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黒孩子  作者: カギシッポ
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14.先生

 少女が自転車で公園の前を通ると、白いコンパクトカーが停まっているのが見えた。

 その車は、ほぼ毎日、その場所に停まっていたのかもしれない。

 だが、少女は、気が付かなかった。

 封印された記憶の場所は、少女の意識に、何も伝えられなかったからだ。

 白い車は、10年前も、そこに停まっていた。

 だが、10年前、そこに停まっていたのは、セダンタイプのガソリン車だった。

 それが、電気自動車に代わっている。

 その電気自動車は、「先生」が乗って来ていた。

 公園の入り口まで来た少女は、自転車を降りて、東屋へと続く階段を昇り始める。

 階段から見えた桜は、蕾が膨らんでいた。

 それは、もう間もなく割れるだろう。

 今年は、桜の霞に彩られた公園に出会えそうだった。

 少女は、右手に「先生」に渡してもらった小さなバッグを持っている。

 階段を昇る途中で、キジトラの仔猫が少女を出迎えてくれた。

 東屋では、前の時と同じように「先生」が三毛猫を膝の上に乗せて座っている。

 「先生」は、少女の姿を認めると、前と同じように微笑みかけてくれた。

 少女も微笑みを返しながら

 「おはようございます」

 と、挨拶をする。

 「おはよう、お嬢さん」

 「先生」も挨拶を返してくれた。

 少女がテーブルの近くまで来ると、三毛猫が「先生」の膝から降りて、少女のところまで歩いて来た。

 三毛猫は、少女の足に頭を擦り付けてくる。

 少女は、身を屈め三毛猫の首筋を撫でた。

 三毛猫は、気持ち良さそうに大人しく座っていたが、急に立ち上がって「先生」の方に走り出した。

 「先生」は、バッグからキャットフードと器を取り出していた。

 猫達が、それを目当てに「先生」の周りに群がっていく。

 少女もキャットフードをあげるのを手伝おうと、持っていた小さなバッグをテーブルの上に置いて、器の一つを手に取った。

 三毛猫と仔猫が踵を返し、少女の所まで走って来る。

 少女は、器にキャットフードを入れて、石の床に置いた。

 猫達は、器に頭を突っ込むようにして、夢中で食べ始める。

 「ありがとう、お嬢さん」

 器にキャットフードを入れ終わった「先生」が、手伝ってくれた少女にお礼を言う。

 少女は、少し照れくさそうに微笑みながら小さく頭を下げた。

 それから、テーブルの上の小さなバッグを手に取る。

 自分だけで勉強していて分からなかった所を「先生」に聞こうと、そのバッグの中には、問題集が入っていた。

 バッグを手にした少女を見た「先生」の顔色が、突然変わる。

 だが、少女は、それに気が付かない。

 一番楽しかったあの頃のように、また、この場所でいろいろなことを教えてもらえたら。

 そんな仄かな思いを、少女は、抱いていた。

 少女が「先生」の様子に気が付いたのは、問題集を持って、そばに立った時だった。

 「先生」は黙って、少女の持つバッグと顔を交互に見ていた。

 少女は、急な「先生」の様子の変化に、戸惑いを覚える。

 「お嬢さん、帰って来てくれたんだね。」

 声を詰まらせながら、「先生」が言った。

 少女には、「先生」が言っていることの意味が、まだ、理解出来ない。

 「もう一人のお友達は、今日は、一緒じゃないのかい」

 かつて、一緒に公園に通っていた隣の家の女の子のことを、「先生」は、聞いて来た。

 何故そんなことを聞くのか。

 「先生」は、知っているはずなのに

 そして、前の日に少女を、この場所で迎えてくれたのではないのか。

 「先生」は、一体、何を言っているのだろう。

 だが、その真剣な表情が、からかいや、あざけりの無さを物語っていた。

 「認知症」

 少女の頭の中に、その言葉が浮かぶ。

 「あれ、お嬢さんが置いて行った絵が無いな。どこにいったんだろう。」

 めくったスケッチブックを見ながら、「先生」が言う。 


 少女の顔から笑みが消えていた。


 あの日、病院に担ぎ込まれた「先生」の一人息子である長男は、丁度1週間後に亡くなられていた。

 その途轍もない精神的苦痛が、「先生」の心を蝕み続けている。

 自分以外は、公園の猫の面倒を見る人がいない、自分が世話をしなければ猫達が死んでしまうかもしれないという強い責任感に裏打ちされた思いが、人格の崩壊を辛うじて防ぎ続けていた。

 そして、もう一つ

 残酷な別れ方をしてしまった少女との再会への希望が、「先生」の気力を補っていた。

 二つの思いが精神的支柱となって、「先生」の心を支えていたのである。

 しかし、少女との再会を果たし、その二つの思いのうちの一つが成就したことにより、支えが半分無くなってしまった。

 皮肉にも、長年の大きな心残りが解決した時から、「先生」の心への浸食が始まっていたのである。


 少女が最も尊敬し、頼っていた存在が、自分の目の前で壊れていく。

 本当に困っているような「先生」の様子が、少女にはたまらなく痛ましく悲しい。

 

 かつての恩人の姿を前に、少女は、ただ、立ち尽くすことしか出来なかった。


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