17.取引
青年は、常務の部屋にいた。
応接セットの長椅子に腰を下ろしていると、常務がノートパソコンと書類を左脇に抱えながら歩いて来る。
青年が立とうとすると、
「いや、そのままでいい。」
と言って、常務は、それを右手で制する。
ノートパソコンと書類をテーブルに置くと、常務は、青年の前の席に座り、
「朝一番で呼び出してすまないね。」
そう言いながら、ノートパソコンのディスプレイを開ける。
少しキーボードとマウスを操作すると
「取りあえず、この動画を見てくれ」
そう言って、ディスプレイを青年の方に向けた。
画面を見た青年の表情に、苦いものが混じる。
そこには、最もポピュラーな動画投稿サイトの画面が映し出されていた。
そのサイト自体には、取り立てて何の問題もない。
問題なのは、映っている動画の内容だ。
彼の国の情景が、そこには、映し出されていた。
軽やかな明るい音楽と共に、南国の海や街並みの情景が、温かな日差しに満たされながら、画面の中を流れていく。
その流れの中には、一人の少女の姿があった。
少女の顔は、いつも楽しそうに笑っていた。
突然、音楽が止む。
平和な画面の連続が、無音の中、急に暗くなる。
薄汚れた街並みの一角に、画面が切り替わった。
画面は、ある場所へと近付いて行く。
青年の見覚えのある、あの場所へと
その場所にも、同じ少女はいた。
しかし、その顔は、笑ってはいなかった。
その顔には、何の表情もない。
その顔は、既に、生者の顔でさえなかった。
街角の一角のゴミ捨て場
彼の国の少女の姿が、そこにはあった。
もう既に、骸と化した姿で横たわる少女が、青年の中の悲しみの記憶を蘇らせる。
画面の流れは、そこで一旦止まった。
そして、英語の字幕、が画面の上から下へと流れ始める。
同時に英語の音声が、聞こえ始めた。
「これが、その訳だ。」
常務は、そう言って青年に書類を渡した。
そこには、少女の生い立ちと家庭状況、そして、誰に殺されたのか、どのように殺されたのかが書かれていた。
少女は、スラム街のある貧しい家庭に生まれた。
物心ついたときには、少女に父親はいなかった。
二番目の父親も、少女が幼少のうちに亡くなっている。
少女は、母親と、父親の違う弟の3人で、慎ましい生活を送っていた。
母親と少女とが働いて、苦しいながらも、どうにか家計は賄えていた。
だが、少女の弟は、病に侵されてしまった。
社会インフラの整っていない彼の国では、母親と少女の稼ぎだけで、その治療費を捻出することは到底出来ない。
少女は、弟のために、あの日、初めて街角に立っていた。
少女は、まだ、16歳だった。
青年が訳文を読んでいる途中で、動画の画面が、また切り替わった。
画面は、夜になる。
そこには、監視カメラのものと思われる画像が流れていた。
街灯の薄明りの中、男に無理やり路地に連れ込まれ必死に抵抗する少女の姿。
男は、抵抗する少女に馬乗りになり、両手で首を絞めた。
抵抗する少女が動かなくなると、男は立ち上がった。
そのとき、監視カメラは、偶然にも男の顔をはっきりと映していた。
知っている顔があった。
「宮崎・・・」
青年は、無意識のうちに小さく呟いていた。
少女が男に襟首を持たれ、路地の先に引きずられて行った所で、動画は終わった。
字幕の中には、二つの単語が出て来ていた。
その二つの単語は、何度も繰り返し字幕の中に現れる。
「Japanese」と「MIYAZAKI」という二つの単語が
彼の国で何が起こっていたのか。
それは、既に、世界中の知るところとなっていた。
「その子の最初の父親が、向こうの国の犯罪組織の大物だったらしい。」
しばらくの間、訳文から顔を上げられずにいた青年に向かって、常務が話しかける。
青年は、忘我のまま常務の顔を見た。
「向こうの国の関係者に聞いたんだが、組織を上げて報復すると言っているそうだ。」
青年の意識が、現実という名の情け容赦のない地獄へと、引き戻されていた。
「君から連絡があって、念のため、すぐに知り合いの警察幹部に話を通しておいた。」
「警察に・・」
警察という言葉が含む非日常性が、今見た動画の内容に現実味をもたらす。
「ああ、おかげで手回しが早い。宮崎の身柄を、もう拘束したそうだ。」
「そうですか。」
宮崎と言う名前が、青年の心を苛立たせる。
「それで、向こうの国の政府は、どう動いてますか。」
気になっていたことを、青年は、常務に聞いた。
「バカボン殿を自国に引き渡してもらえるように動いてる。」
「宮崎は、引き渡されそうですか。」
何の関心も持てない人間のことを、青年は、無感情に聞いた。
「おそらく、そうなるだろう。そうすれば、貸しを作ることが出来るからな。」
常務は、いったん言葉を切ってから、また話し続けた。
「あの国は、もう、あれ以上落ちることはない。あとは、大きく成長していくだけだ。要するに、あの国には、莫大な規模の経済発展に伴う需要が潜在している。それは、取りも直さず、我が社と我が国にとって、この上ないお得意様になり得るということだ。だから政府にとって、あの国に貸しを作ることは、何よりも最優先されなければならない。そのためにも、バカボン殿に犠牲になってもらうのが一番良いんだよ。」
青年は、黙ってうなずいた。
「それに、早くから動けたおかげで、バカボン殿のことを詳しく調べることが出来たらしい。いろいろとな」
「いろいろですか。」
含みのある言い方に、青年は、常務に聞いてみた。
「まあ分かりやすく簡単に言うと、バカボン殿はこの国にとって、たちの悪い寄生虫そのものだってことだ。それも、極めてたちの悪いやつだ。」
常務は、青年の持っている訳文に視線を移した。
「奴は、今までも幼い黒孩子に対して、さんざん酷い虐待をしてきたようなんだ。黒孩子は、いらない劣等な存在だと思い込んで何をしても良いと思ってるらしい。あの成金の親父に教えられたんだろうな。何か問題になりそうになると、親父の力で揉み消されていた形跡がある。」
常務は、ノートパソコンのディスプレイを自分の方に向け、動画を再生した。
「そのくせ自分は、ほとんど学校にも行ってない。なぜか大学まで卒業してるがな。うちを受けたときの採用試験を見ても分かるだろう。奴には、何の知性も無いんだ。黒孩子の救済も始まって、問題を起こされる前に、丁度、厄介払いもしたかったんだろう。障害だった父親も亡くなったしな。」
「そうですね。」
青年は、相槌を打った。
「あ、それから、むこうの政府は、宮崎の身柄を犯罪組織に渡すつもりだ。」
「えっ」
青年は、少しだけ驚いていた。
「あの国の政府は、いや、政治家と役人どもは、犯罪組織を何よりも恐れてる。いつ自分達に牙をむいて反政府組織に変貌するか分からないからな。ご機嫌取りに必死だ。それに元々、事件によっては私刑が認められている国だからな。」
「そうなんですか。」
青年は、既に関心を失っていた。
愚者がどうなろうと、何の関係もないことだった。
文字通りの八つ裂きにされるのかもしれないが、自業自得としか言いようがない。
「私からの話は、これで終わりだが、何か聞きたいことはあるかな。」
「いえ、特にありません。」
青年は、そう言って訳文を常務に返そうとした。
「いや、それは、君が持ってていい。」
常務は、そう言ってノートパソコンのディスプレイを閉じると、立ち上がった。
そして、
「もう、この件は終わるだろう。ご苦労だったね。」
と言った。
青年も立ち上がり
「失礼します。」
と言って会釈をし、出入り口のドアに向かって歩き出した。




