《光りのラガ》
コザの街を、二つの影が歩いていた。
一つは大きな体躯に、襤褸を巻きつけている。その背には、大きな剣を負っている。
もう一つの影は、柔らかな輪郭がフードの上からも解ることから女であることが解った。小さな彼女は、まだ少女であった。
コザの街は、哀しみに包まれている。日々、誰かの涙が流れていた。
そして、涙の数――それ以上の血が、絶え間なく流れ続けている。
他者を裏切り、傷つけていく。略奪や暴力が、当たり前のように横行している。そんな街の至るところで、音楽が流れていた。
人々は嘆きながらも、音楽に希望を乗せて歌うのだ。
コザの街には常に、音楽――〝ラガ〟が流れている。
「どうしたの?」
少女が父に問う。
視線の先には、血に塗れた青年が倒れていた。
ひどい傷を負っている。まだ息はあるが、虚空を見つめる眼は、虚と化している。生きる意志が欠落してしまっている。
少女は確かに、血にまみれた頬を流れる涙を見た。
その涙に、青年の奥底に在る『生きたい』という意思を、慥かに視た。
「助けないの?」
少女の問いかけに、リデルは低い声で答える。
「もう、助からん」
青年の腹は裂けて、臓物が弾けている。
「つまり、『奇跡』が必要ってことね?」
悪戯っぽく笑うと、少女は青年のそばに身を置いた。
少女にならば、奇跡を起こすことができた。
少女の瞳に宿る三日月には、不思議な力があった。月瞳を持つ少女は、人々に聖女と呼ばれていた。
無邪気に笑うその瞳のおくには、慈愛にも似た優しさが揺らめいている。青年の虚の眼を見つめながら、少女は静かに問いかける。
「生きたいですか?」
答えは、返らない。
「どんなに絶望が貴方を埋めようとも、生きて下さい」
青年は、応えない。
微かな吐息には、慥かな言葉が紡がれていた。
――ひかり……光をくれ。
その言葉は、歌だった。
「光をくれ。命のともしび。その光をくれ」
青年の歌に、少女の歌が絡みつく。
――光をくれ。炎のゆらめき。その光をくれ。
澄んだ歌声であった。
――深。と、震わす空気の中に、温かな光が生まれていた。
「光をくれ。生命の煌めき。その光をくれ」
コザの住人ならば、誰もが知っている45のラガをやる少女は美しかった。光に包まれるその姿は、神聖そのものであった。
「光をくれ。新たなる鼓動。その光をくれ」
身を揺らしながら、立ち上がると音楽は激しくなっていった。
軽やかな、二小節。
鮮やかな、二小節。
華やかな、四小節。
その頃には、多くの人が集まっていた。
多くの光が、少女のもとに蒐まっていた。
――光をくれ。心からの奇跡。その光をくれ。
皆が、歌っていた。
皆が、魅せられていた。
聖女の歌う奇跡が、青年の死にゆく身体を再生している。その有様を、多くの者たちが目撃している。
ある者は涙を流し、ある者は感嘆していた。暗く淀んだ雲の切れまから差し込む光が、絢爛に少女を讃えていた。
これは、聖女の物語だ。
そして、聖女の中に息衝く悪魔の話でも在る。
用語説明
【45】フォーティ・ファイブ
一般的に流通している曲のこと。
当時、レコードが主流だった頃に生まれた言葉で、レコードが45回転だった事が由来。
フォーティー・ファイブで、レゲエそのものを指す言葉としても使われます。