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回想ラウンド


「それじゃあ、私はそろそろ行くね」

 陸上部に入ったことは以前彼女に告げていた。忙しくて本を読む暇もないことも。創作意欲を失った私はいつしか読書からも遠ざかっていた。

「ええ。また会いましょう」

 彼女はそう言ったが、もう二度と会うことはないだろうな、なんて考えていた。

 お兄ちゃんは死んだのだ。

 病院に来ることはもうない。

 だからカフカにはもう会わない。

 それを寂しいとは思わなかった。

 彼女は変わらず芯のある人物で私が側にいなくても充分立っていられる強い人だったから。

「ねぇ、菜種、その紙袋はなんなの?」

 ふと、カフカは私の足元にあった紙袋を指差して尋ねた。

「ん? お兄ちゃんの荷物だよ」

「そう」

 含みのある頷きをして、押し黙った。勘の鋭いカフカのことだ。色々と察してくれたらしい。

 壁掛け時計を見ると、両親との待ち合わせの時間が近かった。

 私は椅子を引いて立ち上がり、紙袋を取るため、前屈みになった。

 手が取っ手に触れ、重心が狂った紙袋がパタンと倒れる。

 中身が少しだけ飛び出した。

 本屋で貰える封筒のような袋に入れられた本だった。付箋が貼られている。

『返しておいてくれ』

 なんだろうこれと、袋に戻してから、取っ手を掴む。

「それじゃあ、またね」

「ええ、菜種も元気で」

 カフカと端的な挨拶を交わし、談話室をあとにした。最後に見た彼女は微笑んでいた。旧友に会えて嬉しいのだろう。もちろん、私も嬉しい。だけど、彼女のように純粋に喜べないのは、私の心が未熟だからだ。

 彼女の笑みにかつての無邪気さはなく、ずいぶんと大人びて見えた。


 病院のエレベーターに乗り、鏡に写った自分と目が合う。ひどい顔をしていた。浅くため息をついて、ポケットからスマホを取り出す。

 有島武郎の作品は著作権が切れているので、インターネットで自由に閲覧ができるとカフカが言っていた。

 だからって、彼の作品に目を通そう、なんて思ったわけじゃない。ウェブの検索画面に『有島武郎』と入力し、ウィキペディアを見てみる。

 エレベーターから降り、歩きながら人物の概要を眺めていく。一個人の歴史なんて他人から見れば数百文字にしかなりはしない。『カインの末裔』や『或る女』、『惜しみ無く愛は奪う』などの作者で、人妻と不倫し、最後は軽井沢で心中していた。遺書の一節には「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」。

「愛か……」

 愛って、なんだろう。

 夕暮れの図書室でしたバカな会話を思い出す。カフカは誰かに恋をしているのだろうか。

 私は誰かに愛されたことがなかったので、愛し方もわからなかった。

 だけど、心中は違うと思う。

「命より大事な愛なんてこの世にはないはずなのに」

 一人ごちて、病院から出る。


 両親と合流してからも、手続きなどでゴダゴダしていた。

 葬儀会社の方のお話は難しく、私にはさっぱりだった。お父さんは粛々と手続きを進めていたので、さすがだなぁ、って思ったら、あとで「なにいってんのかよくわからなかった」と笑っていたので、大人も案外適当なんだな、と思った。


 お兄ちゃんのお葬式は二日後に執り行われた。




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