雨上がりに出会った君は。─3
「いや、 いつでも近くに居なきゃ守れないだろう? だから一緒に──」
私は笑顔で拳を振り上げた。
シズクさんのアゴに強烈な一撃──綺麗なアッパーカットが打ち込まれる。
そしてシズクさんは白目を剥いた状態でベッドに仰向けで倒れたけど、 私のベッドなので落とし、 両足を持ち上げて廊下へ引きずり出した。
「ここから下に降りて3歩右に進めばお風呂場が有ります。 とっくに沸かしてあるので勝手に入って下さい。 そして忠告です。 青いバスタオルは絶対に使用しないで下さい」
そう言って私は部屋の鍵を閉め、 物の整理を始めた。
いや、 だって流石の私でも男性を自室に招き入れて平然といられる訳じゃないんですよ。
ちょっとくらい、 お掃除もしたいんです。
……勉強道具ばかりですが。
──え? いつお風呂を沸かしたのかって? ふふ、 知りません自分でも。 朝じゃないですか? ぬるくてもまあ、 炊くくらい出来ますよね。 多分。
意外と何も言ってこないですし。
「よし、 こんなもので良いかな」
部屋の掃除が終わってもまだ帰って来ないシズクさんがちょっとだけ心配になり、 廊下に出てみると……まだ倒れてました。
すみません、 もう10分近く経ってるんですよ。 早く入ってきたらどうなんですかバカなんですか。
──違う、 失神させた私がバカなんだ。
「……お先入らせていただきます」
私はシズクさんの大きな身体を踏みつけ1階へ向かった。 怪訝そうな顔でマモルが見てくる。
凄い! 私インコの表情読取ってる!
……うん。
「うーん、 まだちょっとぬるいかな……」
お風呂に浸かっている私は、 流石に冷えたのでお湯を炊きなおし。
まだぬるま湯だけど、 男性が居る以上長居はしちゃダメな気がするんですよ。
だから我慢して入ってます。
てかあの人妖怪ですけどね。 今思うと妖怪と一緒に居ますね。 恐ろしい。
「ん……? 」
お風呂の窓ガラスに何やら蠢いているものが透けて見える。
大きさは大体180㎝くらいの──シズクさんと同じくらいのサイズ。
私ははっとし、 その蠢くものの上部を見ると、 仄かに青色をしてるように窺える。
もしかして──。
♢
「ちょっ、シズクさんですよね!? 今入って来てはダメですよ! 絶対ダメですからね!?」
大声で叫んだので、聞こえてない筈が無いのですが、そのものはそこから居なくなる気配が無い。
もしかして確信犯ですか!? 守ると言った側が襲いに来るんですか!? 最低です!!
そして素早く戸が開くと、そこには予想通りバスタオル一丁のシズクさんが居た──。
「お? 結局一緒に入るのか?」
「消えてください!!!」
私はシズクさんに熱湯をかけ、洗面器を彼の顔にはめて隠しお風呂場を走り抜けた。
本当に最悪です。
結構じっくりと見られた気がしました。いくら妖怪でもあれは犯罪です。訴えたいです。
本当に消えて欲しいです。
私は着替えを終え、マモルの前でずっと、ずうっと彼に対しての愚痴を言っていた。
心なしかマモルが無表情に思えます。興味……無いんですかね。
飼い主を心配してくれないのかな……。
「おう、ちょっと熱かったけど出て来たぞ」
「服を着てくだ……あ」
「ん? 」
私はバスタオル一丁で再び目の前に現れた害悪妖怪を睨みつけると、その視線は下腹部へと移動した。
青いバスタオル……。
「何でそれ……使ってるんですか。 私のお気に入りなのに……!!」
「いやあ、1番近くに有ったからな」
「死んで下さい」
私は無我夢中で彼の顔を殴り続けた──何度も何度も、何分も何時間も、 ずっと……。
そしたらまた彼は白目を剥いて倒れていました。
まるで殺人犯になった気分ですが、私のバスタオルを汚した罰と受け取っていただけるととても有難いです。
身に染みて分かるでしょう。 その行為がどれだけ私の心を傷つけたか。
あーあ、そのバスタオルとはお別れになりそうですね……私。
「あの、いつまで居るんですかね?」
「だから守るんだって言っただろう」
ご飯を食べていると、目の前の椅子に平気で座って来たシズクさんは偉そうに飯を寄こせと言ってきた。
何様ですか。そして代わりに新品のバスタオルを返せと言ったら黙りました。
私は仕方無く卵焼きを一欠片食べさせてあげましたが、彼はとても不満そうにします。
知りませんよ。 自業自得ですから。自給自足して下さい、 私は知りませんから。
「これから同居するのだから、もう少し食わせてくれても罰は当たらないと思うんだが」
「だから何様ですか。私はマモルと自分を食べさせるだけで一苦労なので、ご自由にどうぞ」
「養ってくれてもいいんじゃないか?」
「貴方、私のこと守るつもりあります?」
いい加減にしつこいシズクさんを寝室から締め出して、開かない様に鍵をかけた。例え妖怪だとしても、男性と同じ部屋に居るなんて不安なので。
勉強でもしようかと腰を下ろした直後、鍵のかかった扉がダンダンと叩かれる。シズクさんですよね間違いなく。壊すつもりですか。
「もし鍵が破損したら一万円以上した筈です。それと、扉の修理にもかなりの代金が必要でした」
──スマホを準備して何となく言ってみましたが、簡単に止まりました。臆病ですね。どれだけお金払いたくないんですか。
あ、お金無いんですかね。妖怪だし、
「シズクさん、貴方はお風呂場での前科があります。簡単に私のスペースに侵入出来ると思わないでください」
「何が前科だ。俺はお前を守ると言った筈だ美帆。ここを開けろ」
「入って来たら妖怪とか関係なく警察呼ぶので。それと勉強するから話しかけないで下さい」
「……お、おぉ」
何かが効いたらしく、シズクさんはそれっきり声も出さなかった。もしかしたら扉の前から居なくなっただけかも知れないけれど。
さっきはちょっと意地悪でしたか。ポテトチップスくらいは食べさせてあげてもいいかも。
「うわっ⁉︎ 何ですか、何か別の妖怪だと思いましたよ」
「俺は雨の妖怪だ……」
扉を開けたら、廊下でうつ伏せになるシズクさんが居た。気づくのが一歩遅ければ踏んでましたよ? それとも踏んであげましょうか?
……凄いやつれてるんですが。
「お腹、減ったんですか?」
やけに暗い表情で倒れているシズクさんに、立ったまま問いかけた。私が食べさせてあげなかったから、こんなに?
「仕方ないので、ポテトチップスあげます。一週間に一度しか買えないので、大切に食べて下さい」
「悪いな、少し腹が減っていた。しかし、少しもそそられない下着だ……」
「死んでください」
お腹が空いてた訳じゃないんですね。私の下着を、下から覗いてた訳ですか。へぇ、その上侮辱すると。何様なんですか。
生憎お洒落な下着なんて持っていないんですよ。お金なんてないので、安いの買ってるんです。シズクさんに見せたかった訳じゃないので。
「ポテトチップス、没収です。そのまま三日三晩飲まず食わずで飢え死にして下さい。さようなら」
鳩尾を力一杯蹴り上げたので、もう暫くは起きないでしょう。そのまま明日まで寝ていれば、朝には卵が一つ食べられるかも知れません。お大事に。
セクハラが止まらない非常識な妖怪さんに一瞥をくれて、扉を閉めた──。
♢
「美帆? 何か今日機嫌悪くない? 顔がいつもよりお地蔵様だよ?」
「それはどういう意味なの」
勿論今日の登校もまた恵夢と一緒。大体、友達とは一緒に行きますよね、家が近ければ。
偶然遭っただけなんですけど。
「とにかく顔に『不機嫌』って書いてあんのよ。何か嫌なことでもあった? 昨日のチャラ男が気に食わないとか?」
顔に書いてあるって、そんな訳ない。私は表情に出すの苦手だって知ってるでしょ。
でも、長く一緒にいると分かってくるみたいですね。
「恵夢にはあまり関係無い──かも知れないけど、今日は少し機嫌悪いかも。でも何でもないから、早く行こ」
「そーお?」
だって、私の家の前に居ると、中から変質妖怪が凝縮して来るんだもん。気持ち悪いよ。
さっき一瞬言い淀んだのは、恵夢も雨の日の大災害を目の当たりにした人物だから。その雨の妖怪であるシズクさんが、一つも関係がないとは言い切れない。
そんなことより、窓に張り付いて私を見つめるシズクさんにぞわぞわして早く逃げたい。
「あっ、そう言えばチャラ男って誰のこと?」
昇降口で思い出して、屈んで靴を履き替える恵夢に訊ねた。
恵夢が惚けた様に口を開けて、吹き出す。汚いんだけれど。
「忘れたの? 昨日の今日で? 流石にないわー」
「誰のこと?」
「ほら昨日、何か大したことないか何かの話のためだけに美帆を連れてったってゆーイケメン君だよ。同級生でしょ、同じクラスの」
「……あ、あの人か。とってもどうだってよくて覚えてなかった」
「おい」
確かに居ましたねそんな人。名前、何だっけ? 自己紹介誰のも聞いていなかったから分からない。
または聞いてたけど覚えてない。
でもあの人、何で好きな人がいるかどうか聞いて来たんだろう。
「おい外山、横田。お前ら昨日、入学式サボったろ! 初日からサボるとは何事だ!」
学年主任だそうな、屈強な男性教員にいきなり怒鳴られました。──あれ? あ、本当だ。昨日普通に帰っちゃいました。
「すみません。椅子を並べてる途中、男子生徒に話しかけられて直ぐに忘れちゃってました。これから気をつけます」
「忘れっぽ過ぎるだろ」
「私は単に面倒だったんですよね〜。美帆が帰る準備したし、『ま、いっか』的な流れで帰りました」
「お前は反省文な」
「うっそ! 高校最初の課題が反省文⁉︎ やっちったぁ」
隣で頭を抱える恵夢は、全然悔しそうな顔をしてなかった。寧ろ笑みを浮かべてた。
多分、反省文の方が退屈しないとかそんなこと考えてますアレ。勉強はどうせ簡単だから〜って。
「私は授業に出ていいんですか? 反省文、書きましょうか」
気になったので訊いてみたら首を振られた。次からは気をつけろ、と注意を受けただけで。
その隣で、より面倒な反省文を書く羽目になった筈の恵夢が「ザマァ」と笑っている。
恵夢、常識では反省文を書くことって、マイナスだから。
「──あ」
「あっ、おはよう外山さん」
教室の前で、昨日会った気がするイケメンさんが微笑んで来た。気楽に手も振ってる。
「昨日は急に居なくなっちゃったからビックリしたよ。何処行ってたの?」
「入学式を忘れてて帰りました」
「敬語やめてって。てか忘れたんだ?」
「話しかけられたら空っぽになる程忘れっぽいので。傘取りに戻ったのにインコの歌声に聞き入っちゃうとか」
「インコ飼ってるんだ? ……てか、それ俺のせい?」
「……さぁ」
背後で残念そうな声を漏らすイケメンさんを他所に、教室に入った──ら、何故か注目を浴びた。凄い、女子生徒達の目付きが鋭いです。
主に、イケメンさんと仲良さ気な、派手な女子達が。
「チッ、あの地味子舐めてるよなぁ。あっちゃん無視するとか何様だし」
「自分を何? お嬢様だとでも思ってんの? ボロ雑巾みたいな顔して」
──その女子生徒達が何やらヒソヒソと、ジロジロこっちを見ながら話してるけど、別に聞かなくてもいいよね。別に何とも思いませんし。
それより、あのイケメンさん名前なんて言うんだろう。後で名簿でも見てみようかな。
「外山さん、俺と昼飯食べない?」
何かと思ったら、今朝のイケメンさんでした。お昼ご飯を一緒に食べよう、と?
「……はぁ。何故」
「えぇ⁉︎ 凄い普通に返されたなぁ」
「あっちゃんだっせ!」
「うっせ!」
周りの方々含めて喧しい人と一緒にお昼ご飯を食べるのは、正直に嫌。そもそも恵夢と食べるので。
「俺さ、外山さんともっと仲良くなりたいなとか、思ってるんだけど。ダメかな」
イケメンさんは懇願するように掌を合わせてる。その行為は私には不快なものだった。
「お願いされて、仲良くするつもりにはなりません。『もっと』と言ってますが、仲良くなったつもりはないです。お昼ご飯の相手は既に決まっているので、また」
「ちょ、ちょちょちょ待ってって!」
周りの視線が集中して来るのが気分悪く、バッグを手にとって足早に廊下へ出たら、教室の少し先で右手を掴まれた。思わず、不快感を顔に出してしまいました。
「えっとごめん。……俺さ、外山さんに一目惚れしたっつーか」
「名前も知らない人に好かれても」
「知らないの⁉︎」
いきなり何を言い出すのやら。手を、放してくれたからまだいいですが。
イケメンさんは教室に駆け足で戻って行って、直ぐに駆け足で戻って来た。それから私の正面で立ち止まり、掌サイズのメモ帳に何かを記して、それを私に向けた。
「これが俺の名前。覚えてくれたら、嬉しい。今日は諦めるけど、この一目惚れから始まった恋は……んと、諦めないから!」
「……はぁ」
押し付けられたメモ帳に眼を向けていると、彼はまた駆け足で教室に戻って行った。何か変なことでも言ったのか、笑い声が聞こえて来た。
「如月亜月……」
それが彼の名前だそうです。