中島保弘after
奏介いじめ原因の中島先生です。
中島保弘は四時間目終了のチャイムが鳴ったのを確認し、算数の教科書を閉じた。
「今日はここまで」
日直が号令をかけ、教室内は開放感に包まれた。
「じゃあ、給食の準備な。当番、白衣着たら廊下に整列」
中島はそう声をかけ、自分も白衣を着る。
桃華小学校五年一組。この教室のプレートにはそう表記されている。
先日まで産休の教員の代わりとして桃華学園高校に勤務していたが、こちらに空きが出来たとのことで異動させてもらったのだ。さすが小中高一貫の学校、こういった融通が聞くのは凄いと思う。
「先生早くー」
廊下に並んだ児童が手を振っている。
今日はやけに素早い。
「まったく、カレーの日は張り切るよな」
中島は苦笑いで声をかける。
特に男子がテンション高めだ。
「がっこのカレーってめっちゃうまいじゃん」
「そうそう、おかわり楽しみだよな」
普段ませている分、可愛く見える。
「せんせーさ、彼女に作ってもらってんでしょ?」
女子二人がニヤニヤしていた。
「そういえば家庭科の根塚先生と仲良さげだよね」
「いないって言ったろ?」
さすが高学年女子である。
カレーと彼女の話をしながら、給食準備室へ。すでに給食ワゴンが届いていた。
「気をつけて押せよ」
クラス名が書かれたワゴンにはカレーの入った食缶やサラダが入ったボウルが乗っている。当番は教室までこれを運び、全員に配るのだ。
しかし。
「気をつけてワゴンから下ろせよ。危ないからな」
給食ワゴンを教室に入れて、一人の男子が食缶をテーブルへ置こうとした瞬間。
「うわっ」
手元が狂ったのか食缶が落下し、蓋が弾け飛び、中のカレーが床にぶちまけられたのだった。
その日から、ヒソヒソ声が聞こえるようになった。
「ムカつくよな。おかわりなしだぜ?」
「重いんだから普通気をつけるだろ。バカじゃん」
「あいつ、無視」
○
放課後。
奏介は帰宅前にペットボトルの水を買おうと、自販機コーナーへ向かっていた。コンビニやスーパーよりはるかに安いのだ。
「……ん?」
自販機コーナーから見たことのある背中が出てきた。
彼は何やらふらふらと隣の校舎へ入って行った。
(中島保弘……か)
小学校の方へ異動になったと聞いたが、少し様子が気になった。ちなみに小中学校に自販機はないので教師は高校の方へ買いに来ることがあるのだ。
彼の背中が見えなくなったのを確認して、自販機コーナーへ。
「ん?」
ヒナが一人でオレンジのパックジュースを飲んでいた。
「んん?」
彼女がこちらを向く。ストローをくわえたまま目を瞬かせたヒナは、
「やっ、菅谷くん」
笑って手を振った。
「ああ、一人?」
「モモがそこにいるけど」
入り口から死角になるので、販売機の前でしゃがんでいた彼女も奏介に気づいて首を傾げる。
「お疲れ様、菅谷君」
近づいてきたモモはペットボトルのレモンティーを持っていた。
「で、後一人は?」
いつものメンバー一人がいないと違和感が。
「家の用事で先帰ったよー。ボク達ももう帰るけど」
「……どうかした?」
モモにそう問われ、はっとする。
「いやなんでもない」
すると、ヒナがこちらを見上げてきていた。
「君も考え事?」
首を傾げる。
「君も?」
「さっきまで中島せんせがここで唸ってたからね。なんか悩んでるみたいで」
「わたし達が来てもしばらく気づかなかったくらい」
「……悩み事」
異動してそこまで経っていないのにもう悩み事が出来たのか。
「よく分からないけど、カレーという食べ物をどう思う? って聞かれたから、ボクは断然ビーフカレーって答えといたよ」
ヒナが親指を立てる。
「何に悩んでるのかまったく分からないな」
頭がおかしくなったか。
「でも好きなカレーの話をするようなテンションじゃなかったわよね」
「ほんとにね。真剣な顔だったし」
奏介はペットボトルの水を自販機から取り出して立ち上がった。
「まぁ、いいや」
するとヒナはくすくすと笑い、
「君のことだから、中島せんせと何かあったんでしょ?」
「ああ、まぁね」
するとモモも、微笑んだ。
「相変わらずなのね」
「それじゃ、また」
「あ、そうだ、またお願いすることがあるかも。今度話聞いてね」
するとモモも同調するようにうなずいた。二人からの相談なのだろうか。
○
嫌な予感はしていたが、数時間後にばったりだった。
バイト先のスーパーにて、品出しをしているところに中島が近づいてきて、目が合ったのだ。
「あ……」
目を見開いて固まるスーツ姿の中島。奏介はため息を吐いた。
「いらっしゃいませ」
「あ、ああ」
中島は慌てた様子で離れて行ったのだが、すぐに戻ってきた。
「……何かご用ですか?」
後ろに立たれると落ち着かない。
「一つだけ、聞かせてくれ」
声が震えていた。
「なんですか?」
「カレーを……カレーを食べられなかったら、人を恨むものかな?」
「何を言ってるんですか」
「いや、その」
奏介はため息を吐いた。
「ちょっと、待っててもらえます? もうすぐ休憩なので」
場所を店裏に移した。悩みに悩みまくっている様子の中島の話を聞くことにしたのだ。不本意ではあるが。
「それで?」
奏介は持ってきたコートを着て前を閉じた。中島と同じように店の壁に背中をつける。
「今、五年生を受け持ってるんだ。一昨日の給食がカレーで、一人の男子生徒が間違えて食缶を落としてしまって」
「……もしかして、床に」
「ああ、全部だった」
中島のクラス分の給食が一瞬にして消えたわけだ。悲惨すぎる。
「他クラスから分けてもらったり、給食室に余ってた分を少しもらったりしてなんとか確保したんだけど、当然おかわりはなくてね。それでこぼした男子がカレーを楽しみにしてた他のクラスメートから悪口を言われるようになったんだ。昨日と今日も続いてたから、もしかするとこのままいじめになるかもしれない。……どう注意をしたら止めさせられるかをずっと考えていて」
あれから、少しは反省したようだ。口攻撃でぼこぼこにされた相手に相談しようと思うほど追い詰められているよう。
「段々エスカレートしていく感じしますね。でも、無理ですよ」
「え」
「一度そうなると、先生が注意しても止めません。カレーを溢した悪者を皆でいじめ始めるまで秒読みです」
「う……」
分かっている。注意をしても無駄だ。自分が見ていないところで色々言われているらしいのだから。
「このままだと君と、同じような思いをさせてしまうかもしれない」
「別に同じような思いはしないでしょう。俺の時は他ならぬ中島先生が原因でいじめ起こってるんですよ? 今回はカレーなんでしょ?」
「うう」
改めて言われると後悔が胸に突き刺さるようだ。
「それに起こったいじめを止めるなんて無理ですから」
冷静な奏介の声にはっとした。
「注意して止めるような子はそんな事やらないし、一人の教師が割って入っても、学校全体でどうにかしようと思っても無駄です。よく、いじめを止められなかったとしてマスコミに責められている学校の校長がテレビに出てますけど、無理なんですよ。一度向けられた悪意をなくして仲良くするなんて絶対に無理です」
奏介は少なくとも俺はそう思っている、と付け加えた。
「え、じゃあ」
「その生徒をいじめっ子から離れさせるか、または原因を取り除くことですね。今回は……そうですね。まだ出来ることがあると思いますよ」
「できる、こと?」
「五年生ですよね? 家庭科の授業ってあります?」
「あ、ああ」
奏介の助言はかなり大がかりなものだった。それでも、試してみようと、思った。
○
二日後、家庭科調理室にて。
中島は家庭科担当教師の根塚と並んで教壇とホワイトボードの前にいた。目の前には五年一組の子供達がそれぞれ調理台のそばに座っている。皆、わくわくした様子でそわそわしている。
「と、いうわけで、みんなでカレーを作るからな」
根塚に頼んでカレーの調理実習の時間をとってもらったのだ。
そう、先日お腹一杯食べられなかったカレーである。
「野菜は根塚先生の切り方をよく見るんだぞ?」
「はーいっ」
そして、一、二時間目を利用して行われたカレー調理実習は好評に終わった。もちろん、試食の時間はかなり盛り上がった。やはり、班ごとに別に作ったからかそれぞれ味が違うのだ。
「ほら、おかわりあるぞー」
鍋を持って子供達の席を回るが、お腹いっぱいと言っている子が多い。
そして、
「ほら、鈴木。お前の主催なんだからもっと食べろ」
中島が声をかける。
例のカレーを溢してしまった子だ。
「あ、でも、おれもお腹いっぱいで」
照れた様子で頭をかく。
「おいおい、カレーパーティ主催者なんだから食えよー」
「ほんとほんと、主催頑張れ鈴木」
彼の周りには友人達の姿があり、楽しそうに話しながらカレーを食べている。
このアイディアの根本は奏介だが、どういう風に進めるかを決めたのは中島と鈴木なのだ。
カレーの恨みを晴らす。この方法はどうやら正解だったようだ。鈴木は再び仲の良いクラスの一員に戻れたらしい。
後日言われた。とてもシンプルな言葉だが、
「先生、ありがとう!」
と。
○
今度は自分の番だと奏介に礼を言いに行ったのだが、
「今回は原因が単純で良かったですね」
例のスーパーで品出しをしながら冷めた様子でそう言ってきた。
きっと、なんとなくで始まったいじめが、一番厄介なのだ。
それでも。
「今回はありがとう。……おれ、頑張るよ」
「ま、口だけにならないようにしてくださいよ。次は安易に高校生に頼るのは止めてください」
彼は最後まで塩対応だった