10 焦燥
やはりあれは間違いだったのだ、と。
庵は己に言い聞かせた。
成績が伸びない。厳密には伸びてはいるのかもしれないが。
どうしても、かつての場所に戻れない。
2学期期末考査の結果が、庵を消沈させる。
3連続の2位。シルバーコレクターなどという不名誉な称号は嬉しくない。
あの文化祭までの日々がすべて無駄だったなどと言い切るつもりはないが、それでも。あの日々すらも勉強に打ち込んでいれば、勝てたのではないだろうか。
1位に座る、あいつに。
いや、仮にそこまで心血注いだ上でも勝てなかったら?
最悪の結果を想像してしまい庵は頭を振った。たらればの話をしたところで仕方ない。
それでいて相変わらず最上海斗はクラスの中心のひとりで。
大多数に向けて簡単に吐き溢される謙遜が誰かにとっての嫌味になっていることなど、彼は考えたこともないのだろう。それが尚更、腹立たしい。違う。これはただの八つ当たりだ。彼は何も悪くない。無力なのは己ではないか。
板挟みの気持ちが庵を鬱屈させた。
「石館くん! 2位、おめでとう」
「……どうも」
あの文化祭の日以来、やけにクラスメイトから話し掛けられる機会が増えたように思える。しかしそれに対して何を返せば良いのかは分からない。会話はあまり続かない。彼のように……海斗のようには、できない。
庵はひと言の礼のみで教室へと戻っていった。
「うーん……今日も会話にならなかったなぁ」
「感じ悪いとまでは言わないけどさ、やっぱり取っ付きにくいよね」
「私たち何かした?」
「えー、してないよ!」
そんな女子生徒たちの会話が耳に入ってきて、海斗はそっと廊下から教室を伺う。
庵は既に机に向かい教科書を広げていた。
庵を見詰めていると不意に海斗の肩に重みが降ってきた。
「わ……っ、何さ藤波くん」
「今回も見事だな」
藤波駿は海斗の中学からの友人だけあってそれなりに気心も知れている。実は海斗自身も気付いていない己の性質を破綻できる、数少ない存在だ。
だから海斗は小さな声と共に息を吐いた。
「まぁね」
「いつものたまたま……とは言わないんだな」
「うん。いつだって本気だ」
「手を抜くつもりは?」
「あるわけないだろ」
「石館への背信になるから、か」
「勝ちを譲られて嬉しい人なんていないさ」
「それもそうだな。だけどよ……」
「……分かってる」
ふたりは教科書から目を離すことのない庵を見守り、どうしたものかと考えあぐねる。
もうすぐ冬休み。そして年を跨ぐ。
行き詰まってしまっている庵に何とかして突破口を示してやりたいと海斗は思うが、他ならぬ行き詰まりの原因でもある自分にいったい何ができるのか。
ただ、時だけが無情に過ぎていく。
海斗の心配は見事に的中した。
冬休み明けの教室はとても和やかな雰囲気そのものだというのに。ただひとりだけがその雰囲気に馴染まない。
たった2週間程度会っていなかっただけ。その短期間でひどくやつれた庵の姿は海斗から見てとても痛々しい。
庵の熱意が空回っているのは目に見えて明らか。さすがに海斗は傍観に甘んじているわけにはいかなかった。
海斗は庵の元へと歩み寄った。
「石館くん、おはよう」
「……ああ、おはよう」
返事こそあるが、庵は海斗と目を合わせてくれない。しかし横顔だけでも血色が悪いのが分かる。庵の涙袋は薄く黒ずみ、ブロンドの髪にもかつての艶がない。うっすらと頬骨も見えていた。
「石館くん」
「何だ」
「話があるんだ」
「……さっさとしろ」
目障りだ、と。庵の態度が告げている。それでも海斗は引き下がらない。怯むわけにはいかない。
「石館くん、少し休むべきだ」
「何だと……?」
「きみ、ろくに寝ていないだろう。食事も最低限かそれ以下だ。……言わせてもらう。それじゃあ、きみの持ち味は生きない」
「…………。…………ははっ」
「……っ!?」
こんなにも苦しそうな笑顔が浮かぶものなのかと、海斗は絶句した。
緑の瞳はすっかり濁っていて、そこから放たれるのは嫌悪、拒絶、そして苦悶。
「余裕だな。敵に塩を送るのがそんなに楽しいか」
「違う、僕は……!」
「そう。お前は違うな。そんなやつじゃないよな。俺に情けを掛けるような、そんな最大の侮辱を働くようなやつじゃないよな。優等生の最上海斗」
「石館くん、遮らないでくれ! 今は……」
「いっそ……もっとお前が下衆ならばな……」
「石館くん!」
「よーし全員座れー」
「……っ!」
担任の木村の登場により会話は中断されてしまった。
仕方なく海斗は席に着き庵の様子を伺うが、庵は窓の外へと視線を向けてしまい顔色すらも見せてくれなくなった。
3学期の初日。2学期の時と同じように席替えが実施され、海斗と庵の席は隣同士ではなくなった。海斗の席はほぼ場所が変わらなかったというのに、庵が大きく場所を変えた。
まるで現状のようだ、などと。どちらからともなくそう感じていた。




