31.海へ
強過ぎる陽光が灼熱の路上を創り出し、白く照り返されたそれを網膜に焼き付けていく。
その川沿いの国道を走る車は、ほとんどない。
そこに一台の、赤い車が走っていた。
時間は、既に昼を回っている。
盛夏の頃のような過酷な日差しに、それを遮ることが出来ない国道が白く焼かれ続ける。
青年は、海へと向かっていた。
助手席には、墓に供えようと思い持って来た品と、墓掃除用の雑巾、線香が入ったバッグが置いてある。
青年は、一人だった。
一人きりで、車を走らせている。
その日、待ち合わせ場所に、少女は来なかった。
約束の時間の5分前に着いた青年は、最初、車に乗ったまま公園の駐車場で少女を待っていた。
そして、約束の時間になり、車から降りる。
周りを見回したが、少女はいない。
そのまま少女を待っていると、一匹の猫が公園の階段を降りて来た。
その猫の顔には、キジトラ模様の鉢割れがある。
そこには、少女を公園へと誘った仔猫の成長した姿があった。
猫は、青年のそばまで歩いて来た。
青年には、猫の方から自分に近付いてこられた経験がない。
少女の言ったことを思い出しながら、そのまま猫を見続けていた。
猫は、足元まで来ると、青年の顔を見上げた。
青年は、その顔を見ている。
そこには、純粋に、ただ必死に生き続けている者だけが持つ、穢れの無い美しい二つの目があった。
生きることとは無関係な薄汚い欲望のために、他者を陥れ傷付けることなど無縁な者達。
そんな者達だけが創りだすことが出来る表情が、青年を見上げていた。
青年は、その顔に魅入られたように体を曲げ、猫の頭を撫でようとする。
だが、猫は、少女にもそうしたように、青年の手が触れようとしたとき、顔を階段の方に向け歩き出した。
青年は、体を戻し、猫が歩いて行くのを見ている。
猫は、階段の前まで来ると青年の方を振り返り、一声鳴いた。
また、誘おうとしているのだろうか。
青年は、猫の方に歩き出していた。
猫は、再び階段の方を向き歩き始める。
青年は、階段の前まで来ると立ち止まった。
猫は、階段を昇っていく。
青年はそのまま、階段を昇っていく猫を見上げている。
階段の途中で、猫は青年の方を振り返り、ついて来いと催促するかのように鳴き声をあげる。
青年は、少女と待ち合わせているため、それ以上猫を追わなかった。
猫は、もう3段ほど階段を昇って、また青年の方を振り返る。
青年が階段を昇ってこないことが分かると、今度は、階段を降り始めた。
青年は、黙ってそれを見続ける。
猫は、階段を降りきると、青年の足に抱き付いて来た。
青年は、その懐こさに驚きながらも、愛しさがこみ上げてくるのを感じる。
猫は、体を青年に擦り付けて来た。
青年は、階段に腰を下ろし、猫の頭を撫でてみる。
猫は、気持ち良さそうに目をつぶった。
撫でるのをやめると、猫は青年の膝の上に乗って来た。
そして、撫でてくれとでも言うように青年に甘えた声で鳴いた。
青年が、また撫で始めると、気持ち良さそうに目をつぶる。
撫でるのをやめると、猫は、また甘えた声を出した。
青年は、その声に抗えずに、また撫でる。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか待ち合わせの時間を一時間ほども過ぎていた。
少女は、携帯電話を持っていなかった。
そのため、青年は、少女の自宅に電話をしてみる。
誰も電話には、出ない。
2時間を過ぎたとき、青年は、何かあったのかと思い、喫茶店に行ってみた。
しかし、そこには「CLOSE」の札のかかった誰もいない喫茶店があるだけだ。
少女が、故意に約束を破るとは思えなかった。
青年の心を、彼の国の少女を見失った夜のような、どうしようもない不安が蝕む。
だが、少女の家を知らない青年は、それ以上、何も出来ない。
先の行動への逡巡が、青年を支配した。
青年は、亡くなった両親への挨拶を、どうしても欠くことが出来なかった。
そして、青年は一人で墓参りに向かったのである。
エアコンのきいた車内には、カーラジオの声が流れていた。
パーソナリティーは、時事ネタを話している。
常温固体核融合に関わる国際問題や、季節外れのインフルエンザの流行等の、雑多な話題について、時に解説と意見を交えながら放送していた。
青年は、それらを聞き流しながら、車を走らせる。
少女の身の上についての不安は、消えなかった。
彼の国での眠れなかった夜を、思い出す。
少女の運命と、彼の国の少女の運命が、青年の中で重なる。
少女の無事だけが、そのときの青年の望みの全てだった。
ともすれば運転の集中を欠いてしまいそうになる自分を、必死に抑える。
青年の心とは裏腹に、赤い車は空いている道を順調に走っていく。
もうすぐ、海が見えるはずだった。




