9.貴族の責任
いつまで、そうしていたのだろう、
───!
ふとした瞬間に恥ずかしくなり、離脱しようと藻掻く私と、決して離すまいと力ずくで抱き込む母。
「は、はなして、くださいっ」
「やだ」
「やっ……!?」
細身の女性といえど3歳児が膂力で大人に敵うはずもなく……諦めて脱力する私に、ふと思い出したかのようにどこか楽しげな母が問う。
「……そういえば!ねぇシャロン、あなた前世ではどんな子だったの?ふとした時に見せる立ち振る舞いからして……日本人、でしょう?」
「!? えっと、そんな。ふつう、でしたよ。ふつうの大学生、でした……。」
「大学生、かぁ~!どんなだったの!?彼氏とかいた!?」
『どこか楽しげ』どころじゃない。めっちゃ楽しそうだ。というかなんだこのノリ。女子会じゃないんだからさ……。いや女子会知らんけど……。
「いや、その。彼氏、というか。そもそも女の子じゃなかった、というか……。」
華やかな美貌が驚愕に染まる。
「え!?……そ、そんなことある!?」
そうだよね。そりゃあそうなるよね。
「そんなこともあるんだねぇ……。」
再び藻掻き始める私を抱きしめたまま、しみじみと呟く母。
前世を知っても態度を変えないでくれるのは純粋に嬉しいが、いい加減離してほしい。
「中身が男の子ってことはさ、やっぱり女の子の方が好きなの?」
青天の霹靂だった。夢が、恋愛がどうとかボヤいておきながら考えたこともなかったのだ。
───想像する。未来の自分を。愛おしげにお互いを見つめ合う、私とイケメン(仮)。
───ないな。
想像以上の『無さ』に内心驚愕する。
TS転生すると精神が肉体に引っ張られる、とはよく言うけれど。
そして私にもその兆候が見られるのも、なんとなく自覚しているけれど。
無かった。想像以上に。コレは、"無い"。
「どう、なんでしょう。女の人が好きかは、わかんないけど……たしかに男の人と恋愛は、できないかも。」
「そっかぁ〜、じゃああの人とも話し合わないとね。
大丈夫。私にまかせて!」
ついに私を手離し、堂々たる佇まいで自らの戦場に向かわんとする母。私はそんな背中を頼もしげに見送っ、て───
「まって、ください。」
───違う。
それは、違う。
突如として湧き上がる強烈な違和感が身体を突き動かし、母を引き止める。
思い出せ。
この国における、貴族の令嬢の役割とは、何か。
東方の守護を担う辺境伯家に生まれ、民の血税に育まれた私に課された責務とは、何か。
───婚姻だ。少しでも家の、領の益となるような相手を見つけ、縁を繋ぐのが私の、辺境伯令嬢として生を受けた私の責務だ。
「結婚は、貴族の……私の、責務で。」
もちろん、私にだって譲れないものがある。
領のためとはいえ、男と結婚など普通に嫌だし、家のためとはいえ、子を成すなどもう……想像しただけで吐き気を禁じ得ない。
それでも。それでもやっぱり、違う。
───個人的な都合で、責務を放り出す。
あってはならないことだ。絶対に、あってはならないこと──
──だからこそ。
「人任せにしちゃいけない。私が、お父様にお話します。」
「───これは、私の責任だから。」