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 人間関係というものはおそらく、一般に言われているように、自己の寂しさ、孤独感を埋める為にあるものではない。それはむしろ、限界した孤立、その自意識の境界を引くものである。既存の作家らは、安々と人間関係を扱っているかに見せるが、彼らのしている事は所詮、チェスの駒を動かすようにして登場人物を動かしているにすぎない。しかし、現代ではそれぞれの人間がチェスの駒というよりも、むしろチェスの指し手に近い。我々は他者を、自分の幸福の為に利用する、という方法についてメディアから常に教授される立場にある。つまり、いつの間にか、我々の自己意識はこの世界を覆い、全ての他者を取り込むようになったのだ。我々の世界において、あらゆる個人はこの世界を自らの中に含んでいる。従って現代では各々に関係する個人は、それぞれその背後に世界を背負っている。そしてそれは当然、メディアの発達によって我々の知識、そして自己意識が世界大に広がったという事に起因している。


 ではそのような時代にあって『自己』とは何か。


 …私はこれから私の哲学を開陳するつもりではない。私は単に、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールドに言及しようと思っただけなのだ。


 サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は青春小説の傑作としてよく知られている。しかし、青春とは何か。何故この作品が青春小説の傑作であるのか。そういう事をうまく言う事は、簡単な事ではない。ただ、人がこの作品に感動し、沈黙する時、その沈黙の中に様々に豊穣な意味が隠されている。僕としてはこの豊穣なものの意味を言葉として表せられるかどうか、今から不安である。また、こういう事を言うと、「今更、印象論で~」とか、「テキスト論はもう古い~」など、僕によくわからない言葉を吐く人々が想定されるが、そういう人間が何を言おうと、僕としては僕の感動に基礎を置いて自分の思考を展開したいだけである。そもそも、こういう前置きが必要だという事が、現代が不幸な時代だという事を示している。そしてその事は現代の青春小説の傑作たる「ライ麦畑」、そしてその主人公ホールデン・コールフィールドとも関わりのある事だ。

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