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20 夏休み・外泊(1)

 夏休みに入る少し前に梅雨明けが発表された。不思議なもので、それでも雨が続く週もある。

 名残の湿気が不快で、それでいてとことん残暑は厳しくて、庵は駅前にある大型オブジェ前でハンカチを使って額の汗を拭った。腕時計を確認してみると、待ち合わせ時間の30分前。早く来すぎてしまった感はあれど、今回の客人に先に到着させるわけにもいかない。

「石館くん、お待たせ!」

 そこにやってきたのは海斗。表情はどこか焦っている。遅刻をしたわけでもないというのに。

「ごめんね、暑かったよね」

「そういうことか。まったく、お前というやつは」

 あくまでも庵の体調から気遣う海斗の言葉に半分はあきれながら、半分は喜んで笑う。

「日陰だから大丈夫だ」

「それなら良いけれど。あ、それとこれ、手土産。今日はお世話になります」

「気を遣うなと言ったのに……」

 海斗が庵に手渡してきたのはとあるケーキ店のロゴが入った紙袋。

 庵がそれを受け取り中身を少し覗き込むと、上品な深い青色の箱が縦に入れられていた。ということは、生菓子ではなく焼菓子の詰め合わせといったところだろう。そして、それよりも庵には気になることがあった。

「これ、俺の好きな店のやつ。言ったことがあったか?」

「あったよ」

「いつ」

「それはさすがに覚えてない」

 さりげない会話のことも覚えているものなのか、と。庵は感心至極だ。

「では、ありがたくいただこう」

「うん、どういたしまして」

 ふたりは移動を開始した。昼間は外で時間を潰し、夕方に庵の家に到着する予定となっている。

「はぁー……緊張するなぁ」

「どうした」

「石館くんのご家族にしっかり挨拶できるかな、と」

「そんなに身構えなくても、取って食いはしない」

「うーん……」

 憂鬱、とまでは言わない。しかし海斗が緊張しているのは確かだった。

 庵の両親はどんな人物なのだろう。こんなにも生真面目な庵を育て上げたのだ。どうしてもまずは厳格な風体を想像してしまう。先入観は良くないと、海斗も頭では理解していても。

 ふたりはなんとなくショッピングモールに足を運び、なんとなく服や靴を物色していた。

 庵が思うに、明白な目的もなしにただ散策するのは初めてかもしれない。

 庵は時間の浪費を嫌っていた。それは『何もしない時間』というものにまったく重要性を見出だせなかったから。有限であるものの使い道として合理性がなかったから。しかし、いまは。

 展示されている靴の片方を手に取り材質を見てはなにやら考え込んでいる海斗の姿を見るだけで。それだけで。

「欲しいのか?」

「将来的に」

「どういうことだそれは」

「行きたいところがあってさ」

「ほぅ、どこだ」

「海外」

「……ならばまずは靴よりも本人のスタミナだな」

「うっ! ごもっともです」

 痛いところを突かれて苦笑う海斗の些細なことですら、知ることが楽しい。

 海斗が海の向こうの国のことを考えていたのは初めて知った。

 けっきょくは何も購入することはなく、ふたりしてフードコートに向かいながら庵は雑談混じりにそのことを問う。

「永住したいとかじゃなくて、あくまでも観光」

「ということは、見たいものがあるのか」

「うん。石館くんは興味ない? 世界遺産!」

「…………、興味がないわけではないが。意外だな。最上がそういったものに興味を持つとは」

「そう?」

「それだけ嬉々とできるのならば、日本の世界遺産を見ることで日本史への理解も深まるだろうに」

「……なるほどー」

 心底感心している海斗の姿に庵は心底疑問を抱く。どうしてそこに着眼できないのか、と。

 フードコートで互いの飲み物と軽食を購入して小腹を満たすことにする。話題は次から次へと変わり、途切れることがない。

 会話に夢中になりそうになって、庵は時間を確認して帰宅を促した。

 いよいよか、と海斗は緊張を新たにした。






 庵の家は住宅街の中にあるマンションだった。

 やけに縦に長い超高級なタワーマンション、というわけではなく、どちらかといえば横に長い。マンション住居者専用と思われる公園があり、数人の子どもたちが遊んでいる。1階部分のスペースは店舗となっていて、ひとつは何らかの会社の事務所。もうひとつは美容室、そしてさらにもうひとつはコインランドリーとなっていた。

 庵の操作でオートロックを抜ければ、ロビーには宅配ボックスやゴミの集積所が完備されている。利便性の高い良い物件であることは間違いない。

 それらを観察しながら、海斗は考えを巡らせる。

 このマンションは完全にファミリー層に向けたものであろう。大学に進学した際に単身で住むには適さない。1階にコインランドリーというのはかなり便利だろうに。海斗は密やかに惜しんだ。

 エレベーターに乗り込み、庵は12のスイッチを押した。結構な高層階だ。

 自宅に近付くにつれて海斗の口数が減っているのを庵も感じている。緊張していると海斗が言っていたのは嘘ではないのだろう。

 こんな時に何と言ってやれば良いのか、庵にはわからない。そもそもいまの海斗の緊張の根底にある理由が、ほかならぬ庵自身であるという自覚があった。もっと己が社交的で親しみやすい人柄であったならば、現状は違っていただろうに。

 到着階でエレベーターを降り、廊下を行く。誰かとすれ違うことはなかった。

 とある扉の前で庵が立ち止まり、海斗も倣う。扉横の表札には確かに『石館』の文字が記されている。

 庵が鞄から鍵を取り出し、施錠を解いた。シックな焦げ茶色に金で縁取りされた扉が開かれ、庵が先導して中に入り海斗を振り返り見た。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 海斗は靴を脱いで庵が用意してくれたスリッパを履き、自分の靴を揃えて端に寄せた。

 やけに礼儀正しい海斗の所作に庵は苦笑する。もしかして、念入りに勉強でもしたのだろうかと勘繰りたくなったがそれはあとでにしようと決めた。

 直線の廊下の両サイドにいくつかの扉があるがそれは素通りし、奥の突き当たりにガラス扉がある。おそらくその先がリビングだろう。

 庵が扉のドアノブに手を掛け、ゆっくりと押し開かれていき、そして。

「ただいま、母さん、父さん」

 ついに庵の両親と対面するとのことで、海斗は率先して挨拶をしようとした、のだったが。

「おかえりなさーい!!!!」

「!?」

 大音量のふたりの声によって、海斗の些細な予定すらも即刻打ち砕かれるのであった。

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