12 更なる変転
不思議なものだった。
海斗との接触が極端に減少してからも不思議と孤独感がなかった。
毎日誰かしらが話しかけてきてくれた。いや、思えば今までもそうだったような気がする。
庵は己の視野の狭さをこの時初めて自覚した。
くわえて、今の庵は自身の感情の整理に手こずっている。気分を転換させるのにクラスメイトとの会話は庵にとってうってつけだった。
まるで彼らを体よく利用しているだけのような状況が、後ろめたい。庵は心の中で詫びながら会話に興じた。
庵には知らないことが多すぎた。クラスメイトの名前と顔くらいは一致しているが、そこまでだった。
背の高い黒田がバレー部であること。物静かな坂上がゲーム好きで、積極的に配信活動もしていること。金子が華奢で可憐な見た目に反して大食いであること。2学期の時に前の席にいた小笠原も大食いで金子と気が合うこと。
どれもが、クラスメイトたちは1学期の時点で把握しているような事柄ばかりだ。
救いなのは、こんなにも救いようのない気質でしかない自分に誰もが気さくに話しかけてきてくれることだった。庵はこれまでの自分を深く省みた。
思ったよりもクラスメイトたちから話しかけられることに初めこそ庵は戸惑っていたものの、少しずつそれは慣れとなり日常の1部として受け入れるようになっていた。
反対に海斗との会話はなくなってしまったが、構わなかった。構わなくはないのかもしれないが。
構わなくはないのはクラスメイトにとっても同じなのか、とある休み時間のことだった。
「ねぇ、石館くん。最近さ……最上くんといっしょにいないね」
「え、あんたその質問する? 度胸ありすぎ」
「だって気になるじゃん。仲良かったんだから」
そこで庵は理解する。自分と海斗は仲が良いと思われていたのか、と。
よくよく考えてみれば、そう思われていてもおかしくはない。今まで彼としかまともな交流はなかったから。
「喧嘩でもした?」
「いや……、……そんなことはない」
「そう……」
これはおそらく、この者だけではなく多くの人に心配を掛けてしまっているのだろう。庵はそう考えて僅かに項垂れ、そしてすぐに顔を上げた。
「すまない」
「ううん、謝ることないけど……」
「俺たちのことで気まずさを感じながらも連日こうして俺に話し掛けてくれているのだろう? それについては……ありがとう」
「石館くん真面目すぎー!」
「あんたが軽いんじゃないの?」
「とにかく! 最上くんと喧嘩したわけじゃないなら良いけれど、もしも喧嘩なら早く仲直りしなよ?」
「そうそう。こうやって石館くんと話せるようになったのは最上くんのおかげでもあるんだから」
「……わかった」
まるで子供扱いのようで庵は微かに笑った。
危なっかしい存在だと思われているのならば不本意だ。早々に海斗との関係を修復すべきなのだろうが。
庵はそこでまた躊躇う。事の経緯が経緯なだけに。
何かきっかけがあればとも思うが、どうにも海斗から露骨に避けられてしまっていて上手くいかない。それに、もしも機会があったとして。何からどう言えば良いのか、わからない。
確かにこれは子供扱いされてもおかしくないな、と庵は納得した。
そんな庵の様子を、海斗と駿は教室の隅から眺めていた。
「おー、石館のやつ、やっと気を張るのやめたのか」
「…………かもね」
「で、なんで今度は海斗がどんよりしてんの?」
ここ数日、庵の纏う空気が少しだけ穏やかになったと思いきや、反対に海斗がやけに沈んでいるものだから、どうしても駿は気になってしまう。
そもそも海斗がここまで何かで落ち込むことそのものが珍しい。海斗は大体のことは超常的な知識と直感で乗り越えてしまう人物だったから。
「……やらかした」
「何を?」
「その……うん……あれこれ」
「めっずらし! お前がそんなに言葉濁すの初めてじゃね?」
「面白がらないでよ……けっこう落ち込んでるんだからね、これでも」
椅子に座り拗ねたように頬杖を突いてしまった海斗の姿から、落ち込んでいるのはどうやら本当のことらしい。駿は若干悪いとは思いながらもにこやかに頷いた。
「いやいや安心したわ。海斗もちゃーんと人間だったんだな」
「れっきとしたホモサピエンスですー」
長く海斗の友人をやっているが、不服めいた声を聞いたのは本当に初めてで駿は楽しくなってきた。もちろん海斗の力になりたいのは本心だが。
駿は海斗の隣の席の椅子を引きそこに座った。これで海斗と庵の間に入り自分が簡単な壁になることができる。対象を視界から遮ることで少しは話しやすくなることを、駿は感覚で知っていた。
「で、やらかしって?」
「……それは……」
「石館に何かした?」
「うん……まぁ……」
そこで駿はチラリと海斗の両手を観察した。実に綺麗なものだ、負傷はない。
「殴ったわけじゃないみたいだな。はははっ、まさかあいつがあまりに美人だからってキスしちまった、とかじゃないだろうな」
「…………」
「…………は? マジ?」
「理由は違うけど……やったのは、まぁ……」
「…………」
「…………」
海斗と駿の周囲にのみ、絶妙に気まずい空気が満ちた。しかしそれもすぐに駿が打ち破った。
「そりゃあまた、かなり……うん、突っ走ったな! 4倍速ぐらいじゃん、段階踏めよ」
「わかってるよ、だからこんなに落ち込んでるんじゃないかー!」
「それで避けられてんのか」
「いや……そもそも僕から避けちゃって……」
「何してんのよお前!?」
「もうさー、わかってるんだよ僕がバカなのはさー!」
「ああ……うん、そうね。オレ間違ってたわ。海斗は思ったよりバカだ」
「ぐぬぬぬぬ……!」
自ら避けてしまった以上、どうやってもういちど庵と距離を縮めれば良いのか、海斗にはわからないのだろう。
頭良いくせに頭悪かったんだな。
とは、駿は口にはしないでおいた。そしてそっと庵の様子を窺ってみた。
他の生徒たちと存外うまくやれているのか、今は庵が常に纏っていた刺々しい空気がすっかり和らいでいる。
海斗が何かしたのではないかと予想はしていたが、駿が思ったよりも事態は予想外であり深刻であった。
どうしたものかね、と駿が助け舟を出す方法を模索していると、教室にひとりの女子生徒が入ってきた。
「石館くん、4組の子、来てるよ」
「は? ……誰だ?」
「細川ってやつ。良いから早く行ってー。呼べ呼べってうるさいんだもん」
「わ、わかった……」
よほどしつこく催促されたのか、うんざり気味な態度の女子に促され、庵は呼び出しに応じて席を発った。
そんな庵の様子を、駿はもちろんのこと、海斗もしっかりと観察していた。
「細川……? あいつに石館と接点なんかあったかな……」
「藤波くん、知ってるの?」
「まぁ、部活で聞いたくらいだけどな」
「…………」
駿はこの進学校にスポーツ推薦で入学してきた稀有な存在だ。それゆえにかなり顔が広い。
そんな駿ですら部活で名前を聞く程度の人物が、交友関係の狭い庵と接触を図ろうとする理由がわからない。海斗は口元に手を当てて思案に耽り始めた。
海斗のこの変わり身の早さを見て駿は苦笑した。
海斗が庵を慕っているのを、駿はなんとなく察していた。そしてそれは、今日の会話で確定となったわけだが。
はたしていまの海斗の行動は心配からか、嫉妬からか、あるいは両方なのか。
庵が廊下に出てみると、何人かの男子が待ち構えていてその中心にいたひとりが庵には気さくに話しかけてきた。
「よう、ひさしぶり!」
その言葉に庵は怪訝な顔をする。そして、心向きそのままに庵は緩やかに腕を組んだ。
「誰だ、お前」
「え、嘘だろ! 覚えてねーの!?」
途端、周囲にいた男たちが一斉に笑いだし、ふたりを囃し立てた。
「お前忘れられてんじゃん!」
「ダッサ!」
「う、うるせーよ!」
こういったノリは庵の肌には合わない。腕を組んだまま庵はため息を吐き出した。
「用があるなら早く話せ」
「え、なぁマジで覚えてねーの!? オレだよオレ」
「特殊詐欺でもその文言はもう古いぞ」
「いや詐欺じゃねーし! ほら、文化祭の時に会ったろ?」
「文化祭?」
こんなやつに見覚えはない。ないが、庵は記憶を掘り起こしてみた。
思いの外、楽しかった接客。海斗との買い出し。展示物の観覧。素人バンドの鑑賞。他には何かあっただろうか。
「ほら、オレらちょーっと羽目外してさ、お前に叱られたじゃん」
「…………。…………ああ、あの時のやつか」
結構な時間をかけて庵はようやく思い出すことができた。確か、揉め事にまで発展しかけてしまい、生徒会長と副会長の登場で助かった件だ。
正直、庵にとってあまりにも、そう、あまりにも些末なことなので忘れていた。
「で、何の用だ」
「いやさー、ずっと忙しくてお前に謝る機会がなくてさ。あの時はごめんな?」
「……いや、それは……」
庵は戸惑う。そんな数ヶ月前のことを律儀に覚えていて謝罪に来るような人物がいるとは。見れば周りの男たちも頭を下げている。毒気を抜かれて庵は腕を解いた。
「そんな前のこと……もう気にしていない」
「本当か!? ありがとうな石館!」
「なぜ俺の名前を……」
「いやいや、お前有名だし!」
「…………」
そんなこと、庵は考えたこともなかった。自分が周りにどう見られているかなど興味もなかったから。
「そんでオレさ、お前と友達になりたいんだよなー」
「俺と?」
「そうそう」
細川という男は軽薄な口調ではあるが、面と向かって友にと望まれたことは庵にとって珍事とも言える出来事で、答えに窮した。
「……俺でいいのか」
「当たり前じゃん! で、さっそくだけど次の土曜、買い物付き合ってくんね?」
「……は? 次?」
「おう!」
唐突すぎる申し出に庵は戸惑った。
友とはこうも簡単にできるものなのだろうか。こうもあっさりと休日を共にするものなのだろうか。まともな友人がいたことがない庵にはわからない。
「わ、わかった……」
「よーし! じゃ次の土曜、12時に駅前な!」
「え……」
「じゃーな!」
言うだけ言って、細川という男は周りの友人を連れて4組の教室の方へと向かって歩いていってしまった。
あまりに強引な態度に庵は唖然としてその場に立ち尽くす。そして、休み時間終了のチャイムの音で慌てて教室に戻った。
自分の席に戻り次の授業の支度をしながら、庵は怒涛の展開に困惑した。細川という男のことは少々身勝手にも思えたほどだった。それでも。
約束をした以上は行かなくてはならない。生来の真面目さで庵はそう考えた。そこにほんの僅かに海斗への対抗心も入っていることは、庵自身も意識していなかった。




