死んだ彼女を忘れるために幼馴染と付き合ったら彼女が化けて出た
三年前のことである。
毎年催される夏祭りの帰路でーー彼女が交通事故に遭い他界した。
澄んだ瞳をした少女だった。
顔を合わす度に彼氏に容赦ない暴言を吐く彼女だったけれど、好きで好きでたまらなかった。
が、しかし。
彼女を喪った俺はその心の隙間を埋めるように、幼馴染と付き合った。
幼馴染は失意の俺を根気よく支え続けてくれた。
心身共に相当な苦労をかけたはずだが、俺は幼馴染から未だに愚痴一つ聞いたことがない。
いつだって、ニコニコと愛らしい笑顔を浮かべている。
だが俺はこの三年間幼馴染に対し一度として、好きとか愛しているとかそういう恋人同士が睦言として囁くような言葉を口にした試しがない。
三年経った今なおーー彼女のことを引きずっているのだ。
しかし昨日ついに、幼馴染の妊娠が発覚した。
妊娠三ヶ月なのだそうだ。
そうだ、というもの言いは以下にも他人事のようで無責任な印象になってしまうが実際他人事のようにしか思えないのだから仕方がない。
むしろ、本来だったら彼女と……などと考えても仕方がない仮定ばかりが脳裏に浮かぶ。
そんなコンディションだったからだろうか。
こんな幻覚を見てしまっているのは。
それともこれは夢なのだろうか?
気がつくと目の前に死んだはずの彼女が座っていた。
三年前の祭り会場で
三年前と同じ浴衣を着て
三年前からずっとそこにいたかのように石段の上に座っていた
◆
「ねえ、夏祭りの起源って知ってる?」
彼女は困惑する俺に向かってそんなことを問うて来た。
……まるで本物だ。
彼女は昔からこんな風に突拍子もないことを脈絡もなく言い出すのだ。
その度に俺はしどろもどろになりながらも辛うじてーー
「夏祭りの起源、って言っても諸説あるんじゃないのか? たしか……えっと、豊作とか安全祈願とか、色々あるって聞いたぞ?」
彼女のフリに答えるのだ。
すると彼女は決まって、しどろもどろになる俺を見て、今みたいに、心底楽しそうにくつくつと笑うのである。
「あら、あなたの取り柄は浅学非才でバカ丸出しなことだったのに。博識ぶっちゃって。相変わらず生意気ね」
「お前の方こそ死んでも相変わらずなんだな……」
久しぶりに会えたのになんて言い草だ。
そんな取り柄は欲しくない。
しかし彼女は、俺の心境気にも止めずに、話を進めていく。
「たしかに。あなたの言う通り、夏祭りの起源は色々な要素に分解できるみたいなんだけどねーーその中の一つに、『鎮魂』って意味合いがあるらしいのよ」
「『鎮魂』……」
ようやく彼女の言わんとすることが浮き彫りになってきた……気がする。
するとそこで、後ろの方から花火の破裂音が耳に飛び込んできた。
「いいわよね、花火って。打ち上げの音とかを聞いていると生きる活力を貰える気がするわ」
「お前が言うと皮肉以外のなにものでもないな」
「そのまま勢い余って蘇ってしまいそうなくらいよ」
「……そりゃあ、いいな」
思わず、考えてしまう。
もしも。
もしも本当に、そんなことが出来るなら。
今頃ーー
「本当に?」
「……え?」
彼女の声に遮られ、沈んでいた思考が一気に引き上げられた。
「本当に今でも私に生きていて欲しいと思ってる?」
「何言ってんだ。当たり前だろ。変われるものなら変わってやりたいって今でも思ってるよ」
その言葉に嘘はない。
俺は今だって、彼女の後を追いたいという衝動に駆られることがあるのだ。
「そう」
彼女は僅かにーー本当に僅かに頬を緩ませてこう続けた。
「そういえば、花火の起源もまた『鎮魂』らしいわ」
「……奇遇だな」
正直に言ってしまえば、最初に鎮魂というキーワードが出た時点でこの展開は読めていた。
正確には思い出した、と表現するのが適切なのかもしれない。
だってこの話題は彼女から、彼女が死んだ日に聞かされたものとソックリそのまま一致するのだから。
「鎮魂っていうのはね。文字通り魂を鎮める。霊を慰めるっていう意味もあるんだけど、本来は生者の魂と肉体を繋ぎ止めるという意味もあるらしいの」
これは初耳だ。
「へぇ……肉体と魂を繋ぎ止める、ね。なんていうか、死者の魂と生者の肉体をつないで乗っ取ることも出来そうにきこえるな」
映画のエクソシストみたいに。
いや、さすがに無理だろうけど。
「出来るみたいよ」
「なんと」
……なるほど。
つまり、そういうことか。
「はは、要するになんだ? 今頃こうして化けて出てきたのは、生に執着が出て来てーー俺の身体を乗っ取りたくなったってことなのか? まあ、そういうことなら……」
構わない。
特に現世に思い残すことなんて、思い浮かばなかった。
「……あのね。何を早とちりしているの? あなたの穢れた身体に私の清い魂をブチ込めるわけないでしょう? 冗談は鏡を見てから言ってちょうだい」
「へ?」
違うのか。
「私があなたに会いに来たのは別の理由よ。大体、その方法じゃ蘇ってもあなたに会えないじゃない」
「……」
それはつまり。
あなたに会えないのなら、生きる価値はないという意味だろうか。
だとしたらーー
「そりゃあ、素直に嬉しいな」
「何よ。にやけた顔して、気持ち悪い」
「悪い。でも、お前がそんな風に気持ちを伝えてくれたことなんて、今までなかったからさーーうん、やっぱり嬉しいよ」
「……嬉しい以外に言えないの? ああ、語彙力がないのね。気持ち悪い」
そう毒を吐く彼女の顔は珍しく真っ赤だ。
珍しく、というか彼女が赤面している場面を産まれてはじめてみた。
彼女はやはり恥ずかしいのか、俺の視線から逃れるように後ろを向いてしまう。可愛い。
……出来れば、生きてる間に見たかったなあ
「でも、じゃあ何で会いに来てくれたんだ? 別の目的ってなんだよ?」
そして、次に俺は一番気になったことーー本題を切り出した。
が、しかし。
直後。
打ち上げられた火種は開花することなく宙空に静止し
人でごった返し、騒々しかった祭り会場から人々が消えた。
ーーーー不自然な静寂が場を支配する。
「っ……!?」
言葉を、失う。
息が、苦しい。
呼吸すら、出来ない。
会場の空気は、一瞬にして、まとわりつくような、重く粘着質なものへと変貌していた。
「あなたが、それを聞くの?」
ーー彼女の、声が聴こえる。
いつの間にか、彼女は顔を伏せ、こちらから表情を伺いすることが出来なくなっていた。
うすらぼんやりとした闇が、彼女の顔をひた隠している。
「幼馴染の……誰さん? でしたっけ。穢らわしい女の名前なんて忘れてしまったけど」
ーー低く、しわがれた老婆のような声で彼女が囁く。
紡がれる言葉の端々に、憎しみと嫉妬が込められている。
「私が死んだ後に、随分と仲良くやっていたようじゃない。妊娠何ヶ月目でしたっけ? いけない、これも忘れてしまったわ」
ゆっくり、ゆっくりと彼女は顔を上げる。
「ねぇーー」
違う、違う、こんなものは違う、と本能が叫ぶ。
こんなものが彼女であるはずがない、と脳に直接訴えかけてくる。
そうでなければ、夢だ。
三年前に、彼女が死んだあの日から、俺は夢を見続けているのだ。
彼女が死んだというのも、嘘っぱちだ。
だってほら、ホンモノの彼女なら、今、こうしてーー
「聞いてるの?」
振り向いた彼女の顔からは
あの綺麗な瞳はなくなっていて
代わりに、どこまでも深い暗闇を湛えた空洞が二つ、ポッカリと空いていた。
◆
「ひっ……」
とっさにこの場から逃げようと試みたものの、金縛りにあってしまったかのように動けない。
ただ情けない声が喉から絞り出される。
そんな、俺に彼女はーー彼女だったものは、淡々と語りかけてくる。
「なぜ、怯えているの?」
「あなたのせいなのよ?」
「あなた達の仲睦まじい姿を毎日のように見せられるのが嫌で嫌で仕方なくて、見るに耐えなくて、本当にどうしようもなく嫌でーーーー」
ーー眼を潰してしまったのだから
そう、彼女は無感情に、呟いた。
呟いて……足を一歩踏み出す。
「あなた、私の為なら死ねるって言ってくれたわよね?」
「言ったわよね?」
「私も同じ気持ちよ」
「だから、私と一緒に逝きましょう?」
「あんな女に穢された身体なんか捨てて、一緒にーー」
一人で生きるよりも、二人で死にたい。
あなたにも同じようにして欲しい。
……彼女の言っていることは、そういうことだ。
彼女を忘れて、幼馴染とともに生きようとしている俺を、許せないのだ。
ーーカツン、カツン
こうしている間にも、彼女は一歩一歩ゆっくりと、しかし確実に距離を縮めてくる。
俺は恐怖のあまり支離滅裂になった思考を、そのまま吐き出した。
「ち、違う! そ、そんな、つもりじゃ……俺からしたら、あいつはどうでもーー」
……いい、のか?
「何が違うの? あなたにとって、今の恋人がどうでもいいなら、私と死んでくれてもいいじゃない」
……そうだ。
彼女のいう通りだ。
本当に幼馴染とその赤ん坊をどうでもいいと
愛していないとおもっているなら
何も恐れることなんてないじゃないか
かつて。
俺は本当に、心の底から、彼女のためなら死ねるとおもっていたのだから。
彼女と一緒にいられるのなら、例え地獄行きになろうと構わなかったはずなのだ。
「い、いやだっ……! 死にたく、ないっ……!」
にも関わらず、こんなにも見苦しい台詞を口に出せるということは、間違っていたのは彼女ではなくーー他ならぬ俺自身だったのだろう。
俺はもう、既に……
「生きたいっ!!」
彼女共に逝きたいのではなく
懲りることなく俺を支え続けてくれた幼馴染と共に生きたかったのだ。
すると、彼女はピタリと歩みを止めてーー
「もう、仕方がないなあ」
弱々しく、微笑んだ。
◇
目を覚ますと見慣れた天井が飛び込んできた。
ここは……間違いなく俺の部屋だ。
「生きてる……?」
視線を壁に設置された時計に移す。
時刻は午前6時57分。
あと数分もすれば幼馴染からモーニングコールがかかってくる時間だ。
「夢……なのか?」
思わずそんなことを呟く。
それだけ先刻の出来事は現実離れしていた。
だけど、何となくあれは夢ではない気がする。
澄んだ瞳に、手入れの行き届いた長い黒髪。何気ない仕草や、香りまでーーあれは紛れもなく、彼女のものだった。
「本物、だよなあ」
きっと。
いつまでも彼女のことを引きずり続ける俺を見兼ねて、彼女はああして忠告してくれたのだろう。
いい加減前を向け、と。
お前にはもう、すぐ側で支えてくれる人がいるだろう、と。
少々演出過剰というか、怖すぎるきらいがあるが、そこもまた彼女らしい。
彼女はいつだって厳し過ぎるくらいに厳しかった。
それに……そうだ。
彼女は毎年言っていたじゃないか。
『夏といえばホラーよね』、と。
その癖あの女は何を見せても眉一つ動かさず、ホラーというよりも俺が怖がる姿を小馬鹿にして楽しんでいたではないか。
「くくっ……あははははっ!」
ようやく、吹っ切れた。
彼女のおかげで、彼女のことを吹っ切ることができた。
ーー前を向けた。
これからは彼女との思い出を大切にしまって、幼馴染とその子供を大切にしていこう。
今は心からそう思える。
電話が鳴る。
幼馴染からだ。
電話に出たら、いの一番に伝えよう。
三年間、伝えられなかった言葉を。
『愛してる』って、ちゃんと伝えよう。
俺が穏やかな気持ちで、着信ボタンを押して、受話器を耳にあてるとーー
『仕方がないから、これで妥協してあげる』