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黒孩子  作者: カギシッポ
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16.黒孩子

 青年に問題の解き方を教えてもらった日の夜、ベッドに入った少女は、なかなか寝付けずにいた。

 あることが気になっていたからだ。

 少女の年齢は、16歳だった。

 もしも、学校に通っていれば高校2年生になる年齢だ。

 それなのに、青年に教えてもらったのは、中学生の問題だった。

 そのずれの原因は、少女の黒孩子という境遇にある。

 少女は、自分に課せられた過酷な本当の運命を知ってしまったあの日、母親が帰って来るまで部屋に閉じこもって、ベッドの上でずっと泣いていた。

 仕事から帰って来た母親は、少女のただならぬ様子に驚きながらも、その身の上におよそ何が起きたのかは、すぐに分かったようだった。

 いつかは、こんな日が来るかもしれない。

 だから、少女が辛い思いをさせられる前に、その境遇について教えておかなければならない。

 そう思っていた。

 しかし、そう思えば思うほど、無邪気に笑う血を分けた我が子を目の前にすると、その口は重さを増していき、話す機会を逸してきた。

 情に負け続け、先延ばしを繰り返して来た結果が、少女を絶望という名の地獄の底に突き落としてしまっていた。

 母親の悲しみは、少女よりも深かったのかもしれない。

 自分が話すことを躊躇したために、取り返しのつかないような深い傷を、幼い心に負わせてしまった。

 後悔などと言う言葉では、とても言い表せないような忸怩たる思いが、その悲しみをより深くする。

 少女はベッドの上で身を起こし、母親に一つだけ、たった一つだけのことを聞いた。

 自分は、汚いのかと

 ただ、それだけを聞いた。

 母親は、少女をじっと見つめていた。

 そして、何かを言おうと思った。

 何かを伝えなければならないと思った。

 だが、言葉は見つからなかった。

 気が付くと、ベッドの我が子に近付き抱きしめていた。

 母親は、言葉を探し続けていた。

 やはり、言葉は見つからない。

 母親は、必死に自身が泣き崩れるのを堪え、少女をずっと抱きしめ続けた。

 母親は、いつまでも言葉を探し続けた。

 しかし、最後まで少女に何も言葉をかけることが出来なかった。


 少女の母親は、工業団地の中の小さな工場に勤めていた。

 その小さな工場の経理などの事務をしている。

 少女は、翌々日から母親と一緒に、その工場に通い始めた。

 親切な工場長は、黒孩子であることを承知で、少女が工場にいることを許してくれた。

 それは、極めて稀なことだった。

 ほとんどの黒孩子は、常に、惨たらしい差別に晒されながら生きていた。

 戸籍が無いことが、その理由だった。

 だが、黒孩子達が差別を受けるのには、もう一つ大きな理由があった。

 黒孩子達の多くは、生きていくために、ある種の精神異常者達の慰み者になっていた。

 その精神異常者とは、児童性愛者のことである。

 黒孩子達は、自身と家族の生活費を稼ぐために、ある者は、人身売買の業者に売られ、またある者は、お金を貰って児童性愛者の相手をさせられていた。

 人格など無いかの如く無視され、幼い者達がひたすらに性的虐待を受け続ける。

 そこには、黒孩子の意思などない。

 あるのは、あくまでも強制だけだった。

 人身売買の業者や児童性愛者にとって、戸籍の無い黒孩子とは、決して人ではなく、恰好の商品だったのである。

 そして、そういった悲惨な状況を、社会は、完全に黙殺していた。

 人も公共機関も、他のことに関わるだけの余裕がなかったからだ。

 誰からの助けも得られないままに、黒孩子達は、癒えることのない深い傷を心に負っていった。

 何も出来ない黒孩子でない人々は、無関心を装おうとした。

 自分には、関係のないこととして、見て見ぬふりをしていた。

 いや、そればかりか、黒孩子達は、子供の頃からお金で身を売っている穢らわしい存在であるとして、忌み嫌い始めたのである。

 それは、己自身がちっぽけで取るに足らない無力な存在であることを認めたくないがための、愚かな行為だったのかもしれない。

 黒孩子達は、不当な蔑みを受け続けた。

 そして、残酷な差別が差別を呼び、黒孩子達は、まるで汚染廃棄物ででもあるかのように、一般社会の人々と隔離されていったのである。

 そんな世の中で、少女の周りには、黒孩子であるのにもかかわらず、受け入れてくれる人達がいた。

 それは、幸運とは言えないまでも、黒孩子の生き方としては、稀有な安らぎに満ちていた。

 少女が通っていたのは、従業員が10人ほどの、本当に小さな工場だった。

 小さな工場ではあったが、極めて高い技術力を持っている。

 厳しい社会情勢の中にあっても、その高い技術力が生かされ、受注は絶えることがなかった。

 その技術力は、もうほとんど失われて久しい、昔ながらの徒弟制度のような厳しくも暖かな従業員教育により培われていた。

 そして、工場の規模の小ささと、その従業員教育が相まって、働く者同士の家族的な結び付きが生まれていた。

 工場の人達は、皆、黒孩子である少女を喜んで迎え入れてくれた。

 従業員の娘である少女は、黒孩子であるのにもかかわらず、新たな家族として認められたのである。

 少女は、いつも休憩室にいた。

 そこに、元々あったソファとテーブルと一緒に、少女のための小さな机や椅子を置いてくれた。

 出生率の低下による児童生徒数の急激な減少が、小学校の備品の過剰な在庫を創り出した。

 それらの備品は、過度の超過のため保管場所の確保が難しくなり、タダ同然の金額で処分されていた。

 工場長が、そういったものを買って来てくれたのだろう。

 それと、使われていなかったロッカーとカラーボックスも、少女のために休憩室に置いてくれた。

 母親と工場長に付き添われ、その休憩室に初めて入った時の少女には、深い悲しみと救いのない絶望の影が、常に纏わりついていた。

 心に負った傷は、まだ、ほとんど癒えていない。

 そんな少女が、自分のために揃えてくれた机や椅子を見たとき、その沈んだ表情が僅かに動く。

 黒孩子である自分のために、公園で勉強を教えてくれた人のことを思い出していた。

 「ここに、うちの子が昔使ってた教科書や参考書があるから、自由に使っていいよ。」

 工場長が、机の横に置いてあるカラーボックスを指差しながら言った。

 少女には、工場長の言っていることの意味が分からない。

 母親は、「学校」というものを少女に教えていなかった。

 それを教えると、自然と少女の身の上のことも話さなければならなくなる。

 いつかは、語らなければならない現実の厳しさが、母親の口を閉ざさしていた。

 学校のことを知らない少女は、当然、教科書も参考書のことも知らなかった。

 工場長の言っていることの意味が分からない少女は、とりあえずカラーボックスの中に何があるのかを見ようと、その前まで歩いた。

 そこには、いろいろな大きさと色の冊子が並んでいる。

 少女は、そこにある冊子の背表紙を読んでみた。

 「こくご」、「さんすう」と、声に出して言ってみる。

 少女は、「先生」に教えてもらえたおかげで、ひらがなは、読むことが出来た。

 しかし、背表紙には、少女の知らない言葉が並んでいる。

 少女は、振り返って母親の顔を見た。

 「これは、学校で勉強するための本よ。」

 母親にそう言われ、少女は、もう一度カラーボックスの中を見る。

 少女には、まだ、分からないことの方が多かった。

 「学校」というもの自体の存在を、少女は知らない。

 それでも、勉強するところという認識は、何となくある。

 公園で「先生」達と過ごした日々が、それを教えてくれていたのかもしれない。

 少女は、黒孩子だった。

 しかし、あの日まで、自分のことを不幸だと感じたことは、なかった。

 それは、公園での毎日が、「先生」の思いやりの中で過ごすことが出来たからだろう。

 少女にとって、幸せであることが当たり前であると思える日常が、どれほど大切なものだったのかを思うとき、公園でやったことの一つ一つが、楽しい思い出となって甦る。

 その中には、勉強もあった。

 少女にとっては、大切な楽しい思い出の一つでしかない。

 それをさせてもらえることが、少女には、嬉しくて仕方がなかった。

 少女は、カラーボックスから国語の教科書を手に取った。

 その表紙には、桜並木の水彩画が描かれている。

 少女は、そこに公園の桜並木を見ていた。

 薄い桃色の桜の園が、少女を迎えてくれた日に見たもの

 少女の中で、初めて公園の桜を見上げた瞬間の感動が、蘇る。

 少女は、もう一度、振り返って母親の顔を見上げる。

 笑顔が、少女のもとに戻っていた。

 母親の顔にも、工場長の顔にも、それは広がっていく。

 少女は、また国語の教科書を見てから、カラーボックスの傍らに立つ工場長の顔を見上げた。

 少女のために、この新しい学びの場所を用意してくれた人の顔を

 それから少女は、カラーボックスの中に整然と並べられた教科書と参考書を、一つ一つ手に取りながら、夢中で見始めた。

 黒孩子である自分のために並べてくれた色とりどりの冊子を見ている間だけは、身動きの取れない自身の境遇からの逃避行が許される。

 その時、少女は、それからの新たな人生を歩き始めていた。

 自分の居場所を作ってくれた人達の思いやりの中、小さな工場の、小さな部屋で


 深い絶望は、決して消し去ることは出来ない。

 ただ少女は、優しい人達に囲まれながら、次第に悲しみの記憶を封印していった。

 そして、美しい桜の記憶さえも


 眠れずにいた少女は、いつの間にか工場での最初の日のことを思い出していた。

 黒孩子である自分のことを差別しないで、勉強を教えてくれた技師の人達。

 遊び相手になってくれた工場長や、母親の同僚の事務員。

 皆、少女のことを自分の子供や妹、孫のように接してくれていた。

 そんな小さな幸せが続いていた毎日に、大きな変化が訪れる。

 常温固体核融合の実用化による恩恵が、閉ざされ奪われていたはずの黒孩子の未来を、新たに創造し始めたのである。

 世界規模の画期的な技術革新による経済の安定化と成長が、往年に勝る国力を少女のいる国にもたらした。

 潤沢な財政が、かつての福祉行政を復活させた。

 その力は、無戸籍の者に対する救済という形で発揮される。


 まず国は、出生届提出の遅延を罰しないことを決め、その遅延期間は、無制限とされた。

 だが、それだけでは、黒孩子が生まれてしまうという問題の何の解決にもならない。

 それは、問題の本当の原因が、各家庭の経済的な困窮であったからだ。

 本当に問題を解決するためには、深刻な貧困に対する抜本的な対策が必要だった。

 そのために国は、生活費の補助と共に、黒孩子の義務教育と、それに付随するコストを、原則として全て負担することを決めた。

 そのコストには、教科書等の教材費だけでなく、通学のための交通費や交通器具の費用も含まれていた。

 国は、黒孩子のために「夜間中学」と通称される学校を開校した。

 「夜間中学」とは、実際は、定時制の小学校と中学校を併設した教育機関であった。

 少女のような勉強をすることが出来る環境にいた黒孩子は、極めて稀な存在だった。

 ほとんどの黒孩子は、勉強の意味さえ知らない。

 そのため、黒孩子と他者との学力の間には、なくすことが出来ないほどの歴然とした差が生まれてしまっていた。

 そんな黒孩子達が、普通の生徒と一緒に地元の小学校や中学校に通うことは、事実上不可能だった。

 まだ就学年齢前の黒孩子であるならば、同じ学び舎で過ごすことも可能なのかもしれない。

 だが、絶対的な偏見が創り出す差別感情に、幼い黒孩子達の心と体が惨たらしく晒されてしまうことは、火を見るより明らかだった。

 残酷な虐待行為に心が抉られ、醜く深い傷を負うことは、避けなければならない。

 「夜間中学」は、そんな黒孩子達のために新設され、あるいは既存の施設に併設されていった。

 設置された「夜間中学」の数は、全ての黒孩子達を受け入れるのに十分だった。

 それでも、地域によってその数に、どうしても偏りが生じてしまう。

 その偏在した「夜間中学」に全ての黒孩子が通うための交通費を、国が負担するのである。

 また、給食費に関しては、特別な給付形態をとることになった。

 黒孩子の就労が多様であるため、必ずしも給食を「夜間中学」で食べることが出来る者ばかりではなかったからだ。

 そのため、給食費の補助に関しては、免除や現金の支給等、実情に合わせて選べるようにした。


 少女は、昔のことを思い出しながら、目が冴えて、なかなか眠れないでいた

 自分の身の上が、青年に知られてしまったのではないか。

 そのことが、頭の中に繰り返し浮かんでは消えていく。

 青年にも、差別され侮蔑されるのだろうか。

 そう思うと、強い恐怖に胸が締め付けられる。


 青年と初めて出会った日

 少女は、忘れられていた書類ケースを青年に届けた。

 その書類ケースには、青年の勤めている会社の名前がプリントされていた。

 そこには、自分達黒孩子を救ってくれた会社の名前が書かれてあった。

 常温固体核融合を実用化させ、経済恐慌から世界を救った会社の名前が

 少女は、青年がどんな人なのかと、考えてみる。

 自分を救ってくれた存在

 黒孩子である自分と対極にいる存在

 青年とは、まるで手の届かない場所で生きている、少女の憧れそのものだった。

 黒孩子であることが青年に分かってしまったら、自分は嫌われてしまうのだろうか。

 そうなってしまったら、もう今までのように、話しかけてはくれないだろう。

 そんなことを考えていると、少女の傷だらけの心に、暗い悲しみがこみ上げてくる。


 また、青年は、店に来てくれるだろうか。



 少女は、考えがまとまらないままに、いつの間にか眠りに落ちていた。


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