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21 夏休み・外泊(2)

 大きな声による歓迎に、庵の後ろにいても唖然としてしまった海斗は目を瞬かせた。

 まず駆け寄ってきたのはミルクティーのような色合いのベージュ髪をショートヘアにしている、細身ながら笑顔の明るい女性。庵を押し退けて海斗の両手を掴んだ。

「こんばんは! いらっしゃい! あら、はじめましてが先かしら」

「は、はじめまして。最上、海斗です」

「はじめまして、庵の母です。あらもう、聞いてた通り、背が高くてイケメンね! 楽しみにしてたんだから!」

「イケメン……ですか。石館くんが?」

 あの庵が、ありふれているとはいえあまり俗っぽい単語を言うイメージもなかったので疑問を呈したまさにその瞬間。

「母さん、俺は端整だと言ったんだ」

「同じでしょー?」

 さすがは家族といったところか、庵の苦言などなんのダメージでもないらしい庵の母親は、はつらつとした笑顔は絶やさないままで再び海斗と向き直り、そして道を譲るように脇に避けた。

 次に奥から歩いてきたのは、モカブラウンの髪と整えられた短い顎髭を持つ体格の良い男。

 海斗は姿勢を正し男を見詰めて。そしてすぐに緊張を解いた。

 庵の父親と思しきその男性も、そして庵の母親も、なんと柔らかな笑みなのだろう。外見だけは所謂、『陽キャ』や『リア充』と呼ばれるようなものであるのに。

「はじめまして、海斗くん。庵の父だ」

「はじめまして。今日からお世話になります」

「ふむ…………」

 庵の父親は海斗をじっと見詰め、次に庵の手にある紙袋を見付けるなり態度を一変させた。

「母さん! パティスリー・ヨシノの焼菓子だぞ!」

「まあ、良かったわね庵! 止めなかったらいくらでも食べちゃうくらいあなたこれ大好きですものね!」

「そ、そんなことは……っ」

「石館くん……そうなんだ」

「ち、違うんだ最上……! 気付いたらいつの間にか俺の前に菓子があるんだ!」

 あの庵がこんな子どものような言い訳をするとは。学校生活の中では考えられないことであった。

 調子を狂わされる庵の姿に海斗は思わず吹き出してしまう。海斗の緊張をほぐすための優しい嘘でもなんでもなく、事実としてこのような微笑ましいエピソードがあることに海斗は嬉しくなった。

「改めて、お招きありがとうございます」

「はっはっは! かしこまらずラクにしてくれ。さぁさぁ庵、部屋に荷物を置いてきなさい。食事にしよう!」

「はい。行くぞ、最上」

「うん。では、お二人とも、よろしくお願いします」

「ええ、ええ。あとでたっくさん、質問攻めにしちゃうわ!」

 母親の発言に罰が悪くなったのか、庵は海斗の服の裾の端をつまんでそそくさとリビングを後にした。

 そう長くはない廊下に戻り、玄関に比較的近い扉にまで戻ってそこを庵が開くと、海斗が先に入るよう促して脇に避けた。

 海斗がいちど頭を少し下げてから部屋に踏み入ると、そこは想像通りに綺麗に整頓された部屋であった。

 整えられた布団のベッド、整然とした机。クローゼットを改造したのか元々そうなのか、壁に埋め込むように作られた収納棚には様々な本。華美な装飾は無いに近く、ベッドの枕元にあるシーサーをかぶったペンギンのぬいぐるみだけが妙な異彩を放っている。

「荷物はここに置いておけ」

「ありがとう」

 庵が開けてくれたクローゼットの中も余計なものはいっさい無く、海斗の荷物を置いてもまだまだ空きがある。

「……驚いたか? 親のこと」

「うん。先入観って本当に役になんか立たないんだなって証明された。素敵な両親だね」

「…………」

 クローゼットの扉を閉めた庵は少し表情を曇らせる。

 海斗には決して親子仲が悪いようには見えなかった。それでも庵がこんな顔をしてしまうのには。

「ねぇ、石館くん」

「お前は、たぶん。……たぶん、この、たった数秒で色んなことが見えたんだろうな」

 海斗の声を遮って紡がれた庵の言葉は、海斗にしっかり心当たりがあった。

 次に庵は少しだけ年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべ、海斗の肩を軽く叩いた。

「行こうか。これからもっと戸惑ってもらうぞ」

「……っ!」

 人は誰しも、いくつもの顔を持っている。

 学校での顔、家での顔、外での顔。昼の顔、夜の顔。

 そんなことをとうに深く悟ってしまっている海斗でも、今の庵の笑顔には心を奪われた。






「…………父さん、なんだこれは」

「なんだとはなんだ。父さん、張り切ったんだぞー?」

「そうよ。このお魚、お父さんが朝からたっくさん釣ってきてくれたんだから。あ、海斗くん苦手なものはないって聞いてるけど大丈夫?」

「はい。それは大丈夫です」

 リビングに着いて、まず最初に目に入ったのは食卓の中央に鎮座する酢飯が入った大きなすし桶。そして、回転ができる仕様の大皿に大量の海産物が刺身状態で盛られていた。市販の刺身と明らかに違うのがその身のひとつひとつの大きさ。食べ応えのありそうな見目が食欲をそそる。そして、もうひとつの大皿には大量のエビフライがピラミッドタワーを成していた。大判の焼き海苔もしっかりと用意されている。

 これだけの料理を揃えるのにどれだけの手間が掛かっただろうか。海斗は歓迎されていることに嬉しくなった。

「さあ、座って座って。お酒は……ダメだな、うん。とにかくまずは乾杯だ!」

 酒の単語が出た瞬間に庵の父は息子に睨まれ豪快に笑った。

 全員が席に着き、号令によって乾杯し、食事会が始まった。

「遠慮なく食べてね、酢飯はたくさんあるから」

「はい、いただきます! すごいな、家での手巻き寿司だなんて初めてだ!」

「……?」

 海斗の言葉に庵は違和感を覚えたが、さっそくビールをグラスに注ぎ枝豆をつまみとしている父の言葉が先陣を切った。

「庵が友達を呼んでくるとはなあ! 今日は記念日だな、母さん!」

「ええ、ええ! カレンダーに記入しておきましたとも!」

「おい、ふたりとももう酔ってるのか」

「そんなことないわよー! 海斗くん、今日は本当に来てくれてありがとうね」

「こちらこそ、こんなにも素晴らしいおもてなしで感謝しています」

「本当に礼儀正しいのね。庵から聞いていたとおり!」

 初めてというのが本当らしく、海斗はぎこちない仕草で手巻き寿司を作っていく。焼き海苔に酢飯、きゅうり、アジの切り身を乗せて巻く。

 思ったよりも小ぶりな寿司となってしまって海斗はキョトンとしてしまったが、まずはひとくち手巻き寿司を頬張った。

「……う、わ。美味し……っ!」

 すっかり冷えた寿司しか知らなかった海斗はふわふわの酢飯や新鮮すぎる魚の食感、味に感動する。

 海斗の感想を待っていた石館家の全員が心から安心して我も我もと手巻き寿司を作り始めた。

「いやー喜んでくれて良かった!」

「本当に美味しいです! 朝から釣ってきてくださったとか。ありがとうございます。趣味なんですか?」

「じつは……初めてでな」

「いやいやそれでこの量は無理でしょう!」

「はははっ!」

 父親と海斗はすぐに打ち解けているようで、庵は安心して手巻き寿司を作った。見本のように酢飯を乗せ、甘エビやたまご、きゅうり、サーモン、イカと何でも乗せて巻き、海斗の初めのものよりも豪快な寿司が出来上がった。

「そんなに乗せていいんだね。よーし!」

「おい、調子に乗って酢飯を乗せすぎると……ほら、それじゃ巻けないから」

「庵ちゃん、エビフライちょーだい」

「はいはい。母さん、取り皿……おい、最上! マグロを取りすぎだ!」

「好きなんだよマグロ……、……え!?」

 エビフライまでもを手巻き寿司に巻いていく庵の母親の仕草に驚き、出来上がったばかりの張り詰めた手巻き寿司を急いで食べていく海斗の姿に母親は笑った。

「ゆっくり食べて。あ、きみが持ってきてくれたお土産はデザートに出してあげるわね」

「は、はい……っ!」

 海斗がエビフライを箸に取り、寿司にするよりも先にそのままかじりついて身の大きさや味を楽しんでいると、庵の父親がビールのグラスを置いて少し神妙な顔をした。

「ところで海斗くん。庵はその……どうかな、学校では」

「おじさん、三者面談ですか?」

「あ、いや……ははは!」

「石館くんからどう聞いているかはわかりませんが、彼はみなさんが思っている以上に大人であり、年相応です」

 海斗の言葉は決して明々白々ではない。それでも庵の両親が言葉を止めて目を瞬かせてしまうのは、海斗の真摯な眼差しが理由だろうか。

「安心してください」

「……そうか。ありがとう、海斗くん」

「頼むから、続きは本人がいないところでやってくれ。教員からは何を言われてもなんとも思わないが、学友からともなれば俺だってさすがに……」

 庵は海斗に奪われがちなマグロを確保して手巻き寿司を作り、それを頬張ってそっぽ向いた。

 庵の父は朗らかに笑い飲酒を再開した。

「海斗くん、きみさえ良ければいつか一緒に登山でもどうかな。私は趣味で登山やキャンプの動画もあげているのだが」

「とざ……っ!」

 絶句してしまった海斗に、庵の両親は首を傾げた。補足するように庵がエビフライをひとつ食べ終えてから口を挟む。

「こいつ、体力が絶望的に無いんだ」

「そうなの? あらー、こんなに背も高くて礼儀正しくて成績も良くて欠点なんてほんと無さそうなのに!」

「庵が言っていた、修学旅行でのとてつもないギャップとはこのことか」

「もー、なんてこと言ってるんだよ!」

「本当のことだろう」

「庵はよく私たち家族とキャンプや登山をしているから体力には自信あるよな」

「べつに……普通だろう」

「そんな謙遜してー!」

 家族からの褒め言葉に慣れていないのか、庵は少しだけ天の邪鬼な態度で両親のことをやり過ごそうとしていた。

「……だが、そうだな。家でひたすら勉強だけを見るのも芸がない。朝か夕方にジョギングをしよう」

「石館くん……本気ですか……?」

「それなら充分な水分と……献立もしっかり吟味しないとね!」

「母さん、ありがとう」

「いや、あの……おばさん、あの……!」

「大丈夫よ、おばさんこれでも管理栄養士の資格持ってるから!」

「それは素晴らしいです! ……いや、そうじゃなくてですね!」

 賑やかな食事会の中、時間は誰もが思ったよりも速く進んでいき。大量に用意された料理がなくなる頃にはなんと21時近くとなってしまっていた。

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