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コロナ以上友達未満  作者: 赤狐
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第4話 黒い海 前編

 江ノ電と並走し、鎌倉高校前駅を通り過ぎた頃には、すっかりと日が暮れていた。


 ポロを近くの時間貸し駐車場に停めて、片瀬東浜海水浴場に徒歩で向かう。

 国道一三四号線の横断歩道を渡って、白い柵の切れ目から遊歩道のスロープを降りる。すると目の前には藍色に染まっていく夜空と、濃紺のインクを流し込んだような相模湾が広がっていた。

 三日月のようなカーブを描いた浜辺に沿って、等間隔に暖色の明かりが灯っている。橋梁の先端には巨大な江の島のシルエットが浮かび、その内側では海面が陸地の光を反射して、黄金(こがね)に煌めいていた。


「夕焼け、見逃したな」


 坂城は、マスク越しに潮の匂いを感じながら呟いた。


 湘南海岸の砂には、火山噴出物の黒い岩滓(がんさい)、スコリアが含まれている。相模湾全体が暗い色合いなのはそのせいだ。夕日が沈むと、眺望がより一層不明瞭になるため、できれば明るい時間帯に訪れたかった。

 だが中嶋がサービスエリアに立ち寄り、長時間売店を物色していたせいで、当初の予定より大幅に遅くなってしまった。彼女の自業自得とはいえ、やや自責の念を抱いてしまう。


 中嶋は、コンクリートの階段から浜に飛び降りた。トートバッグを後ろ手に提げながら、江の島の夜景を見渡している。

 それから、うん、と小さく頷いた。


「充分だよ」


 中嶋は、上半身を捻って振り返ると、満足したように八重歯を見せた。

 坂城も続いて足を踏み入れる。スニーカーの裏に、柔らかな砂地の感触がした。サンダルを履いてくればよかったな、と少し後悔する。


「ねえ、せっかく二人で来たんだから、水を掛け合うのやろうよ」


 うきうきとしたテンションで提案する、中嶋。

 今にも渚へ駆け出そうとする彼女を、坂城は慌てて手で制した。


「いや、人目が気になるだろ。もう学生じゃあるまいし」


 夜の片瀬東浜海水浴場は、閑散としていた。

 お盆の時期とはいえ、新型コロナウィルス感染症拡大の予防のため、海水浴場開設の中止が決定し、海の家やシャワーも設置されず、監視員も不在だからだろう。

 だがその状況下でも、むしろ人気のなさを好機と見て、海に入らずにビーチで談笑をしている行楽客のグループや、荷物が置かれたブルーシート、小型テントが点在していた。

 通常時より少数とはいえ、人前で中嶋と二人で戯れるのは恥ずかしいし、マスクを付けていない彼女のことを、周りから咎められないかが気になってしまう。

 中嶋は自覚していないのか、不思議そうな表情をしていた。


「べつにいいじゃない。どうせ、世界はコロナで終わってるんだしさ」

「どういう意味だよ」


 ポロの車内で聞いたその台詞に、坂城は今度こそ食いついた。中嶋はより怪訝そうにして、小首を傾げている。


「そのままの意味だよ。もう取り返しがつかないほど、コロナが蔓延しているんだから。ここから元の日常に戻れる未来なんて、とても考えられない。東京オリンピックは延期の末に完全中止になって、日本経済は壊滅的な打撃を受けて、広告デザイン業界も仕事が激減して、コロナの感染者は後遺症に苛まれて、重症者数も歯止めが効かなくなって病床不足になり、世界中でさらなる感染爆発(パンデミック)が引き起こされる――私達に待ち受けているのは、そんな衰退していくだけの未来だよ」


 中嶋はゆっくりとした歩調で、海水浴場内を散策し始めた。

 彼女の足跡が、砂上にいくつも連なっていく。


「どうせお終いなら、他人の目線を気にするのも、息苦しいマスクをつけることも、コロナ自粛だって、全部馬鹿らしいよ。それともアキは、世間の空気を読んで、最後の最後まで我慢し続けるって言うの?」


 彼女のか細い体が、微かに震えていることに気付く。それはまるで、静かな怒りを湛えているかのようだった。

 坂城は刺激しないように、できるだけ穏やかに話しかける。


「お前は大袈裟に考えすぎだよ。もうしばらくしたらコロナも終息して、きっと元通りになるさ」

「そんな保証、どこにもないでしょう?」


 中嶋は、足元に目を落とすと、地面にサンダルの先端を差し込んだ。


「それに、そんな誰にでも言える答え、アキには求めてない」


 そのまま前方へと、砂塵を蹴り飛ばす。

 そしてにこりもとせずに、中嶋は向き直った。


「だからお願い、ね?」


 坂城は観念したように吐息を漏らして、自分の頭をガシガシと掻いた。


「あーもう、わかったよ」


 そう答えると、彼女はわずかに顔をほころばせた。その表情はどこか儚げで、疲弊の色が滲んでいるようにも感じられた。


「アキはやっぱり、優しいね」


 中嶋は身を翻すと、海へ向かって駆け出した。坂城は軽く悪態をつきながら、その後を足早に追いかける。


 波打ち際に着くと、スニーカーとソックスを脱ぎ、チノパンの九分丈の裾をさらに捲って、仄暗い海面に足を浸した。水温は想像していたよりも冷たくなくて、日中の熱がわずかに残っているかのようだった。

 浅瀬で待ち構えていた中嶋から、勢いよく海水を浴びせかけられる。


「それ、それ!」

「おい、顔はやめろって」


 マスクが濡れて、鼻に密着して息苦しい。外してポケットにしまうと、中嶋はより嬉しそうな笑顔を見せた。

 二人でひとしきり水を掛け合うと、砂浜の上に並んで仰向けになった。無数の星が散った夜空を見上げながら、大きく深呼吸する。

 その後にもう一つ、密やかな息づかいが続いた。


「最後ぐらい、好きなことをやりたかったんだ」


 潮騒の音が、夜の静寂に残響している。

 坂城は、傍らで寝転がる中嶋へ顔を向けた。

 彼女も同じように、切れ長の目を細めて見返している。


「私を連れてきてくれて、ありがとう」


 坂城は無意識に、中嶋の掌に触れようとした。だが途中で、思い留まる。


「俺とお前の関係じゃないか。遠慮するなよ」

「私とアキの関係性、か」


 中嶋はもう一度、目線を夜空へ戻した。


「それは一体、どんな関係なんだろうね」


 しばらくの間、二人は上半身を起こして、白く泡立つ波頭を眺めていた。海風が陸に吹き付けて、鼻腔の奥をいがらっぽくさせる。

 ほどなくして、中嶋がゆっくりと囁いた。


「私はもう少しここにいるから、アキは先に車へ戻っていいよ」


 坂城は、なにも言わずに頷いた。

 立ち上がって、シャツとチノパンに付着した砂を払い落とした。ソックスを詰めたスニーカーの踵部分に、指先を引っ掛けて拾い上げる。

 そして膝を抱えて座る彼女を一瞥してから、砂地を踏みしめて歩き始めた。


 足の裏が、湿った感触から温かい砂粒になり、やがてざらざらとしたコンクリートに到達する。

 国道一三四号線へ繋がる石畳のスロープを上っていると不意に、突風が背後から襲いかかった。その渚を経由して運ばれてきた磯の香りと波の音に紛れて、女性の悲愴な声が聞こえたような気がする。

 頭の中では、フードコートでの彼女の言葉が反復(リフレイン)されていた。


 ――消えてしまいたいなあ。


 坂城は足を止めた。もう一度、中嶋が座り込んでいた波打ち際を見通す。

 その遠くの暗がりは、晩靄(ばんあい)に覆われたように不鮮明で、人影は一つも見当たらなかった。

 今来た道を、急いで引き返す。砂浜の起伏に足を取られて、何度か転びそうになった。息が荒くなり、心臓が大きく脈打っているのを感じる。


 嫌な予感が、急速に膨れ上がっていく。


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