34.伝言
少女のメモ書きに目を落としていた母親の耳に、とても小さな声が辛うじて届いた。
メモから顔を上げた母親の視界に、目を細く開いた少女の顔が映る。
少女は、母親の方に少しだけ顔を向けていた。
動き続けている少女の口が、母親に何かを伝えようとする意思を示す。
母親は身を乗り出し、少女の口元に耳を当てた。
「お母さん・・・、私・・どうしたの・・」
消え入りそうな声を、母親は、どうにか聞き取ることが出来た。
「あなたは、公園で倒れて、病院に運ばれたのよ。意識が戻ったのね。良かった。もうしゃべらないで、安静にしましょう。でも、本当に良かった。」
母親は、そう言って少女の顔を上に向けてやり、椅子に座った。
「・・・倒れてから、どのくらい経ったの・・・」
「4時間ぐらいかしら」
母親は、少女の質問に答える。
「明日、海に連れて行ってもらう約束をしてたの」
少女は、視点の合わない眼差しで、宙を見ながら独り言のように呟いた。
「でも、行けないみたい。」
少女の目が潤み始める。
母親は、黙って少女の言うことを聞いていた。
「行けないって伝えて、ごめんなさいって」
「分かったわ。とにかく今は、安静にして、眠りなさい。」
青年に、海に連れて行ってもらうということは、聞いていた。
「猫達にも御飯をあげられないし、ごめんなさい」
少女の目から、熱いものがこぼれ光の筋を創った。
母親の手が、少女の顔にのびる。
「明日の待ち合わせ場所、どこなの」
涙を拭いながら、母親が聞いた。
少女の顔が母親、再び母親の方を向く。
「お母さん、心配かけてごめんなさい。」
少女の視界に、霞がかかり始めた。
「気にしなくていいのよ。とにかく今は眠りなさい。」
母親は、もう一度、少女の顔を上に向けてやり、我が子の頬を撫でた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・」
少女は、うわ言のように、ただ謝り続ける。
何に謝り続けているのか。
誰に対して謝り続けているのだろうか。
「何も気にしなくて良いから、もうお休み」
母親の言葉にこたえるかのように、少女は言葉を止めた。
そして、少女は静かに目を閉じる。
少女の目から、また、涙がこぼれた。
母親は、それを拭おうと、再び手を伸ばす。
そのとき
少女に繋がっていた心拍計の波形がフラットになった。
集中治療室に警告音が鳴り響く。
丁度近くを通りかかっていた医師と看護師が、部屋に飛び込んでくる。
母親には、一体、目の前で何が起こっているのか、
何が起ろうとしているのか、
それが理解出来ない。
尋常ではない切迫感だけが、室内に満ちていた。
呆然と立ち尽くし、必死に命を救おうとする医師達と我が子とを、ただ見守り続けることしか出来ない。
医師が電気ショックを行った。
波形がフラットから戻らない。
人工呼吸が続く。
医師は再度、電気ショックの指示をする。
母親は、目の前であまりにも急激に展開される光景に、何かの映像を見ているような、そんな現実味の欠如の中にいた。
永遠に続くかと思われるような慌ただしさが、突如として途切れる。
医師は体を屈め、少女の閉じられた目を指で開き、それに小さなライトのようなものをあてていた。
腕時計を見て、時間を読み上げる。
医師が、母親の方を振り返った。
医師は、母親に向かって何かを言ったようだ。
母親には、その意味をすぐに理解することが、出来なかった。




