く飛ばすなんてな。燃料代だけでもバカにはならんだろうに。
不思議に思ってテレビをみると、どの番組も見慣れないテロップを写していた。
「……ん?」
ヘルメットを被った女性アナウンサーは、まるで発作でも起こしたように震えながら原稿を読んでいた。
『ここは、目吹大橋です!!ご覧ください!沢山の車が渋滞にはまって動けなくなっています!』
良く見た光景だった。橋はいつも通り、白い塗料が錆びに浮いて今にも剥がれ落ちそうになっている。執拗に打ち込まれたボルトが軋みをあげてなんとか支えているとても古い橋だ。この橋は、一級河川利根川にかかる生活の要衝。その橋がいつもと違う様子だった。止まった車の扉が開いている。まるでそれは、津波から逃げるために車を路上に捨てたような感じだった。人がほとんどのっていない。この通勤ラッシュ時に。
リモコンで番組を変更するが、どこの局もほとんど変わらず内容は同じだった。
その時。
寒さに震えるニュースキャスターの後ろに、青白い腕の無い人間が体を起こした。それに気がついたカメラマンが避けるようにカメラを振ると血色の悪い人間が、抱き寄せるようにして救急隊員に噛みついていた。
「……」
おいおい。これ、映画だよな、こんな真っ昼間から止めてくれよ。日本のゾンビ映画はリアリティーが低くてしょうがない。まったく。もう少し、もう少しだな、金の使う先をアイドルの起用じゃなくて、グロテスクな身体破壊描写に割けないものなのか。
あれ、なんか。今見ているのもリアルだぞ。
直ぐにSNSを開いて、「感染者」と検索すると滝のように情報が得られた。とても信じられないことだが、明らかに下半身を失った人間が、手を伸ばして這いずっている動画があった。
妄想が現実になっていた。
テレビでは既に映像が切られていたが、音声は繋がったまま、リポーターの断末魔の金切り声がスタジオに響いていた。
いつのまにか音のなくなった世界でニュースキャスターがポツンと立っている。その額に浮かんだ脂汗をぬぐうこともせず呆然とする様を見て、こちらも只事ではないと認識する。溶接ヒュームのような乾いた鉄の匂いがするような気がした。
遠くを見るように窓ガラスを見ると、家の真ん前の道を、栃木から来ている野球団のマイクロバスが通過していった。毎週末バカデカイ声で騒ぎ立てる連中だ。そのバスは、まるで満員電車のように人で溢れかえっていた。大きな窓ガラスにはち切れんばかりに人を乗せて、そのガラスが一瞬赤く染まる。まるで、生き物の心臓が脈動するかのようにドクリドクリと血が、フライドドアから漏れていた。クラクション。ひび割れる窓。生きたいと叫ぶ声。殺せと唸る断末魔。あ、あ、死んでいく。
人間の血で空回ったタイヤは簡単に摩擦を失って激しく横転した。
助けにはいかない。今テレビで見た通りだ。せめて救急車をとも思ったが、電話は通じなかった。
避難するか?しない。だって避難何てしたら、沢山の人が押し寄せてパニックになって集団で感染するんだろう?映画で散々見た。28週後のあのシーンは心踊った。バカだなぁ。俺はいかねぇよ、あんなとこ。今ごろ東京に出たやつらは皆感染したろうなぁ。
作業用のつなぎを着て、テレビはつけたまま音量を大きくする。手頃な武器としてアイロンを手に取ったが、今後スーツを着る可能性を考慮して武器にするのはやめた。代わりにまな板とナイフを武器にする。我が家では包丁の代わりにナイフを使って調理をするので、台所のしたにはいつもナイフがぶら下がっていた。
「……始まってしまった。」
ナイフのガラス繊維強化プラスチック製ハンドルがつるつる滑るほど手汗をかいていた。
我が家はたった一人、プラス、同居人だけの寂しい家だった。住んでいる地域では、そのほとんどが農家として生計を立てている。ゆえに、孤独。孤立とも言う。
多種多様な野菜が主な収入源となっており、学校や市役所の勤務者を除けば、ほぼ全員が同じ仕事をしている。燃料費の高騰、化学肥料の品薄、高齢化。移住者もいないまま、まるで取り残され、忘れられたかのような場所。
我が家の特徴は、お金持ちではないことだった。残念ながらシェルターを持つほどお金がない。故に、関東特有の空っ風を避ける1メーター50センチほどの塀と、砂利道だけが我が家の見た目である。少し前までは生け垣がぐるりと家を囲んでいたが、手入れが大変なためバッサリとやった。要するに、よくある田舎の家。
大事なのは食料がどれくらいありますか?ということだった。水は飲まなければ三日で死に、食料は食べなければ7日で死ぬ。その上、空腹時のひもじさは心に大きな爪痕を残すだろう。すぐに在庫を確認しなければならなかった。
確認できたのは、カップラーメンの箱が一箱と、米と、今年植える予定の種芋と、賞味期限切れのレトルトがいくつかだけだった。
そりゃそうだよな。準備しているわけないじゃん。
さらに飲料は、ペットボトルが数本あるだけで、他は砂糖がたっぷりと入った、喉が渇きそうな清涼飲料水だった。幸いにもまだ水道が使えるので、極力、空のペットボトルは水道水で満たすことにした。我が家はずっと昔から井戸があるが、カンピロなにがしだか、ピロリだかの菌がいるせいで飲むと病気になる可能性が指摘されている。今後飲み水が枯渇した場合は、利根川まで行くのも手であるが、あの一級河川ちゃんは住宅から出た排水も含んでいる懸念があるので飲みたくなかった。
しかし、まあ、先のことで頭を悩ませても仕方あるまい。
念のため家の横にある畑に行き、何が残っていたか確認すると、ちょっとばかりの青菜が見える。我が家は農家である。野菜を買うことはあまりない。だが、残念なことに俺は野菜が嫌いだった。特にトマトなど食べると吐き気がする。あの、噛んだときのぷちゅりと潰れる食感が虫を生で食べたときの感じに似ていて嫌なのだ。
ちょうどお昼のチャイムが鳴る頃だった。小学校のいやにくぐもったチャイムがぶわぶわと聞こえる。
家の前の道には、おとなりさんのじじとばばが情報収集のために歩いてどっか行くところだった。これで本当に感染が始まっているのか?というような風景である。恐らく、事故を起こしたバスを見に行くのだろう。
終わってる。あの年よりは、テレビやラジオの情報よりもこのコミュミティー内での情報交換を大事にしているのだ。陰口を言い合って、誰かが抜け出さないように足を引っ張りあっている人々だ。となりの人が離婚したとか、仕事を辞めたというのがビッグニュースで彼らの娯楽なのだ。田舎になんか憧れを抱いちゃいけない。これが現実だ。
その現実を引き裂くように、短い悲鳴が聞こえた。
俺の背中を冷や汗がつたう。なんだあれ。
となりのババアが血だらけの腕を押さえて家に逃げ帰っていく。
年老いた体で何度も転倒しそうになりながら、近年まれに見るスピードで玄関扉を閉じた。
錠の落ちる音が響く。
人の悲鳴が聞こえた。今度は男の悲鳴だった。
西の空、天高く真っ黒な煙が上がって影を作っている。それが俺には、反撃の狼煙のように見えていた。
それはなぜか。
日常が壊れている。
ここで余談だが、ゾンビものの映画やゲームではある一貫した目標のために主人公は行動する。
それすなわち、楽園への逃亡。
食料があって、水があって、ゾンビの来ない壁のある建物を目指して彼らは長い長い旅に出るのだ。
このゴールの条件に良く似た物件を知っている。じゃあそこに行くのか? 行かない。行く必要がないのだ。
それがつまり我が家だった。食料?作れるよ。だって農家だもん。野菜を育てるための大量の水?家にはほぼ無限に水を汲み上げられる井戸がある。
俺は今、生存競争というレースに、よーいどん!で皆と同じくスタートしたが、政治家も、警察も、学校の先生も、学生も、ニートも、医者も、ありとあらゆる人々がいる中で、自分だけゴールの線の上でスタートを切っていた。
そう。あがく必要はない。
ずるいなんて言わさない。日本では親のコネで子供の人生が変わってきただろう。それはつまり、生まれた瞬間から平等ではなかった。言うなれば、同じことだ。そして今から本当の人生がスタートすると言ってもいい!!
ニヤリと笑ってしまう顔を手でなんとか隠して、今日のうちは行動を控えようと心に誓う。
町はパニックだろうから。くくく。いいぞぉ。楽しくなってきた。