第1節【意識の底】
……くらい。
昏い……意識の底は、まるで水のなかのようだ。
私の意識は、まるで夢のなかにいるようだ。
――昏い。底なしに昏い意識の底で、私はいつだって一筋の光を見ている。
優しい声が、私の名前を呼んでいるんだ。
目の前には、男の人が立っている。だけど、顔だけが良く見えないでいる。
どうしてだろうか。何故だか、懐かしい匂いがした。どうしてなんだろう。私の心は、不思議と温かくなっている。だけど、どうしてだろう――顔が解らないんだ。
――貴方は、誰なの?
誰も問いかけには、応えてくれないのは解っている。だけど、彼が気になって仕方がない。記憶の奥そこにこびりついた何かが、私にそうさせているのだろうか。私の感情は、彼の存在で大きく加速していく。
何も、思い出せなかった。
自分の名前が、ラサだということ。
自分が悪魔だということ。
それぐらいしか、解らなかった。
だからなのか――どうしてなのか、彼が気になった。
彼を見ていると、温かな気持ちになれた。だけど、どうしようもない〝痛み〟に駆られることもある。それでも私は、記憶の意識の狭間で、彼を見続けていた。
彼の声を、ずっと聴いていたかった。
私のことを、見ていて欲しかった。
彼に触れてみたい。
――逢いたい。
そう、逢いたいのだ。そうすれば、私が誰なのかを思い出せるかもしれない。記憶の底のそこの奥に眠る何かが、何なのかが理解るかもしれない。どうしうようもなく私の心は、彼に魅せられている。
どうしてだろう。
本当にどうして私は、普通の女の子ような感情を抱いているんだろう。私は悪魔なのに、どうしてこんなにも彼に縛られているんだろう。
縛られているといえば、私の宿主のリラだ。
彼女もまた、私や聖女の定めに縛られている。
この場所で、私はリラのことも良く見ていた。そうすることしか出来ないでいたから、という理由だけではなかったのだが――私のなかで、リラが気に掛かっている部分が在ったんだ。
それをはっきりと、言葉にするのは難しいんだけど――リラのことは、嫌いだったが――聖女の定めに苦しむ彼女が気になった。
私は人を、笑顔にしたいんだ。
幸せにしてあげたい。
悪魔のくせに綺麗ごとを吐いてるけど、それが私の本心なのだ。私には、聖女も悪魔も関係ない。
だからこそ、リラには苦しんで欲しくはない。笑顔で、居て貰いたい。私にはリラを救えないけど――此処から、祈ることしかできないけど――幸せになって欲しかったのだ。
ただ、それだけだ。




