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黒孩子  作者: カギシッポ
11/38

10.知らせ

 満腹になった猫達は、次々にキャットフードを食べることをやめ、皆、思い思いの場所に移動し始める。

 ある猫は、日の当たる場所に移動し毛繕いを始めた。

 ベンチやテーブルでくつろいでいる猫もいる。

 仔猫は、ベンチの上に座って毛繕いを始めた。

 少女も、猫達にキャットフードをあげ終わってから、ベンチに座った。

 毛繕いをしている仔猫を少女が撫でると、仔猫は顔を上げ、少女の膝に乗ってきた。

 少女が顎の下を撫でると、仔猫は、喉を鳴らす。

 少女達が、初めて仔猫と出会ったのは、昨日だった。

 公園のほとんどの猫は、避妊か去勢をしてある。

 増え放題で、厳しい生存の過当競争を繰り返していた猫達を見かねた「先生」が、自費で少しずつ、手術を受けさせていた。

 そのため、公園には仔猫がほとんどいない。

 それでも、ごくたまに、他の場所から移動して来た猫が子供を産んだり、他の場所で生まれた仔猫が移動してきたりする。

 少女の膝の上の仔猫も、昨日から公園に住み始めたのだろう。

 仔猫は、よく人に馴れていた。

 どこかで、人の世話になっていたのかもしれない。

 また、公園の猫が増えるのは、移動のためばかりではない。

 心無い人の手によって、捨てられた猫もいた。

 仔猫は、そういった猫なのかもしれなかった。

 しかし、少女にとって、そんなことは、どうでもいいことだった。

 昨日まで少女は、実際に仔猫というものを見たことがなかった。

 少女が仔猫と接するのは、初めてだったのである。

 幼い者のみが有する、か弱げで愛らしく丸い容姿が、たちまちのうちに少女の心を幸せの束縛に陥れた。

 仔猫の、その無垢な魂に支配された、まだぎこちない動作の一つ一つが、たまらなく愛おしかった。

 少女は、仔猫に夢中になっていた。

 そして、もう一人

 少女と一緒に、仔猫を可愛がってくれていた存在

 隣の家の女の子も、少女とともに、夢中になって仔猫を撫でてくれていた。

 明日になったら、一緒に仔猫に名前をつけよう、と約束していたことを思い出した。

 もう、少女の隣には、誰もいない。

 少女は、一人になってしまったことを、また、思い知らされた。

 少女の中で浅い眠りについていた悲しみが目を覚ましかけたとき、仔猫の頭にのびる手があった。

 少女は、顔を上げて「先生」を見た。

 「先生」も一緒に仔猫を撫で始める。

 一人ではなかった。

 少なくとも、この公園では、

 そして、その日までは、

 「この子に、名前をつけてあげないといけないね。」

 そう言いながら、「先生」は仔猫の頭を撫でるのをやめた。

 少女は、仔猫に視線を落とし、顔の横を撫でる。

 仔猫は、喉を鳴らしながら少女の手に頭を擦り付けてきた。

 少女には、自分一人だけで仔猫の名前を決めてしまうことに、何となく躊躇いがあった。

 しかし、もう二人で一緒に名前をつけるという約束を守ることは、かなわない。

  携帯電話の着信音が、そんな少女の戸惑いをかき消す。

 「先生」は、少女と反対の方向に向きを変えながら、ポケットから携帯電話を取り出し、少し歩いた。

 画面を確認してから、「先生」は、携帯電話を耳にあてる。

 「はい、どうしたの」

 「先生」は、電話にでて、そう言った。

 少女は、また仔猫を撫で始める。

 「おい、どうしたんだ」

 ほんの少しだけ強い口調で「先生」が電話の相手に言った。

 その声が聞こえた少女は、仔猫を撫でるのをやめて電話をしている「先生」を見る。

 「えっ、それで、容体はどうなんだ。命に別状はないのか。」

 深刻な口調で「先生」が電話の相手に聞いていた。

 「とにかくすぐに帰るから。うん。うん。分かった。」

 そう言って「先生」は、電話を切った。

 少女は、どうしたのだろうと思い、「先生」のことをじっと見ている。

 「先生」は、携帯電話をポケットにしまってから、少女に向かって歩き出した。

 それは、少女の見る「先生」の初めての姿だった。

 「先生」の目は、どこを見ているのか。

 視点の合わさっていない視線が、宙を彷徨っていた。

 「先生」の心は、ここにはなかった。

 電話のとき話していた場所に、今はあるのかもしれない。

 強すぎる衝撃が、「先生」の心を麻痺させていた。

 「先生」は、歩きながらテーブルの上の荷物をつかんだ。

 まるで、無意識のように

 そして、ベンチに座る少女の前まで来て、「先生」は立ち止った。

 「先生」のずれていた視点が、少女の顔で合う。

 少女も「先生」の顔を見上げていた。

 「すまないけど、私はすぐに帰らなければならなくなってしまったんだ。だから今日は、一緒に勉強をすることが出来ない。ごめんね。」

 「先生」は、そう言って、少女の頭を撫でた。

 その顔に、笑顔は既にない。

 深刻な何かが、それを奪い去っている。

 「先生」は、持っていたスケッチブックから画用紙を3枚破り取った。

 「これに好きなものの絵を描いてごらん。」

 そう言って、画用紙を少女に渡した。

 画用紙を左手で受け取った少女は、いつもと様子の違う「先生」に、ほんの少しだけ、何か怖さを感じていた。

 そんな気持ちに気が付いたのか、「先生」は笑顔をつくり、もう一度少女の頭を撫でた。

 「あと、これ、お昼に食べて。」

 手に持っていたバッグから、今日の分の昼食とキャットフードを取り出しながら、「先生」が言った。

 風呂敷に包まれた少女には大きすぎる昼食とキャットフードを、「先生」はテーブルの上に置いた。

 「食べきれないだろうから、余った分は、他の子にあげるか、お家に持って帰りなさい。

 あと、これ、猫のご飯。帰りにあげてね。」

 少女は、「先生」の顔を見ながら、黙ってうなずいた。

 「それから、絵具とクレヨンを置いていくから、自由に使って。今度公園に来た時に渡してくれればいいから、それまで、持っていてね。」

 テーブルの上に置いてある絵具とクレヨンの入った布の袋を指さして「先生」がそう言うと、少女は力なくうなずき、そのままうつむいてしまう。

 「先生」が、この場からいなくなるという現実が、少女の感情をつき動かし始めていた。

 一人になってしまう。

 その現実が、少女をどうしようもないほどの寂しさの闇へと誘っていく。

 かけがえのない大切な友達との別れという、おそらく体の一部を奪い取られるような辛さであろう傷を負ったばかりの幼い心の内を思うと、「先生」には、この場を去ることが決して許されないことのような気がしていた。

 しかし、「先生」には、今、どうしても向かわなければならない場所があった。

 「ごめんね。どうしても行かなければならないんだ。本当にごめんなさい・・・・」

 そんな言葉を、何回か繰り返す。

 他に言葉は、見つからなかった。

 一人で大丈夫か聞くことなど、とても出来ない

 大丈夫なはずは、なかったからだ。

 「ごめんね。じゃあ、もう行くから。本当にごめんね。」

 少女の頭をもう一度撫でてから、「先生」は、荷物を手に階段に向かって足早に歩き始めた。

 急いで歩きながらも、得体のしれない胸騒ぎが、「先生」の中に広がっていく。

 「先生」は、10歩ほど歩いてから立ち止まってしまう。

 そして、少女の方を振り返った。

 仔猫を膝に乗せ、左手に画用紙を持ったまま、まだうつむいている少女がいた。

 このまま少女を一人にしてしまうことへの逡巡が、束の間の支配をする。

 しかし、迷いの時間は、極めて短かった。


 今は、向かわなければならない場所があった。


 「先生」は、前を向いた。


 そして、また、歩き始める。


 長男の運び込まれた救急病院は、隣町にあった。


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