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ホールデンにとって、教師のアントリーニと、妹のフィービーは、彼の自意識を外部から見る事のできる唯一(言葉が矛盾しているが)の二人である。とはいえ、それは完全な意味では他者とは呼べない。しかし、「ライ麦」の中で、ホールデンに迫る知性を持っている人物を想定すると、この二人の人物以外には思い当たらないのだ。
まず、アントリーニについて思い出してみよう。ホールデン少年は、この老教師アントリーニの元に向かう。そして、彼は自分が学校をやめた事を話す。それに対して、アントリーニは説教をする。しかし、その説教には深い知性が感じられる。そしてまた深い愛情も感じられる。しかし、ホールデンはアントリーニの話を聞いている内に、眠たくなってしまう。彼は、あくびをしてしまう。そして話は中断する。アントリーニは笑って、これ以上、お説教をする事をやめる。
アントリーニがこの時、ホールデンに対して話す倫理的な講話は、作品中では極めて重大な意味を持っている。アントリーニは誰が聞いても、真っ当な事を語っている。彼は、単に説教好きの、正論ばかり振りかざす世の大人面した子供のような理屈を並べているのではない。アントリーニが述べているのは、アウトローがいかに社会に対して適合するか、適合しなければいけないか、という点であり、おそらくその事については、ホールデン自身も理解している。この時、ホールデンはおそらく、アントリーニの言わんとしている事を深く理解している。そしておそらくは自分が間違っている事、アントリーニの方が正しい事すらも理解している。にも関わらず、彼は「眠たく」なってしまうのである。彼はその話にじっと耳を澄まして、集中して聞いていられないのである。それは、何故だろうか。
『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴な死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』
このアントリーニが引用した言葉はおそらく全てを物語っている。しかし、にも関わらず、世界が正論のみでできていないとすれば、ホールデン少年にもまた、眠たくなる権利がある。結局、ホールデンは本当の意味で『他者』を持つ事はできなかった。つまり、彼は、彼の自意識に力と、意味を与え、それを信頼していると言っても良いが、今アントリーニが、言ってみれば、彼のライバルのような存在として、つまりそういう別のタイプの自己意識として現れた場合、ホールデンはそれに面と向かう事ができないのだ。ホールデンにとって、アントリーニは作品中、始めて現れた他者ーー彼に近いレベルの知性の持ち主なのだが、しかし、その人物が現れた時、ホールデンは急に『眠たく』なってしまう。つまり、ホールデンの自己意識の限界線、その領域を確定する運動がここで行われているのだ。もしこれがドストエフスキー、あるいはシェイクスピアの作品であれば、これらの人物は互いに正面から衝突し、一歩も自分を譲らなかっただろう。つまり、究極的に言えば、ここでサリンジャーは折れたのだ。サリンジャーは自己意識の限界を飛び出し、それを劇として展開できる、その一歩手前でまた、自己意識の方へと引き返したのだ。ホールデンは究極的には『他者』と向かい合えない。彼にはガールフレンドがいる。友人がいる。しかし、それらは結局、彼の自意識に比べればなにものでもない。何故か。それは彼の自己意識が、彼らのそれを遥かに上回っているからである。彼より頭の良いものはいる。頭の悪いのもいる。しかし、ホールデンの世界と対抗できる知性、自己意識は唯一の、無二のものである。しかし、それが無二のものでなくなろうとする瞬間、ホールデン少年は急に『眠たく』なってしまうのである。おそらく、これが教師アントリーニとの出会いの意味である。
物語の発展内容としては、その後、ホールデンはアントリーニの元を離れる事になっている。この時、作者は、アントリーニが夜中に、ホールデンの頭を撫でていて、その事に気づいてびっくりしたホールデンがアントリーニの元を去る、という内容にしているが、しかし、これは明らかに作者が意図的に用意した出口であり、アントリーニがホモであるかどうかなどは全くどうでもいい問題である。二人の出会いと別れは、すでに、アントリーニの正しい説教と、それを聞いたホールデンが『眠たくなる』というその意識の関係の上に現れていたのであり、二人が実際に別れる場面は作者が物語を進める為に、単に出口を作ってやったにすぎない。つまり、『眠たくなる』という行為の中にすでに、ホールデンの未来は暗示されている。彼はおそらく、永久運動をし続けるのだろう。彼は世界に対して唾を吐く。彼は世界の外に出ようとする。しかし、彼は世界の外には出ない。彼は他者との出会いを求める。人に理解されたいと願い、人を理解しようと願う。しかし、その願望が成就されようとするその瞬間に、彼はまた元の自分の場所に戻ってくる。つまり、ホールデン・コールフィールドという少年は一つの青春の、若い、逡巡の時期の象徴それ自体である。大人になるとはおそらく、自らの青春を押し殺す事を意味する。自己の自由を殺し、社会に就く事から人は大人になる。だから、ホールデンは大人にはなれない。彼はニューヨークの街を、永久にさまよい続ける。おそらく、作者サリンジャー自身がそういう生涯を辿ったように。




