劣性ノベル
「それで、カフカはなに書いてるの?」
もうさすがに誤魔化せないと悟ったのか、カフカは少しだけ照れ臭そうに机の隅に追いやっていたノートを恥ずかしそうに開き、
「……小説よ」
と蚊の鳴くような声で教えてくれた。照れる必要は一切なかった。なぜなら私たちは文芸部で文章を綴る部活動だからだ。
「どんな話?」
カフカは本当に恥ずかしそうに耳を真っ赤にして、
「恋愛小説」
と呟いた。
「えー!」
思わず大きな声で叫んでいた。図書室の中の視線が一気に私に集まる。皆一様に眉間にシワを寄せていた。
慌てて、声を潜めて彼女の手を握る。
「読ませて!」
「だ、だめよ! まだ完成していないもの。それに……」
「それに?」
「私が書いてるのなんて、ほんと安っぽいロマンス小説だもの。初めて書いたの。だから、とてもじゃないけど、見れたもんじゃないわ。読むのは好きだけど、書くのは初めてだから……」
「えー、いいじゃん、読ませてよ。カフカの処女作」
困ったように彼女は眉間にシワをよせながら、首を横に振った。
「内容も文章も稚拙なの。ジュプナイルポルノにも満たないわ。世に出すレベルじゃ到底ない」
彼女は私一人を指して『世』と言っているのだ。なんだかそれがおかしくて吹き出したら、睨まれた。
「絶対にそんなことないよ。だって、ここにある本全部資料でしょ?」
「そうだけど……」
ポンと机の上に山積みにされた本の表紙に手をやって、私は彼女を見つめた。
病的に白い肌は本当にきめ細かく、まるでCGで毛穴を消していったようである。
「一つの作品を作るのに、これだけ心血注ぐなんてなかなか出来ないよ」
「何を言ってるの? 一から物語を作るのよ? テキトーに法則を構築することなんて読み手にも登場人物に対しても失礼じゃない」
私がなにか物語を書くとき、参考資料を用いることはほとんどなかった。せいぜい必要なときに応じて一冊か二冊パラ読みする程度だ。そうして個人的に満足するのだ。この物語には参考資料がある、どうだ深味があるんだぞ、と。
図書室にはページを捲る音が静かに響いていた。私たち以外にも多く利用者がいる。この空間においては、私は読書家と呼べるレベルに達していないだろう。
別に競っているわけでもないし、プライドがあるわけでもないのに、悔しさを感じるのはなんでだろうか。
「だけど、恋愛小説というジャンルは私には難しかったかもしれない」
浅くため息をついてカフカは握っていたペンを机に転がした。
「登場人物の心理がわからないの。実体験とかを綴れれば楽なんだろうけど、私は恋した経験とかないし……」
だからこそ『女生徒』を読んでいたのだろうか。恋愛小説ではないが、少なくとも思春期の心理描写は秀逸である。
「本で知るのは限界があるわ」
はふぅ、と物憂げのため息をつくカフカは可愛かった。
「カフカは恋愛小説読まないの?」
「多少は読むけど、どうしてもフィクション色が濃くて、作品の参考には出来ないのよ」
「フィクションなんだから別にいいじゃん」
「小説には説得力がないといけないと思うの。そりゃ、『春琴抄』みたいに自分のために目を潰してくれる男の子がいたら究極の愛だと思うけど……私にはソレに納得感を出させるほど卓越した技術がないし」
カフカは文字通り頭を抱えた。私にはよくわからない感情だった。
その時の私は創作活動にたいしてそこまで真面目に取り組んでいなかった。
ただ書きたいから書く。深くも考えず、こうしたいから書く。思い付いた展開や伏線を後先考えずにぶちこむ。ソレが私の執筆だった。いや、執筆というのも烏滸がましい。深い意味なんてなく、どこがで見たような薄っぺらい物語が並べられるだけ。
そんな勢いが長く続くはずもなく、飽きたら書くのをやめて、無理やり話を畳むので私の作品はいつも三万文字にも充たない短編ばかりだった。
だからカフカの悩みが、真に理解できなかったのだ。
「ねぇ、菜種」
「ん?」
カフカが顔を上げて正面から私を見据えた。
「恋ばなして!」
「えぇ」
突然女子中学生っぽいことを言い始めた。
ねだるカフカに私は一つ条件を出した。
私の恋ばなを聞く代わりに、カフカの書いていた恋愛小説を読ませるように、と。
私の提案に不承不承と頷いたカフカに、私は自分の初恋を語った。
五分もしない私の話を聞き終えたカフカは、あろうことか小学五年生の私の淡い恋の話を、「陳腐ね」と吐き捨てた。
今思い返しても腹立たしいが、
「小学五年生じゃ、所詮その程度か……」
反論の余地は一切なかったが、恥ずかしい話をさせられて、感想がそれじゃ、さすがにカチンと来る。
「惚れた理由が、足が早かったから、って……」
「も、もう、仕方ないでしょ。その年代はみんなそんな感じなの」
「単純だわ。どちらかと言えば、恋に恋してる感じ」
肩をすくめて呆れられる。
「もう、私の話はいいでしょ! さあ、話したんだから、カフカの小説読ませてよ」
「……仕方ないわね」
唇をすぼめながらカフカはノートを私に差し出した。
表紙を捲る。
カフカの丁寧な筆致に物語が彩られていく。
「あ」
その時の感情を、私は生涯、忘れることは無いだろう。
綴られていたのは、確かな『物語』。
人を同調させ、感動させる文章。生き生きと瑞々しい精錬された流麗なストーリー。
雑音が消え、誰かのしわぶきでさえ、BGMのように思えてくる。
それこそは、小説。
いままで私はなにを書いてきたのだろう。
恥ずかしくなる。
例えば『鳥が飛んでいる』と書くだけの私の文章はただの文字の羅列だ。
カフカの文章は、飛行している鳥の翼やさえずり、青空になびく羽毛、潮風の香りや鳴き声までもが、文字という情報を通じて五感にイメージを思い浮かばせる力を持っていた。活字が色づいて見えた。
なにも言えず、なにも言葉に出来ず、圧倒させられた私は、夢中になってページを捲っていた。
読み終わって数十秒、思考回路が焼き付き、シナプスをまともに伝達させることさえ出来なくなった。文に酔ったのだ。
酒や煙草による酩酊よりもずっと心地良い揺らぎに違いない。
「菜種……?」
ぼんやりとする私を心配して、カフカが声をかけてきた。
「あ、なに……?」
「どう、だった?」
「あー……」
ノートを閉じてカフカに返す。
カフカが小説を他人に読ませるのはこの時が初めてで、私が彼女の初めての読者だったらしい。
言葉につまった。
何て言っていいのか、私は迷った。
迷った末に、
「うん、まあまあ、かな」
と箸にも棒にもかからない、感想を呟いたのだ。
「まあまあ、か……そうね。ありがとう」
中途半端な感想を受けて、カフカは謎のお礼を私に告げた。
私は嘘をついた。
彼女の小説は既に完成されていた。初めてで優に私を越えていた。それどころか下手な商業作家にひけをとらないレベルだ。
彼女は間違いなく、人の感情を揺さぶる才筆だった。だけど、私は悔しかったのだ。
彼女に比べたら、私の作品はゴミだった。カフカの文章が燃え盛る生きた文章だとしたら、私のは灰にもならない駄文で、誰の心にも火を点す事ができない。
比較対象にすらなりえない。
だけど、それを認めたくなくて、私は一丁前に彼女の作品を批評し、上から目線で圧をかけたのだ。
手放しで彼女の作品を誉められるほど、大人じゃなかったのだ。
安全地帯で、
「悪くはなかったよ」
なんて嘯いて、ほんとうにガキっぽい。




