13.愚者
狭い駐車場に停められている、黄色いオープンカー
それが、出勤した青年が最初に目にしたものだった。
青年には、その車に見覚えがあった。
都心に所在する企業の、ほんの数台しか停められないような、入り口の横にある狭い来客用駐車場に、それは、堂々と停まっていた。
それを見た青年は、僅かな苛立ちをおぼえる。
エントランスを抜け、エレベーターで7階に上がった。
「新規エネルギー開発部」と表示された部屋の前まで、青年は歩いた。
ドアを押し開け、中に入る。
「おはようございます。」
そう声をかけられ、青年も挨拶を返した。
始業時間までは、まだ一時間ほどある。
それでも、既に出勤している社員が何人かいた。
「新規エネルギー開発部主任」
青年は、そう肩書を表示された席に座る。
出張に持って行った書類ケースを開け、中の書類を取り出していると、女性社員の一人が、お茶を運んできた。
「主任、先ほど常務がお見えになりまして、お話があるので、主任が出勤したら来てほしいと言ってらっしゃいました。」
「そう、分かった。ありがとう」
女性社員は、会釈をして自分の席に戻っていった。
青年は、書類をしまい終えると、席を立ち役員室に向かう。
歩きながら、今回の出張のことについて考えていた。
黄色いオープンカーを見かけたときから、常務との話の内容は、既に分かっている。
部屋の前に立ち、ドアをノックする。
「どうぞ」
そう声がしたので、青年は名前を告げ
「失礼します」
と言ってドアを開けた。
常務は、応接セットに座っていた。
「こっちに来てくれ」
部屋の中に入ると、常務がそう言って、青年を応接セットに呼んだ。
「まあ、かけてくれ」
常務に促され、青年は、一礼して長椅子に座った。
「出張、ご苦労様。お疲れのところ、すまないね」
「いえ、それで、お話とは」
心当たりは、あった。
「宮崎が例の件で、朝一番で、いきなり泣きついて来てね。」
常務は、青年が思っていた通りの名前を口にする
青年の心に、次第に悲しみと怒りの小波が広がっていく。
「どうやら君の推察は、当たっていたみたいだね。どうにかしてほしいと言ってきた。」
青年には、常務の様子から関わり合いたくないのだ、と思えた。
「宮崎は、何と言ってきたんですか。」
青年は、その名前を口にすることさえ忌々しく思った。
「バカボン殿は、自分は、この会社の関係者なのだから、自分のことを守る義務があると宣ったよ。」
常務は、うんざりしたような口調で言った。
「それで、君は我が社とは全く関係のない人間だと言って、はっきりと断った。」
青年は、苦々しく思いながら
「そうですか。」
と言った。
「君に報告しておいてもらったおかげで、容易に対処することが出来た。向こうの国の関係者にも事情を説明して、バカボン殿と我が社とは、何の関係もないから、そちらの好きなようにしてください、と言っておいた。」
常務は、何かを含んだような微笑を浮かべ青年を見る。
「まあ、確かにそうですね。本当に何の関係もない。」
青年が肯定したことで、話は終わると思われた。
「あと、宮崎の父親が今朝早く、亡くなった。急性心筋梗塞だそうだ。それで、泣きつく相手がいなくなって、こっちに来たんだろうよ。」
宮崎の父親は、典型的な土地成金で、地方議会の議員をやっていた。
そのコネで、宮崎は、好き放題の我が儘をしてきた。
その我が儘を叶えてくれる父親が、急にいなくなってしまったということだ。
「もうこれで、宮崎との関係も、完全に断ち切れそうですね。」
青年が、何の感情もなく答える。
「それは、違う。もともと何の関係もないのだから。」
常務は、青年の答えを訂正した。
「そうでしたね。すみません。」
青年も、その訂正を認める。
「話は以上だ。時間をとらせて悪かったね。」
常務は、椅子から立ち上がった。
青年も長椅子から立ち上がり
「それでは、失礼します。」
と言って会釈をし、出入口に向かって歩き出した。
出入り口のドアの前まで歩き、ノブを掴んで引き開け、廊下に出ると
「失礼します。」
ともう一度言って、ドアを閉めた。
青年は、自分の部署に向かって歩き出す。
黄色い車の主とは、もう2度と会うこともないだろう。
そう考えながら、青年の頭の中では、彼の国の少女の死に顔が鮮明に甦っていた。
そして、もう一つ
喫茶店の少女の顔が描き出されている。
青年は、あの喫茶店に行ってみようと思った。
明日は、出張の代休で休みだった。




