『152話』養子の娘を蔑む夫婦After
一人暮らしを始めて2年が経った。家を出てから随分と生活能力が上がった気がする。大学に通いながらバイトもしつつ、自炊もする。洗濯や掃除も効率よくできるようになった。
岩槻あかねは自宅アパートの鍵を開けた。
「ん?」
違和感を覚えて、そっとドアレバーを回し、中を覗く。何やら話し声がきていた。
あかねは一人、苦笑を浮かべた。
「また来たの? 2人とも」
以前、あかねが養子として引き取られた家で生まれた双子の妹と弟、ゆきねと幸也だった。
「おかえりー」
「今日遅かったね」
当たり前のようにテーブルでそれぞれの宿題をしていたらしい。そして、もう1人。
「あれ、あなたは」
少し居心地悪そうに会釈をしたのは、モモの友人であり、自分の人生の転機のきっかけを作った高校生の少年だ。
「お邪魔してます。すみません、勝手に。この子達に連れ込まれてしまって」
強引なところがある妹達には困ったものだ。
あの時のメンバーで何度か食事に行ったことがあり、奏介があかねの背中を押したことは知っている。
「菅谷君、久しぶり。元気そうね」
「あかねさんも。あの……あれから、特別養子縁組は解消してないって須貝から聞きましたけど」
「そうなの。世間体が〜とか親戚の目が〜とか言い訳してね。そのわりには時々嫌味とか言ってくるのよ」
ため息。以前はもちろん辛かったが、今はノーダメージである。成人している身としては、親に依存しなくても生きていけるのがありがたい。
「ちなみに、あの人達、僕らの教育に失敗してるから」
と、幸也。
「そうそう。お姉ちゃんの影響で性格が悪いとか普通に言ってくるから」
ゆきねは意に介さない様子で肩をすくめる。
あかねは息を吐いた。どうやら、養父母は、あかねを引き取った頃の優しさを完全に失ってしまったようだ。
(なんで変わっちゃったんだろ。わたしの、せいなんだろうな)
とても切ない気分になる。3人で暮らしていた期間は長かったように感じるが、双子の出生で世界が反転した。
あかね自身も双子に思いをぶつけそうになったことがある。この子達さえいなければ、と。
(ううん。全部巡り合わせと、運が悪かっただけよね)
誰を恨んだって仕方ない。誰のせいにしたって、仕方ない。
「あかねさん、大丈夫ですか?」
はっとする。双子はきゃっきゃっと宿題を教え合っているが、奏介はこちらを見て心配そうにしている。
「え、ええ。ちょっと、考え事を」
「姉ちゃんは、自分が養子にならなきゃ良かったとか僕らが生まれなきゃ良かったとか色々考えすぎて思考ストップしてるんだよねー」
「ほんとママ達って凶悪。暴言吐いたら、吐かれた人はどういう気持ちになるかってわかんないんだもん。だからお姉ちゃんは気にしなくて良いと思うんだけど、それは無理なのよね」
「う……」
時々心を読まれているのではないかと疑うときがある。
奏介は少し考えて、
「まだあかねさんのことを悪く言ってるんだ」
「言ってる言ってる。家の恥だとかなんとか。僕らも姉ちゃんのところに行くなって言われてるよ」
「養子縁組解消してるなら、考えるけど、普通に兄弟妹だし、良いでしょ、別に」
と、その時。ノックの音がした。
「ちょっと待っててね」
あかねはそう言って玄関へ。
「はい、どちらさ」
少し開いたドアから溢れ出るように踏み込んできたのは、岩槻父母だった。見知らぬスーツの男性が後ろで控えている。
「ゆきねと幸也を返せっ! この泥棒娘っ」
「勝手に未成年を連れて行って良いと思ってるのか!」
ヒステリックな叫び、詰め寄られたあかねは、目を瞬かせ、
「……はぁ」
肩を落とした。
「まぁまぁ、落ち着きましょう。岩槻あかねさんですね? 私、こういう物です」
見知らぬスーツの男性が名刺を差し出してきた。
「……弁護士さん?」
「ええ。家を出たにも関わらず、妹さんと弟さんを勝手に家へ連れ去って帰宅させないと聞きまして。親権はご両親にあります。このままだとあなたは未成年略取、誘拐犯ということになりますけど」
「そうよ! 養子の分際で好き放題! 本来なら、ゆきねと幸也はあんたと関わりなんて皆無なんだから!」
「観念しろ、あかね。ゆきね達を返すんだ」
あかねはこめかみを押さえた。頭痛がしてきた。
「あかねさん、大丈夫ですか?」
玄関へ出てきたのは奏介である。
「ああ、ごめんね。こっちは大丈夫」
と、両親が奏介に気づいたようだ。
「あ……あんたは、失礼な高校生!!」
「そ、そうか。そういうことか。お前ら、出来てたってことか。結託して我々を陥れようとは」
弁護士が2人を抑えて、前に立つ。
「とにかく、ゆきねさんと幸也君はどこですか? 部屋にいるのでしょう? 警察を呼びますよ」
3人とも言っていることが滅茶苦茶だ。
「俺、あかねさんの友人の菅谷と言います。えーっと初手暴言でよくわかなかったんですけど、弁護士さんは、あかねさんがゆきねちゃんと幸也君を家に連れ込んで家に返さないから誘拐だと言いたいわけですね?」
「ええ、そうです」
奏介は少し困ったように笑う。
「んー。信じるのは弁護士さんの自由ですけど、そこのお二人はこちらの娘のあかねさんに長年虐待を繰り返していたんですよ」
弁護士の表情が固まる。
「ぎゃ……虐待……?」
「はい。それで家を出ました。精神的虐待でひどい言葉を年中ぶつけられてました」
あかねが澄ました顔で言うと両親が顔を真っ赤にする。
「また人聞きの悪いことを言い出したな!?」
「何がどう虐待なのよ!? 20年間育ててやったのに」
弁護士が、ごくりと息を飲み込んだ。「本当、ですか? う、嘘は良くないし、後でバレますよ」
「自分の娘に出会い頭に『泥棒娘』とか叫ぶ親ってまともなんですかね?」
弁護士、黙る。
「ちょ、ちょっと、あれはあかねがゆきね達を頻繁に連れて行くからつい、口を出た言葉で」
「つい泥棒娘って言っちゃったんですか? ありえないと思うんですけど。ていうか、ゆきねちゃん達はあかねさんの所に逃げてきてるんじゃないですかね? 泥棒呼ばわりされて辛くなって姉のあかねさんのところに来たのかも」
と、家の奥からゆきね達が出てきた。
「お姉ちゃぁんっ! まだ帰りたくないよぉ、この人達こわいっ」
2人であかねにしがみつく。
「まだ帰りたくないっ」
「やだやだっ、お姉ちゃんと一緒がいい!」
弁護士顔面蒼白。両親はプルプルと震え始める。
「まぁ、弁護士さんこんな感じなんですよ。あかねさんが悪いわけじゃなくて、思い込みの激しいその方達の問題です」
「待ちなさいよっ!」
岩槻母、物凄い形相だ。
「黙って聞いていれば。わたし達がゆきねと幸也に……血の繋がった大事な我が子に虐待なんかするわけないじゃない」
「血の繋がった大事な我が子以外には虐待する!ってことですかね。最低すぎて言葉が出ないです。そもそも誰に対しても虐待するのはご遠慮下さい。とりあえず、児童相談所に連絡しますね」
奏介はあきれたように言って、スマホを取り出した。
「くっ……! 覚えてなさいよっ」
「あ、あかね。今日中にゆきね達を家へ返さなかったら警察に連絡するからな!」
父母がそれぞれ捨て台詞。
あかねはため息を吐いた。
「言われなくても毎回6時には送り届けてるでしょ」
3人はギャーギャー言いながら逃げて行った。
「……ちょっと、頭おかしくないですか」
「……うん」
奏介、あかね共にドン引きである。
と、ゆきねと幸也は何やらヒソヒソ話をしている。
「ねぇ、二人とも。あんな対応して大丈夫なの? 帰った時に本当に暴力とか暴言とか」
あかねが問うと、
「大丈夫!」
と、幸也。
「そうそう。殴られそうになっても避けられるし」
ゆきねが言って、
「ていうか、絶対当たらないよね」
笑い合うゆきねと幸也。何か、企んでいるようにも見えた。
それからしばらくして、奏介が街で3人に再会した時のこと。
「え……3人で暮らしてるんですか?」
「あー、うん」
苦笑を浮かべるあかね。それぞれ手を繋ぐゆきねと幸也はご機嫌だ。
「え、まさか、本当に虐待で逮捕……とか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
ゆきねが片目を閉じてみせる。
「菅谷のお兄さんが思ってるようなことにはなってないから、大丈夫」
「そうそう。ただ、僕らが姉ちゃんと暮らしたいって話したら、パパママからオッケーもらえたんだよ。円満ね。てか、岩槻家の後継ぎはちゃんとするしね」
双子と両親の間でどんなやりとりがあったのか不明だが、中々の逸材のようだ。
「ありがとね、菅谷のお兄さん」
声を揃えて礼を言われ、奏介も苦笑を浮かべるしかなかった。