10.分水嶺
───あんな風に啖呵を切ったけれど。
「あ……最初から、か」
転生者であることから説明する必要があることを忘れていた。
……さて、どう説明したものか。
「? 別に、あの人にもバレてるから大丈夫よ?」
……なんでよ。
「なんなら私より先に気づいてたような気さえするわね。」
「えぇ……」
思わず困惑の声が漏れる。
秘匿くんさぁ……。
というか今更ながら恥ずかしくなってきたな。なんだよ、『観察、蒐集、秘匿』って。なにより、わざわざ難しい漢字のほうの『蒐集』なのがまた……キツい。
───まぁ、それでも。あのときの覚悟を後悔したことは一度もないのだが。
涙の跡を拭い、乱れた衣服を整え、背筋を伸ばして前を向く。
───講師の教えを思い出すまでもない。
まとわりつく泥のような緊張感のなか進む廊下。
立ち並ぶ扉の森を抜け、城の中で最も大きく、重厚な扉の前で足を止めた。
硬質な音が三度鳴り響く。
「お忙しい中すみません、お父様。シャロンです。お父様にお話があって参りました。少しお時間を頂けないでしょうか。」
「……シャロンが、私に?
───良いだろう、入りなさい。」
一向に晴れる気配のない緊張。どう見ても届かないドアノブ。
───仕方ない、か。
そっと一息。手を翳して魔力を放つ。
届かないはずのノブが回り、通りすがりのメイドが驚いたように目を見開いた。
「失礼、します。」
「よく来たな、シャロン。そこに掛けるといい。……ルーファス、すまないが少し外せ。」
心得た、とばかりにそっと一礼をした執事が退室していく。
「それで?私のお姫様が何のご用かな?
……転生の件かい?」
まさかの先制攻撃に思わずたじろぐ。
いやほんとにバレてんのかよ。
「そう……です、が、少しだけ違うかもしれません。」
「……ほう?」
「私はお父様にお願いが……いえ。私は、お父様と交渉をしに参りました。」
『続きを話せ』と言わんばかりの沈黙。
「私からの要求はひとつです。私が、『結婚しない』という選択をすることを許して頂きたい。」
「なに?お前は自分が何を言っているのか解っているのか?
───いや。解っているからこその『交渉』、か。
先程の許可と引き換えに、政略結婚と同等かそれ以上の価値あるものを差し出そうと、そういうわけか。」
「はい。その通り、です。」
「……そうか。ならば言ってみろ。お前は、何を出せる?」
───静かに、息をつく。
「とある魔法の、原案を。」
「魔法、だと?それに原案とはどういうことだ。」
意味がわからない、とばかりに眉を顰める父。
「既存の魔法と、前世の知識を元に作った新しい魔法、です。一応完成はしているはずですが、まだ試運転が足りていないないため原案、とさせてください。」
「未完成の魔法を提供すると?それは───」
「すみません。ですがお許しください。これは容易に試運転をできる代物ではないのです。」
「……シャロン。お前、何を作った。」
絞り出すような声色が響く。
覚悟を、決めろ。
自分の願望のために世界を危険に晒す、自分勝手な覚悟を。
きっとこの魔法は世界の情報戦の在り方そのものを変えてしまうだろう。───それでも。
───"最悪の状況"から切り返すべく生み出した、私の奥の手。
「他人の精神に干渉する、魔法です。」
いつもどこか余裕を滲ませている父が、驚いたように目を見開いた。
「精神に干渉、だと。何を言っている。それは」
「具体的には対象の記憶から情報を抜き取ったり、理論上の話ですが、対象を強引に操ったりもできる……はずです。
───流石に人間を相手に試したことはありませんが。」
執務室が沈黙に染まる。
父が考えていることは察しがつく。
母譲りの整った顔立ち、父譲りの強い魔力。そして前世に由来する早熟かつ高水準な知性。自分で言うのも何だが、高位貴族の結婚相手として最上と言っても過言ではないだろう、多分。
最高級の政略的価値を持つ娘と、眉唾物の新魔法。
本来ならば比べるまでも無い程のレート違いな交渉、だけど。
でも、それでも断れないはずだ。彼が国を護る辺境伯である限り。これは。この交渉は。……この魔法だけは。
敢えて慎重に、緊張した面持ちで言葉を紡ぐ。
「───これじゃ足りませんか?……えっと、どう、すれば」
「それが本当に、可能なのだとしたら。これはとんでもないことだ。解るな?」
「はい。……ですので対抗手段も用意してあります。」
「──む。そ、そうか。なら、いい。
お前の有する精神魔法?とやらとその対抗手段と引き換えに、先程の要求を飲もう。」
「本当、ですか」
視界が明るく広がっていく。
受け入れざるを得ないような物を差し出したとはいえ、一世一代の大交渉を成功させたのだ。抑えきれない喜びが溢れ出す。
「あぁ。」
静かに頷く父。
「ありがとう、ございます!───失礼しますっ!」
浮き足立つ身体を抑え、丁寧に一礼して執務室を出
「あっ、すみません。件の魔法に関しては後ほど綺麗に清書したものをお渡ししますのでっ!」
危うく忘れるところだった……。
「あぁ。楽しみにしているよ。」
父の苦々しい表情に若干の罪悪感を覚えながらも執務室を後にした。
胸を張って堂々と廊下を進む。交渉の達人(仮)の凱旋だ。
「上手くいきましたよ、お母様!お父様に許して頂けました!!」
思わぬ吉報に目を見開く母。
「え、えぇ?……なぜ許して頂けたの?」
「ふふん。私のオリジナル魔法の原案との交換条件を持ちかけたのですっ……」
「しれっと凄まじいことを……
さて。ごめんなさいねシャロン。喜んでいるところ悪いのだけれど、用事があるので少し外すわ。」
「え、は、はい。わかりました。
───あ、あと。その。……ありがとう、ございました。こんな私を大切に、思ってくれて。本当に、嬉しくて……それで」
「え?ふふ。何を言い出すのかと思えば。そんなの当たり前でしょう?
というか、母親に愛されて礼を言う娘がどこにいるのよ。この私の娘なのですから、もっと堂々と可愛がられなさい。」
母はそう笑って部屋を出て行った。