第1節【悪魔の記憶】
わたしには、記憶がない。
幼いころの父の記憶が、うすぼんやりとあるだけで、ほとんどが歯抜けの記憶ばかりだ。
わたしについて、解っていることといえば、自分が世界を救う――聖女であるということだけだ。
わたしの瞳には、月瞳という忌まわしき呪いがかけられている。
そう――これは、呪いだ。人々にとっては聖女の証しなのかもしれないが、わたしにとっては呪い以外の何ものでもない。この瞳のせいで、わたしは命と引きかえに世界を救う定めにあるのだ。
聖女としての自覚を持てと、司祭たちに教えられてきた。
そんなことは、はっきり言って知ったこっちゃないんだよ。だって、わたしはまだ恋も知らないような、十九歳の女の子なんだから。他の子たちみたいに好きな人と、楽しく過ごしたいんだから。
それは、いけないことなの?
――ねぇ。本当に、駄目なの?
何度もわたしは、自分自身にそう問いかけた。
こんな現実、さっさと抜け出してしまいたかった。機会があれば、絶対に逃げ出してやるんだ。そう――わたしは聖女として、死にたくない。自由に生きて、恋をして、人並みの普通の女の人生を送ってやるんだ。
だから、こんなクソみたいな他人任せな世界なんて、ぶっ壊れてしまえばいいんだ。
わたしは、恋をする。
恋がしたいんだ。
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――光をくれ。
眠るまえになると、わたしは遠い過去に想いを馳せるのが日課になっていた。
古い記憶を掘り起こそうとすると、必ず浮かんでくるメロディーがあった。本当はそのメロディーには、別の呼びかたがあるんだろうけど、わたしには解らないから勝手にそう呼んでいる。
――光をくれ。
わたしじゃない誰かが、それを歌っている。
これは多分、わたしのなかに眠る悪魔の記憶なんだと思う。だから知らない人が、頭のなかを埋めているんだと思う。
わたしのなかには、ラサという名前の悪魔がいる。そのせいで、わたしは悪魔に狙われているんだ。聖教団の騎士たちが、いつもわたしを護ってくれているから、いまのところは恐い目には遭っていない。
ラサが男の人に、歌っている記憶がずっとわたしの心を埋めている。
きっとラサにとっては、大切な記憶なんだろうな。
わたしには縁のない感情を、悪魔が持っているのが――正直なところ、めちゃくちゃむかついた。
だって。
――ねぇ。だってさ。
わたしだって、恋がしたいんだもん。
聖女は、恋をしちゃ駄目なの?
悪魔が恋をしてるのに、わたしは恋をしちゃ駄目なの?
気がつくといつもわたしは、悪魔の記憶に嫉妬しながら眠りについていた。




