表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒孩子  作者: カギシッポ
22/38

21.桜

 少女は、手の平に乗った一枚の桜の花びらを見ていた。

 それは、既に少し萎れてしまっている。

 少女の肩に舞い降りて来た花びら

 昨日は、夜間中学の入学式だった。

 風もない静かな夜

 少女は、駅から夜間中学への道を、母親と共に歩いていた。

 母親と外を歩くのは、久しぶりだった。

 幼い頃の公園までの道のりが、少女の心を遠い日の思い出に立ち戻らせる。

 少女は、自分でも知らぬ間に、隣に住んでいた女の子を探していた。

 夜間中学に向かう人々を見ながら、もう一度、3人で一緒に歩けたらという、ほのかな望みを抱いてしまう。

 やがて少女達は、校門をくぐり式場へと向かった。

 少女にとって、いや、ほとんどの新入生にとって、生まれて初めての学校だ。

 そこは、元々、定時制課程を併設していた女子高校だった。

 その定時制課程も全日制課程も、志願者の減少により廃止となっていた。

 少女の通うことになった夜間中学は、その残された設備や備品を利用し設置されたのである。

 その校舎は、昼間は黒孩子専用の小学校として使われている。

 少女は、物珍しさに、周りを見回してみた。

 隣に住んでいた女の子がいないかと思い、新入生達の顔も見ているが、見つからない。

 だが、少女は、あることに気が付いた。

 多くの人が歩いているのにもかかわらず、話し声が、聞こえないのである。

 そればかりか、新入生達の顔には、ほとんど表情というものがない。

 それは、感情の起伏というものが、ほぼ失われていることを物語っていた。

 人としてさえも扱われず、虐げられ続けて来た身の上が、全ての感受性を捨て去ることでしか、生きることを許さなかったのである。

 少女が昇降口に近付いたとき、無風だった静けさの中に、僅かな空気の流れが生まれた。そよ風が、少女の長い髪を揺らめかせる。

 そして、少女の視界には、数枚の薄桃色の花びらが舞い降りて来た。

 少女は、視線を上げる。

 そこには、大きな桜の木が植えられていた。

 太い幹に支えられた無数の枝々が、空間を満たすようにいっぱいに延びて広がっている。

 枝には、こぼれ落ちそうな満開の花々が咲き誇っていた。

 その、こぼれ落ちそうな花が、僅かな風で少女の前に散り落ちてきたのである。

 少女達が、生まれたばかりの小さな桜吹雪の中を歩いて行く。

 一枚の花びらが、歩いて行く少女の肩に舞い降りて止まった。

 その花びらを、少女が手に取る。

 少女は、手の平の上の花びらを見ながら公園の桜を思い出していた。

 東屋の周りの桜達も、満開の花を咲かせているのだろう。

 薄桃色の霞に、もう一度、会いたい。

 あの日見た桜色の公園を、また、歩いてみたかった。

 自分は、公園の桜を、この先見ることが出来るのだろうか。

 いつからか、根拠のない不安と寂しさとが、少女の中に潜み続けている。

 「先生」の異変に気付いてから、公園には行っていなかった。

 変わっていく「先生」を見ることが辛かった。

 いや、怖かった。

 人間が壊れていく姿を見続けることに、少女の心は絶えられない。

 それが大好きな人であれば、なおさらだ。

 朝、公園の脇を自転車で通り過ぎるとき、入り口には、いつも「先生」の白い車が止まっていた。

 心を患っている先生が、あの東屋にいると思ってしまうと、少女は公園の前で自転車を停止することさえ出来ない。

 今朝、自転車に乗りながら遠くから見える僅かな桜は、公園を少しだけ薄桃色に染めていた。

 「先生」のいない時間に、行けばいいのかもしれない。

 だが、それは、「先生」に対する裏切りのような気がしていた。

 自分のことを大切に思い、待っていてくれる人を避けるような真似は、少女には出来なかった。

 しかし、公園に足を踏み入れないこと自体が、自分のことを毎日待ってくれている「先生」から、逃げているのではないのだろうか。

 桜の季節になっても、そんな後ろめたさが、少女の足を公園から遠ざけ続けている。


 公園への複雑な思いが、少女の見ていた桜の花びらに凝縮していく。

 隣の家に住んでいた女の子と一緒なら

 少女は、三人と猫達とで過ごしていた公園での日々を思い返す。


 もう一度だけ、隣の家に住んでいた女の子と一緒に、公園に歩いて行きたい。

 もう一度だけでいい。


 そして、もう一度だけ、公園の桜を見たかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ