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22 夏休み・外泊(3)

 庵の家でいちばん風呂をもらった海斗はまずリビングに向かい、庵の両親に挨拶と礼をした。そこに庵の姿はなく、部屋にいると聞いた際にご丁寧にも水分補給のための水も汲んでもらった。

 客人相手とはいえ、あまりの心尽くしに海斗は改めて感謝を述べ、庵の部屋へと向かった。

 ノックのあとの返事を聞いてから部屋に入ると、庵は机に向かい問題集を解いているところであったが海斗の姿を見て手を止めた。

「おかえり」

「うん、お風呂ありがとう。気持ち良かった。きみも入っておいで、って、おばさんが言ってたよ」

「わかった」

 庵は筆記用具を片付け問題集の本を閉じて本棚へと収めてから海斗のもとへと歩み寄った。

「……ん? 髪、乾かしてないのか」

「あ、うん」

「気を遣わずにドライヤーを使ってくれ。持ってくる」

「いいよ、髪くらい」

「良くない。綺麗なのにもったいない」

 海斗の湿った髪を見た庵からの申し出に、海斗は困惑する。よくもまあ男相手に簡単に『綺麗』と宣えるものだ。海斗は苦笑いして部屋を出る庵の姿を見送った。

 そして海斗はベッドに座らせてもらい、シーサーをかぶったペンギンのぬいぐるみを手に取る。

 それはやけに海斗の手に馴染んだ。海斗の部屋にあるシーサーをかぶったカワウソのぬいぐるみと同じ材質、同じサイズだからだろう。

 海斗がペンギンのつぶらな瞳を見ながらなんとなく手の部分をパタパタ動かしていると、庵がドライヤーを持って戻ってきた。

「あ、おかえり」

「そこに座っていろ」

 立ち上がろうとした海斗を庵は声で制し、ベッドに設置されているコンセントにドライヤーのプラグを差し込んだ。そしてベッドに上がり海斗の背後に回り込み、ドライヤーのスイッチを入れる。温風が出てることを確認してから、庵は海斗の髪を乾かし始めた。

「今日はもう夜が遅いから、勉強は明日な」

「すっかり宴会だったもんね。ありがとう、ご飯は美味しかったし楽しかったよ」

「母さんも父さんも喜んでいた」

 海斗の髪は濡れていても乾かしていっても艶がある。手触りもなめらかで、庵は心の中でひそかにこの髪を傷ませるわけにはいかないと使命感を抱いた。

 海斗はペンギンのぬいぐるみを撫で回しては頭皮にやってくる優しい刺激に微睡んでいた。

「本当に……楽しかった。こんなに楽しい食事会、初めてだったから」

「…………。……最上、ずっと気になっていたんだが、お前……親は……」

「うん、いないんだ」

 やはり。と、庵は思った。

 途端に庵の中でさまざまなことに合点がいく。修学旅行の際に海斗が土産をあまり購入しなかったことも、手巻き寿司が初めてだと言ったことも。

「家族団欒って、ちょっと憧れてたんだ。今は叔父の家に住んでるんだけれど、叔父は僕が小さな頃から仕事が忙しくてほとんど家にいなくて。決して不仲ではないけれどね」

「……そうだったのか」

 おそらく海斗は幼い頃から多忙な叔父に代わって家事を担ってきたに違いない。どうしても普通の家庭よりも与えられる愛情の量が少なくなりがちな中で、よく海斗は歪まずにいられたものだ。社交的で、優しくて、塾にも行かずに今の高校に入学できるだけの学力も身に付けて。

 いったいどれだけの努力を重ねてきたのだろうか。庵には想像もつかない。

 海斗の芯の強い黒髪はすぐに乾き、庵はドライヤーのスイッチを切った。

「よし、できた」

「ありがとう」

「なぁ最上。お前さえ、良ければだが……」

 ~~♪ ~~♪

 庵の言葉を遮るように部屋に響く電子音の音楽。

 それが海斗のスマートフォンからのものだとすぐにわかり、海斗が端末を手に取り指で操作してから自分の耳に当てた。

「何さ、父さん」

「…………?」

 海斗の通話相手がどうやら彼の父親であるらしいことを察して、庵は首を傾げた。

「こっちはもう22時まわってる。……だからさ、帰ったらまた電話するって言ったじゃないか。……え? 代わらないよ。もう切るからね。はいはいおやすみおやすみ」

 誰にでも優しい海斗にしてはやけにぞんざいな扱い。そんな扱いをされている通話相手。やはり海斗の肉親と考えて間違いはなさそうだ。

 海斗はため息を吐いて通話を終えた。

「最上、今のは……」

「あ、うん。僕の父さんだよ」

「!?」

「なんで驚くのさ」

「いや、だってついさっき『いない』って……」

「うん、海外にいるんだよ。ずーっとね」

「海、外……?」

 呆然としている庵の姿をしばらく見詰めていた海斗は、ふとある仮説を思い付き手を叩いた。

「石館くん、変なこと想像したね?」

「いや、その……っ。いや、あの話の流れは誰もが……とは言わないが何割かの人間が勘違いをするだろう!」

「もー、勝手に殺さないでよー。両親はちゃーんと生きてるし電話も定期的にしてるんだから」

「おま……っ、俺はてっきり……! だから、その……っ」

「早とちりー」

「お前の言い方にも問題があっただろ!」

「はははっ、そうかも。ほら、早くお風呂入ってきなよ、いっしょに見たい映画があるんだから」

「夜更かしするつもりか!?」

「いや、するでしょ!」






 決して閉鎖的ではない、マンションという空間。リビングではふたりの大人が息子の部屋から響く楽しげな声を聞きながらグラスを傾けていた。

「あんなに楽しそうなあの子の声、本当にひさしぶり……」

「そうだな。小学生の時以来か……」

 両親はそれきり口を閉ざす。愛する我が子の幼少期からの成長を懐古して。

 素直で優しく、そしてどこまでも実直だった息子。世間を知り、社会を知り、そして人を知ることで庵が次第に心を閉ざしていくのを誰よりも近くで見てきた。見てきていて何もできないことに歯痒さもあった。だからこそ、夏休み前に庵から友人を招きたいと言われた時は心底驚き、喜びもひとしおだった。

 ひとしきり騒いだのか、庵が部屋から出てきた音が聞こえてきた。

 リビングの扉を半開きにして両親の顔を見た庵は、やけにしんみりとした空気に少しだけ驚いたがすぐに言葉を発した。

「遅くなってごめん。風呂、入ってくる」

「ええ、いってらっしゃい」

「夜更かしするならしても良いんだぞ、庵」

「……それは……」

 父親の言葉に庵は困惑してしまう。品行方正を貫いてきただけに戸惑いは大きく、しかし大切な友人と過ごす深夜というものへの興味も大きい。

 少しだけ躊躇った庵はふたりの方を見て、年相応の笑顔を浮かべた。どこか困ったような、ぎこちないものではあったが。

「……うん。それなら、コーヒー淹れたい」

「わかったわ、用意しておいてあげるわね」

「ありがとう、母さん、父さん」

「はははっ、朝のジョギングは無理だな」

「俺はこんなに予定を狂わせるつもりはなかったんだよ、本当に。もう行くからな」

 父親に対して、慣れないささやかな悪態をついてから浴室に向かってしまった庵を微笑ましく見送り、両親は席を立ちリビングをふたりに明け渡す準備を始めた。

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