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未来スワロー


 通夜も葬式も振り返ってみればあっという間だった。遠い親戚が私を見て、「大きくなったねぇ」と言って目を細めたが、私はそうは思わなかった。

 私はずっと子どものままだ。

 自身の家系の宗派すらよく知らない小娘であり、頼るべき兄がもうこの世にはいないのだから、そういうところも含めて勉強しなくては、と遺影を眺めながら、なんとなく考えていた。

 余ったお寿司を食べながら個人を偲ぶという名目で飲み会をひらく親戚連中に嫌気がさした私は、気分が悪くなったと言い訳をして先に帰宅し、二階に上がって、喪服代わりの制服のまま、ベッドに倒れ混んだ。

「臭い……」

 制服には線香の匂いが染み付いていた。クリーニングに出さなきゃな、なんて思いながら、 目頭を押さえる。

 涙は出なかった。

 通夜を通して蝋燭の番をしたこと、眠るように棺桶に入っていた兄、火葬場の煙突から昇る煙、そういう景色がフラッシュバックのように記憶を掠めていく。

 ふと机のすみに置かれた紙袋が視界の隅に写った。

 ああ、そうだ。

 お兄ちゃんの荷物、返しておいてくれって、付箋が貼ってあったっけ。

 立ち上がって、紙袋から封筒を取り出す。

 付箋の下には、マジックペンで乱雑に名前が綴られていた。

 検査入院のとき、お兄ちゃんと同室だった男性だ。

 短い髪の人懐っこそうな、男の子。

 私と同じ学校の一学年上の先輩だ。

 彼については私はよく知らない。

 ともかく、荷物を返さなくちゃ。

「めんどうくさい……」

 紙袋に封筒を戻してから、毛布を被って、泥のように眠った。


 学校に行くことにした。

 届けてあるので、しばらく忌引きで休めるが、授業に遅れるのは得策ではないし、ともかく何かをしてすべてを忘れていたかった。書類の提出は後日でいいらしいが、そもそもにしてお兄ちゃんが亡くなったのは、期末試験中で、再試験に備えて友達に出題範囲を教えてもらおうと考えての行動だった。

 それに、大事な用事が一つできた。

 校門をくぐる同じ制服姿の生徒たちを見ていたら、お葬式という非日常から一気に日常に引き戻される気持ちになった。

 ふと、校門をゆっくりとした足取りで入ってくる男子生徒を見つけた。穏やかな表情をしている。

 ここで会えたのはラッキーだ。わざわざ彼の教室に行かずに済んだ。

 私は慌てて小走りで彼の背中に近づいて、

「先輩」

 と声をかけた。


 先輩が振り返る。私の顔を正面から見て、驚いたように口を開いた。

「先日は失礼しました」

 私は小さく頭を下げて、正面から彼を見つめる。

 黒くて大きな瞳。カフカみたいだな、なんてぼんやりと思った。

 数日前に初めてまともに言葉を交わしたが、なんだが昔からの知り合いのような気がした。検査入院時の同室のよしみで、お兄ちゃんと友達になったらしい。

 見た目は清潔そうな線の細い男子生徒だが、入院患者の差し入れにアダルト本を選ぶ変わった感性の持ち主だ。

 お陰で私はひどい目にあった。

 お見舞いに行ったときに、お兄ちゃんの……いや、思い出すのはやめよう。一緒に入室した看護師さんの優しさが痛かった。

「いま、少し良いですか?」

 過去を早朝の風に流して、私は彼に尋ねた。

「構わないけど……」

 先輩と一緒に歩きだす。

「一応、……お知らせします」

 夏とはいえ、朝はまだ肌寒い。身をすくませながら私はなるたけ感情を込めないよう、

「一昨日の晩、兄が亡くなりました」

 と、事実だけを彼に伝えた。


「……え」

 先輩の顔が見る間に青ざめていく。彼は歩みを止めて、定まらぬ視線のまま私を見つめてきた。

 大勢の生徒が気だるそうな雑談で朝を徐行ぎみに過ごしている。同じ制服、黒い頭髪、まるで葬列だ。

 昨日から景色がモノトーンに見える。

「そんな……」

 先輩はわなわなと唇を震わせながら、ようやくそれだけを呟くと、なにも言えなくなったのか、言葉につまって喉を鳴らした。

「お知らせが遅くなって申し訳ありません。生前は、兄が、お世話になりました」

 心の底からお礼を言い、私は深く頭を下げた。

「……この度は御愁傷様でした」

 先輩は丁寧に言葉を返してから続けた。

「あんなにお元気そうだったので、信じられません……ちょっと、混乱しています」

 私も同じ感想だった。改めてお兄ちゃんがこの世にいないことに気づき、私は泣きそうになった。涙が逆流し、鼻がつんと痛んだ。

 先輩は顔をあげるように言ってから、私にハンカチを差し出した。

 私はそれを受け取らず、

「これ、兄からあなた宛に荷物が」

 と、鞄から紙袋を取り出して差し出した。

「ありがとう……」

 先輩はお礼を言って受けとり、袋のセロハンテープを剥がし、中身を取り出した。

「……っ」

 アダルト本だった。

 呆れすぎて言葉も出ない。

 まさかの展開に先輩もポカンと言葉を失っている。

「あの人って、ほんと、バカ……」

 私はなんとか呟いて、ため息をついた。息と一緒にいつのまにか涙が頬を流れていた。

「ほんとに、バカでエロくて、でも妹思いで、頭が良くて、優しく、良いお兄ちゃんでした」

「知っています」

 身内の恥を知られて、恥ずかしいはずなのに、私はいつの間にか、笑っていた。


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