身許インモラリスト
とは言ってもカフカはやっぱり学校を休みがちで、たまに登校したと思ったら、大抵が午後の授業からだった。当然クラスメートからの心証は良くない。浮いた存在になっていると、隣のクラスの友達から聞いた。
カフカは四組で、私は三組だ。
彼女を助けに行こうにも教室を隔てる壁は厚すぎる。こんな時、我の強いお兄ちゃんならきっと気にせずにガンガン隣のクラスに押し掛けるんだろうなぁ、なんて思いつつも、校門をゆっくりと潜る制服姿のカフカを見て、今日は登校してくれた、と嬉しく思う私はやっぱり幼稚だった。
カフカが学校に来てくれたのは、きっと私のためだろう。
出席数は少ないが、以前よりはずっと多い。
放課後、図書室で彼女と会うたびに私の血圧は少し上昇した。
「遅いわよ。菜種。ここの部分なんだけど、表現おかしくない?」
私はカフカの執筆のアドバイザーという立ち位置に落ち着いた。
誰かの意見に耳を傾けたほうが、小説はより良いものになっていく、とカフカは嬉しそうに話していた。
彼女は速筆だった。私の提案や相談をすぐに反映させ、どんどんと物語を完成させていく。
私の好きな異世界転生ものだ。
物語が形付いて、途中まで読ませてもらったけど、これは間違いなく傑作だと思う。
だけど、展開に詰まるたびに彼女は浮かない顔をする。いわく、当人はあまり好きなジャンルじゃないので、物語の続きがどうしてもうまく思い浮かばないらしいのだ。
それでも、途中まで読んだ私の感想は、
「おもしろい!」の一言だった。友達だから評価を甘くしているつもりは一切ない。フィルターなしで見ても間違いなく彼女の作品は本物だった。
作り込まれた世界観に緻密な描写。実際にそういう国があるんじゃないかと錯覚してしまうほど彼女の異世界のリアリティーに満ちていた。
そんな作品に影響を与えていると思うとたまらなく嬉しかった。
「これは間違いなく傑作だよ!」
満更でもない少女をおだてて、ウェブサイトに投稿するようにアドバイスしたのは、二人だけの間で物語を完結してしまうのは勿体ないと思ったからだ。不特定多数の意見が貰えたら、それに越したことはないし、匿名で出来るので、恥ずかしがり屋の彼女にはピッタリだと思ったからだ。
「なんだか怖いわ」
はじめは戦々恐々としていたカフカにやり方を一から教えてあげる。
放課後、学校のコンピューター室を借りて、サイトへの登録を一緒にやることにした。
私たち以外の利用者が、気になるのかチラチラと視線をやっているが、気にすることはない。
カチカチとクリック音が響き合う中、私たちは有名な小説投稿サイトにプロフィールを入力していく。
「ねぇ、ハンドルネームってどうやって決めるのかしら?」
「んー、テキトーでいいんじゃない?」
「でも、名前というのは重要よ。作者と指針を表す記号だもの。真剣に考えなくちゃ」
「本名でやれば」
「そこまでネットリテラシー低くないわよ」
「じゃ、本名をもじるとかさ」
「なるほど。良いアイデアね」
彼女は頷いてから、キーボードを打鍵した。
ハンドルネームの欄にアルファベットが打ち込まれていく。
『kagawa natane』
「私の名前じゃない!」
彼女からキーボードを奪い取り慌てて、バックスペースを押す。まっさらに戻ったボックスを確認してからキーボードを返す。
「もう、カフカ、ちゃんと考えてよ
」
カフカはしばらく顎に手をあてながら、なにか考え付いたのか、床に置いていた鞄からルーズリーフとシャーペンを取り出すと、
「ちょっと良いアイデアかもしれない」
と再びペンを動かした。サラサラとアルファベットが綴られていく。
『kagawa natane』
「また私の名前じゃないの!」
同じ事を繰り返す彼女からシャーペンを奪おうと身を乗り出す。
「これで終わりじゃないわよ」
私を右手で制止して、またアルファベットをルーズリーフの罫線上に綴る。
そこには二つの名前が並んでいた。
『kagawa natane』
『mothiduki kahuka』
私とカフカの本名だ。
「なんで、私の名前……?」
「このアカウントは一人じゃないから」
なにも言わずにじっと画面を凝視していた少女はしばし口を閉ざしていたが、やがて、
「蟹」
と呟いた。
「は? カニ?」
「アルファベットを繋げて見たの。一部だけだけどね。カニってどうかしら」
「どうもこうももっと工夫した方がいいと思う」
「ふむ」
またしばし口を閉ざしていたが、やがて、
「蟹チャーハン!」
と叫んだ。
「え、なにが」
「ハンドルネームは蟹チャーハンでき決まり!」
「えー。冗談でしょー?」
なにがそんなによかったのだろうか。
得意気になりながら、彼女は細い指を動かし、カタカタと入力していく。
「えっ、ちょっとまってよ!」
「なによ」
「蟹チャーハンじゃYが足りないじゃん」
私たちの名前にや行はない。なんにしても名前のセンスが無さすぎる。
「ふふ。よく気づいたのね。だけど、ちゃんと理由があるの」
得意気に彼女は私を見つめて、
「Yの悲劇」
ちょっとうまいこと言った、という顔をやめてほしかった。
蟹工船、Yの悲劇……もしかして、彼女は私のためにこのアカウントを作ってくれたのだろうか。
アカウントを作る少し前に彼女が言っていた言葉を思いだし、私は少し悲しくなった。
「ウェブ上に保存されたデータはちょっとやそっとじゃ破壊されることはない。私が死んでも、電子の海を私の物語が漂い続けるの。それってなんだが素敵じゃない」
せつなげな少女の笑顔を思い浮かべるたびに私は胸が締め付けられる。
カフカが小説をインターネットに上げるようになったのは私への配慮だ。彼女の作品がいつでも読めるようにとアカウントを作ってくれたのだ。これなら私は自宅で彼女の小説が読めるし、スマホの画面で読み返すことも簡単だ。
カフカの体調はあまりよくないらしい。アメリカに留学しているお兄ちゃんを思い出したが、病気がちだったのは昔の話だったし、このときはピンピンしていたので、いつかカフカも元気になるんじゃないかと漫然と考えていた。
そんなことはない、と未来の私は知っているのだが、なんにせよ、蟹チャーハンの進水式は学校のコンピューター室で行われたのだ。