西日コンセンサス
カフカは小説を綴るのをやめた。
私の感想が決め手になったのだろうか、本人はそうとは言わないが、
「やはり私は読み専なのよ」
なんて寂しそうに本を開く彼女に私は罪悪感を感じていた。
嫉妬ほど醜い感情はない。
きっと素直になって、作品を誉めていれば、カフカの承認欲求は満たされて、モチベーションに繋がったのだろう。
いつしか後悔するようになった。それほどまでにカフカの小説は素晴らしかったのだ。その単純な感想を言えなかったのは、単純に私の心が弱いからだ。
謝りたかった。
謝って、正直に彼女を褒め称えたかった。
だけど、体の弱いカフカがまともに登校するのは少なく、私と顔を付き合わせたのは、それから二ヶ月が過ぎた頃だった。
試験期間中、いつもより早く放課後を迎えたので、道草がてら、駅前の本屋に寄った。買ってたライトノベルの新刊を買おうと自動ドアをくぐったところで、私の袖を引いたのは、私服姿のカフカだった。
「久しぶり」
学校は行かないの? とは聞けなかった。彼女の顔は一層青白く、ふっくり桜色していた頬はこけていた。
「奇遇ね。こんなところで会うなんて」
カフカの笑みはいつも以上に儚げだった。
「カフカも本買いにきたの? 小説?」
「ううん。私は参考書。試験の代わりに課題提出すれば内申評価してくれるっていうから」
この辺りで学習参考書を取り扱っている大型書店はここぐらいしかない。
どちらから申し合わせてもないのに、私たちはそれから連れだって、教科書ガイドが並ぶ棚の前に移動し、あーでもないこーでもないと言いながら、お互いの苦手科目を披露しあった。
本の虫だったカフカとは思えないほど、意図的に小説コーナーを避けているようにも思えた。
「カフカ、文芸書見に行こうよ」
私の提案にカフカは少しだけ考え込むようにうつ向き、小さな声で「いいわよ」と返事をしてくれた。
彼女は終始暗かった。私一人だけがやけにテンション高く、「あっ、この人の新刊出てたんだー」なんて声を弾ませる。
それを暖かい目で見守るようにカフカは微笑んでいた。
私が平台にあった一冊を手に取った時だった。
「菜種はそういうのも読むのね」
とカフカが感情のこもっていない平坦な語調で呟いた。
私がその時手にしたのはいわゆる新文芸と呼ばれるジャンルで携帯サイトで人気の作品を書籍化したものだった。
「うん。おもしろいよ。カフカは読まないの?」
「たまに読むけど、好きじゃない」
「なんで? 明るくて楽しい話ばかりじゃん」
日が傾いた廊下でした話を思い出していた。カフカは明るくて楽しい話が大好きなのだ。
「これらには大義がないんだもの」
ああ、そうか、と一人で納得した。
カフカはきっと『文学とはかくあるべし』という硬派な読書家なのだろう。
「小説は面白いかどうかじゃないの?」
これは私のポリシーだ。
どんな大義名分を並べたところで、大衆に理解されない物は塵に等しい。
つまるところエンターテイメントだ。
明治時代、小説を読んでいるとバカになると言われていたらしい。一昔前は純文学がライトノベルを見下し、今じゃライトノベルが携帯小説をバカにしている。
立ち位置が違うだけで、なにも変わらないのに、人は常に『下』を見つけたがるのだ。
「それは間違いじゃないと思うけど、これらの作品には誰の感情もこもっていないような気がするの」
カフカは空気を撫でるように一画を示した。
「作者も、出版社も……だれも、綴った物に感情を込めていない。責任を持とうとしていない。そんな気がするのよ」
「そんなことないでしょ。作者は頑張って面白いものを書こうとしてるし」
「独自性が無く、似通った作品が増えたのは、それが売れるからよ。流行りのジャンルを書かなければ見てももらえない。だから……」
「つまり需要があるってことでしょ。売れるものが面白いは間違いないじゃん」
「私はそうとは限らないと思う」
カフカは哀れむような目線を、並べられた書籍に向けた。
「こういうのはほとんど四六判サイズでしょ。装丁やサイズを大きくすることで、単価を上げて、売れ数でなく利益を出そうとしているの」
「高くても買おうと思えるぐらい良い作品ってことでしょ?」
「出版社は執筆者を育てるのではなく、一発一発ただの弾丸としか見ていない。人ではなく、ただの作品。使い捨てよ。作者もそれでいいと思っている。お金さえ貰えれば。単価が上がって、それでも買うファンをバカにしてるの。数字でしかない。誰のための物語なの」
カフカは何に対して怒っているのだろうか。商業主義とはそういうものではないだろうか。
「たしかにカフカの言うとおりかもね」
私は並べられていた一冊を手にとって、パラパラと捲った。真新しい紙とインクの香りが鼻孔をくすぐる。
「だけど、私はこの人のファンだし、ほんとうに素晴らしい作品を書いてくれていると思っている。そこに感情が無いなんて嘘だよ」
珍しく熱くなっているカフカが面白くて、私は思わず吹き出していた。
「人を楽しませるのが小説の目的でしょ。読者の気持ちを外野がアレコレ言うのはナンセンスじゃない。書き手の手を離れた物語はもう読み手のものだし、何を思うのも自由でしょ」
虚を食らったような顔を浮かべ、カフカは壊れかけのオモチャみたいに頷いた。
「そう、かもしれないわね」
「それに、悪くないもんだよ。異世界転生も」
「別に悪いとは言ってないわよ」
ふて腐れたように頬を膨らませる彼女をなだめ、私はレジに並んだ。
お兄ちゃんから誕生日プレゼントでもらった図書カードで会計を済ませ、一緒に店を後にする。