9.光景
少女が6歳になって迎えた春は、暦よりも日差しの成長が少し遅いようだった。
4月に入っても、春は、厳しい寒さから主役の座を奪えないでいた。
当時は、世界中を席巻していた経済恐慌が、一般の人々の手から義務教育前の幼児教育を、取り上げてしまっていた。
就学前のほとんどの子供達は、幼稚園にも保育園にも行かずに、自分達だけで近所の公園や公共施設に集まり、一日を過ごした。
黒孩子である少女も他の子と同じように、親が帰って来る時間まで近所の公園で過ごしていた。
少女の家の近所には、黒孩子ではない子供が少なかった。
そのため、少女の通っていた公園では、小学校就学年齢である6歳の春を過ぎた子供も珍しくなかった。
ところが、そういった子供達は、ある日突然、公園からいなくなってしまう。
昨日まで仲よく遊んでいた子が、今日はもういない。
そんなことが、時々あった。
少女は、その理由を知らなかった。
そして少女は、自分という存在そのものの意味を、まだ、知らない。
その日までは、
その公園には、たくさんの猫達がいた。
その周辺は、もともと田園地帯であった。
川も流れていて、土手がある。
その土手を利用して造られた公園だった。
公園が造られる遥か前から、そこには、たくさんの猫達の暮らしがあった。
猫達は、決して楽ではない環境の中、誰にも頼ることが出来ずに、それでも健気に慎ましく、日々を必死に生きていた。
厳しい生活ではあったが、猫達は平和に暮らしていた。
苦しいながらも、そこには確かに穏やかな幸せがあったはずだ。
しかし、猫達には、そんな小さな幸せさえも許されなかった。
その町は、もがいていた。
今にも忘れ去られてしまいそうな何の取柄もない田舎町は、まるで不況の咢が襲う前に最後の悪足掻きをするかのように、なりふり構わず生き残りの道を探り続けていた。
工業団地という安易な開発方法は、農地以外取り立てて何もないその町にとっては、唯一の現実的な発展の術だったのかもしれない。
小さな工業団地を作る。
たったそれだけのことが、この町のなしうる限界だったのだろう。
だが、中途半端な土地の安さだけを理由にした招致活動では、町に大きな利益をもたらすような企業を招聘することなど、初めから無理な話だった。
辛うじて赤字を免れているだけの中小企業達が、町の希望を叶えられるはずもない。
招致費用に見合うだけの税収を、この工業団地から期待していた者は、皆無だった。
また、この事業の帰結は、町の期待を2重に裏切る結果となってしまう。
町は、地域住民の雇用を期待していた。
しかし、実際に採用された者の半数以上は、隣県の住民だった。
その工業団地の用地は、町の中でも特に過疎化が進み、地価の安い隣県との境に用意されていた。
そして、隣町の県境の近くに、工業団地の完成と前後するようにして、大きな新興住宅地が建設されたのである。
工業団地のある町の住宅地よりも、この隣町の新興住宅地の方が圧倒的に工業団地との距離が近かった。
決して経営の楽ではない中小企業達は、従業員の多くを非正規雇用のパートやアルバイトに頼らざるを得ない。
この非正規従業員の募集に、多額の住宅ローンを抱えた隣町の新興住宅地の主婦達が殺到したのである。
企業側からすれば、わざわざ遠くの住民を採用するよりも、余計な交通費を払わなくて済む新興住宅地の主婦を雇用することは、ごく自然な成り行きだった。
新規の採用が終わってみれば、正規雇用の従業員達の多くも、結局、隣町の新興住宅地の住民によって占められていた。
その場所には、様々な人の力を借りながら、小さいながらも、何とか工業団地としての体裁だけは整えられたものが、出来上がっていた。
しかし、なけなしの町の力を注いで造られた、地域雇用の一助にもならないそこから得られる唯一のものとは、当初住民が期待していたのとかなりかけ離れた、いつ無くなってしまうかもわからない、ほんの僅かな税収でしかなかった。
だが、こうなってしまうことは、本当に予測できなかったのだろうか。
このような結果が導き出されてしまうことは、関わってきた誰の目にも明らかなことなのではないのか。
なぜ、この町は、こんなにも愚かしい行為に走ってしまったのか。
他に、町が工業団地を造った本当の理由があるというのか。
町は、企業招致のときに、一つの条件を出した。
ほとんど唯一と言って良い条件だった。
それは、各企業の工場建設を、地元の業者に必ず請け負わせるというものだった。
何かが造られるとき、ほとんどの場合、金が動く。
それは、造るものが大きければ大きいほど、多額になっていく。
工業団地ともなれば、建設費も莫大なものになる。
その莫大な建設費が、町の業者に落ちるのである。
先細っていく町の公共事業に絶望さえ感じていた建設業者達は、工事を請け負うために必死にならざるを得なかった。
町が工業団地の建設を公示すると、建設会社の多くは、まず、情報の収集に乗り出した。
建設業者達は、役場の関係者や議員に接触し、どうにかして発注企業の情報を得ようとした。
ところが、工業団地建設が公示されたときには、既に一部の建設業者が発注企業と接触してしまっていた。
事実上、この時点で建設工事の受注業者は、決まっていたのである。
なぜ、そのようなことになっているのか。
工事を受注するために、普通なら、まず、建設業者達の方から役場の関係者や議員との接触を図ろうとする。
しかし、この工業団地の建設に関しては、全く逆のことが起っていた。
町の工業団地建設関係者、自らが、建設計画が持ち上がった時点で、一部の建設業者との接触をはかっていたのである。
町、自らが、建設工事の談合のために便宜を図っていたということだ。
その一部の建設業者とは、町の工業団地建設関係者と近しい利害関係にある者達のことだ。
なぜ、そのようなことをするのか。
それは、建設業者から賄賂を得るため、
それは、建設業者に貸しを作るため、
それは、後援組織の人達の機嫌を取るため、
それらは、全て、醜い私利私欲のためだけに、したことだった。
この意地汚い談合のために、招聘された企業達は、割高な建設費を負担させられることになってしまった。
町の利権者達の私利私欲のために、建設予定地の所有者達も、町の発展のためだからと、タダ同然の値段で土地を買いたたかれていった。
結局、町が工業団地を造ることで潤ったのは、開発を推し進めた町長を初め、一部の議員や幹部公務員とその取り巻き、そして、それらに通じていた建設業者の懐だけだった。
この町の心臓部には、既に人の血は通っていなかった。
その工業団地は、公園と隣接するようにして建設されていた。
当然そこにも、多くの猫達が生きていたはずだ。
しかし、平和に暮らしていた多くの猫達は、そんな薄汚い町の欲望達に、安住の地を奪われていった。
安住の地を追われた猫達は、生きていくという、たった一つだけの純粋な思いで、新たな生活の場を必死に探し求めた。
公園という、生きるために残された唯一の場所に辿り着けた猫達は、運が良かったのだろうか。
逃げるようにして公園に集まって来た猫達は、そこを終の棲家としようとしていた。
だが、そうすることには、一つ大きな問題があった。
猫達は、その数自体が多すぎた。
周り中から集まって来た猫で、公園は、飽和状態になっていた。
猫達は、生きるために鳥や小動物を何とか狩ろうとしたが、猫の数に対して、それらはあまりにも少数だった。
満足な量の餌を確保することは不可能に近く、過酷なサバイバルを生き残るためには、他者の獲物を奪うしかない。
強い者や頭の良い者は、自分で狩った他に横取りした獲物で飢えをしのぎ、奪われた者は、新たな生きる場所を求めて、公園を出て行かざるを得なかった。
また、公園にはカラス等の競合相手もいるが、猫達が生きていく上で最も障害となっている生き物がいた。
それは、人間だった。
人の勝手な都合で棲家を追われた猫達は、ここでも人間の我が儘な身勝手さのために、生死を分けるような迫害を受けてしまう。
猫は、人に何もしなかった。
危害を加えることもなく、排泄も目立たない場所で行い、大抵の排泄物は穴を掘って埋めていた。
猫は、公園にいる人達に、何の迷惑もかけない。
もともと、そこの場所で生まれ、そこの場所で育ち、そこの場所で生きてきた猫達である。
猫達は、ただ、公園で静かに暮らしていたいだけだった。
そんな猫達が、心無い人の手によって残酷な仕打ちを受ける。
ある者は、動きの遅い老猫を追い回し蹴り上げ、ある者は、猫の棲家に灯油や機械油を撒いた。
何の罪もない、ただ、日々を必死に生きているだけの猫達に、なぜ、そんなにも残酷なことが出来るのか。
そこには、まともな理由などない。
虐待する者は、皆こう言う。
「猫が嫌いだから」
と、
しかし、ただ嫌いなだけで、何の罪もない幼気な者達に、そこまで残酷な仕打ちが出来るのか。
虐待をする本当の理由とは、何なのか。
それは、自分の送って来た今までの人生に対する、言い訳にもならない言い訳だった。
特別な才能が無いのにもかかわらず、何の努力もせず、謙虚さも誠実ささえも持ち合わせていない、ただ無為な日々を生きて来た者達が、その結果としての今の自分自身に対し言い訳をしているのである。
何の意味も持たない、くだらないだけの人生を送って来た結果の、全く誰にも評価されず相手にもされない今の自分の境遇を、認めようとしないための行為だった。
今の自分が認められないのは、自分のせいではない。
周りが悪いから、今の自分は認められないのだと言い訳している者達。
その言い訳のためには、自分より弱い者の存在が必要だった。
自分は、こいつらよりも、こんなに強くて優秀だ。
そんなふうに思える相手が必要だった。
自分は、本当はこんなに有能な人間で今の状況は間違いであることを証明するという、無理やりこじつけた理由にもならない理由で猫達を虐待していた。
そしてもう一つ、彼らには彼らなりの間違った大きな理由がある。
それは、嫉妬だ。
公園を訪れる者の中には、猫達に無償の愛情を捧げる人達もいた。
過酷な運命に抗わなければならない儚い命達に、せめてひとかけらの糧をと思ってしまうことは、正常な思考を持つ者にとって無理からぬことであろう。
猫達も、そんな人間に心を許していた。
猫は、自分達を愛おしく思ってくれる者に、とてもよく懐いていった。
晴れた日の公園で、猫と猫とが、または猫と人とが仲睦まじくしている光景は、誰の目にもとても微笑ましく映っていた。
ある者達を除いては
全く正当な理由のない愚かで理不尽な感情しか抱くことが出来ない卑屈な者達。
猫を虐待している者にとっては、その光景自体が、どうにも許せなかった。
誰からもまともに相手にされず、世の中から常に疎まれて生きる者には、多くの人から愛されている猫の存在が許せないのである。
周り中から忌み嫌われることが、己自身の責任であることも自覚できないままに
なぜ、自分は、愛されないのか。
なぜ、自分は、受け入れてもらえないのか。
なぜ、猫達は、こんなにも愛されているのか。
そんな思いが集約し、やがて嫉妬になっていった。
自分に向けられる分の愛情まで、こいつらが持って行ってしまっている。
こいつらがいるから、自分は愛してもらえない。
嫉妬の思いは、やがて、愚者達がいつもそうしてきたように、原因を他者に擦り付けるための全く無関係な根拠のない理由へと、すり替わっていった。
そして、愚者の猫達への感情は、いつの間にか嫌いだなどという段階を遥かに超えて、激しい憎悪へと変わっていた。
愚者達は、自分以外の公園を訪れる者を嫌っていた。
あまりにも自分自身を過大評価し、強固な利己主義による度を超えた自意識の過剰さが被害妄想を生み出す。
周りにいる全ての人間が、自分のことを迫害しようとしている。
自分の卑劣な心が、学校や職場で己自身を虐げさせ続けていることも分からない愚者達は、自分以外の他者に対して、誰彼構わず激しい憎しみの感情を抱いていた。
そこには、正当な理由などなかった。
自分のことを快く思わない者は、愚者達にとって、皆、敵だった。
愚者達にとっては、他者と会話することさえ容易ではなかった。
人と、まともに関わり合うことが出来ない。
愚者達にとっての敵とは、自分以外の全ての生き物のことだった。
つまり、愚者達にとっては、自分以外の全ての生き物が、自分のことを迫害しようとする、関わってはいけない悪者ということになる。
愚者達を受け入れない人達が、自分よりあらゆる面で優れていることへの言い訳だった。
人からも動物からも、真に必要とされない命達。
愚者達は、公園で自分以外の人間に会うことを、極端に避けていた。
そのため、猫達への残酷な虐待行為は、公園から人がいなくなる夜や早朝に行われた。
誰がやっているか分からないように。
愚者達のほとんどの行為は、その醜汚な魂と同じように、卑屈で邪悪そのものだった。
猫達は、そんな公園で毎日を強く生きていた。
少女は、その猫達が大好きだった。
昼間、猫達はベンチやテーブルの周りにいることが多い。
少女は、他の子供達と一緒に遊具で遊ばずに、猫とベンチで過ごしていた。
そのベンチには、よく白髪の眼鏡をかけた老人が座っていた。
猫達は、老人から餌をもらっていた。
その老人のことを、子供達は、「先生」と呼んでいる。
「先生」は、元々ある有名な大学の教授をしていたらしい。
文化勲章を授与されているという噂もあった。
少女は、「先生」と一緒に猫に餌をあげたり、遊んだりして過ごしていた。
「先生」からは、猫についてのいろいろなことを教えてもらった。
猫が好きなこと、嫌いなこと
猫が食べてはいけない物
猫の性格や習性
どうすれば、猫が喜んでくれるのか
猫以外のことも、「先生」は、いつも優しく丁寧に教えてくれた。
文字や絵や折り紙、季節の行事や世の中の仕組み。
それらは、本来、就学前の幼児教育で身につけるものだ。
「先生」は、公園の子供達の、本当の意味での「先生」だったのである。
子供達は、公園に行くとき、必ず一本の鉛筆と消しゴム、そして、一冊のノートを持っていた。
それらの物は、皆、「先生」が子供達のために、人数分を買い与えてくれたものだった。
「先生」は、いつも小さなホワイトボードとスケッチブック、色鉛筆やクレヨンを持って来ていた。
ホワイトボードを使って「先生」は、文字の読み方や書き方を教えてくれた。
スケッチブックは、絵を描くときに、子供達に一枚ずつ破り取って配ってくれる。
そして、自分の持ってきた鉛筆や「先生」の持ってきた色鉛筆やクレヨンで字を書いたり絵を描いたり、猫と遊んだりしながら一日を過ごしていた。
公園は、黒孩子の子供達にとって、まさに幼稚園であり、学校だった。
子供達は、ノートと筆記用具の他に昼食用の御弁当を公園に持って来る。
「先生」も、食べきれないほどの量の昼食を、毎日、持って来ていた。
子供達の中には、経済的な理由で、お昼を食べることが出来ない子供もいたからだ。
「先生」は、そういった子供達のために、いつも分けられるように沢山の昼食を用意していたのである。
少女も「先生」のお昼を分けてもらったことがある。
そのときの少女は、とても美味しそうに夢中になっておにぎりをほおばっていた。
親以外の人の優しさに触れたことによる経験したことのない喜びの感情が、その時もらった鮭のおむすびの味を、少女にとっての至高のものとしていた。
「先生」は、そんな少女達の嬉しそうな様子を、優しく微笑みながら眺めていた。
少女が封印していた、大切な思い出の光景だった。
少女にとっては、この場所で過ごす時間が、一番幸せだったのかもしれない。
自分の本当の境遇を、まだ、何も知らない
残酷な運命だけを背負わされて生まれて来た小さな命達
そんな命達が、この場所では、普通の子供として生きることが出来た。
ここでだけは、誰のまわりにも、優しくゆっくりと時間が流れていた。
少女は、いつも隣に住む同い年の女の子と一緒に公園に来ていた。
出勤する少女の母親と三人で、毎朝、5分ほどの公園までの距離を歩いて行く。
その女の子も黒孩子だった。
二人とも父親がいない。
どちらも母親と自分、二人きりの家庭だった。
境遇の似た二人は、一緒にいることが多かった。
何をやるにも二人は、いつも一緒だ。
二人とも猫が大好きだった。
公園では、二人で仲良く猫と遊んでいた。
一緒に字を覚え、絵を描いた。
過酷な運命をいつも共に耐えて来た二人は、姉妹さえも超えた絆のようなもので結ばれていた。
二人にとっては、お互いが、かけがえのない存在そのものになっていた。
その日、女の子は公園に来なかった。
いつもは、女の子の方から少女の家に「一緒に公園に行こう」と誘いに来ていた。
だが、その日は、いつもの時間になっても女の子は来ない。
少女は、どうかしたのかと、自分の方から女の子の家に行ってみようと思った。
母親に隣の家に行くことを言おうとしたとき、出勤の支度を終えた母親が
「さあ、もう行きましょう。」
と少女に声をかけ、玄関に向かって歩き出した。
「えっ」
少女は、少し驚きながら母親を見た。
いつも、三人で公園まで行っていたのに
母親は、隣の家の女の子のことを忘れてしまっているのか。
しかし、そうではないことが少女には分かった。
必死に何かを振り切ろうとするかのような厳しい表情
少女は、その母親の顔を見た時に思い出していた。
昨日まで普通に公園にいた子供達が、翌日から急に来なくなってしまう。
そして、その子供達と、もう二度と会うことは出来ない。
そんなことを思い出した。
その理由を、少女はまだ知らない。
その理由を誰も教えてはくれない。
また、誰もその理由を聞こうとはしなかった。
ただ、何となく、隣の家の女の子のことを母親に聞くことは、いけないこと。
母親の顔を見ていて、少女はそんなふうに感じた。
少女は、母親と二人で、公園に向かった。
その手には、ノートと筆記用具、それと昼食だけが入れられた小さなバッグを持っている。
隣の家の女の子も、少女と同じものを手に持って、一緒に公園まで歩いていた。
昨日までは、
一人少ない公園までの道のりは、今までより少し長く感じられた。
いつもは明るく、楽しく会話をしながら、皆で歩いて行く。
少女の母親は、困窮する家計のために毎日働詰めだった。
そんな母親と、黒孩子である少女が一緒に外を歩くことが出来る唯一の時間
それが、この公園までの毎朝の道行きだった。
この道行きの僅かな間だけ、少女は、どこにでもいる普通の娘でいられた。
そんな明るさも楽しさも、この日は、影をひそめることしか出来ない。
母親は、女の子の話題に触れることを必死に避けるように厳しい表情のまま、無言で歩き続けていた。
今までの日常とのあまりの違いが、少女を困惑の奈落の民とする。
少女を襲った、もう隣の家の女の子とは会えないという現実が実感を伴うのには、まだ、時間が必要だった。
悲しみのそのあまりの深さと突然さ故に、少女の幼い心が受け入れることを躊躇うことは、許されなければならない。
少女が公園に着くと、もう「先生」は、ベンチに座っていた。
木製のテーブルの上には、「先生」の荷物が置いてある。
「先生」の周りには、5匹ほどの猫が集まって来ていた。
猫達にとってベンチの周りとは、食堂のようなものなのだろう。
猫達は、今日の朝食を食べに来ていた。
「先生」は、階段を昇って来た少女に気が付いた。
最初、いつもそうするように少女に微笑みかけながら、
「おはよう」
と声をかける。
しかし、すぐに少女の様子がおかしいことが分かった。
少女は、うつむきながらベンチに向かって、力なく歩いている。
挨拶も返さない。
深すぎる悲しみの衝撃が、少女の言葉を奪い去っていた。
感情の表出さえも
少女の顔は、無表情だった。
「先生」も少しの間、言葉を失っていた。
何があったのか。
少女は、一人だった。
「先生」の目が、誰もいない少女の右横を見た。
今日も、そこにいるはずだった存在
今日も、そこにいて欲しかった存在に思いをはせる。
「先生」も思い出していた。
公園から消えていった子供達のことを
少女の様子が、その事実を裏付ける。
もう女の子は、この場所に来ることはない。
絶望を伴う悲しみが、「先生」の心を詰まらせた。
女の子がどこに行ったのか、公園から消えた子供達がどこに行ったのか
大人達は、
「先生」は、知っていた。
そしてそのことが、絶望と悲しみを、さらに深くする。
「先生」は、視線を少女に戻した。
少女は、東屋のかたわらで歩みを止めていた。
まだ、うつむいたままだ。
母親と別れ一人きりになってしまったことで、女の子がいなくなったという現実を、少女は急激に実感し始めていた。
少女の双眸が僅かに潤みを増したとき、一匹の猫が「先生」の膝に飛び乗ってきた。
それは、生後3か月ほどの三毛の仔猫だった。
膝に乗った仔猫は、「先生」の顔を見上げながら、何かをねだるように
「ミー」
と、一声鳴いた。
猫達は、お腹がすいていたのである。
「先生」は、いつも少女達が来てから、猫達にご飯をあげる。
少女達が、それを楽しみにしていたため、「先生」は、いつも待ってくれていた。
「先生」は、仔猫を両手で抱き上げると、ベンチの上にそっと降ろす。
仔猫は、「先生」の顔を見上げたまま、大人しくベンチの上に座った。
「先生」は立ち上がって、少女のそばまで歩いて来た。
少女は、まだ、顔を上げない。
そんな少女に「先生」は、
「はい」
と言って、ドライタイプのキャットフードの小袋を差し出した。
少女は、顔を上げて「先生」の顔を見る。
そこには、普段と変わらない優しそうな笑顔があった。
「先生」は、少女のために必死の思いで悲しみを押し殺し、笑顔をつくっていた。
少女は、「先生」の顔を見たまま動かない。
「先生」もキャットフードを少女に差し出したまま、動かなかった。
「先生」の笑顔を見続けていた少女の心が、少しずつ悲しみの束縛から解き放たれていく。
数秒後、ベンチの仔猫がもう一声鳴いた。
その鳴き声がきっかけであるかのように、少女の右手が動く。
「ありがとう」
そう言うと少女は、右手でキャットフードを受け取り、ベンチに向かって歩き出した。
少女がベンチの所に行くと、いつものように猫達が寄って来た。
少女は、猫達に囲まれながらキャットフードをあげ始めた。
猫達は、少しでも早くキャットフードをもらおうと、鳴き声を上げながら、少女にすり寄って来た。
やがて「先生」も一緒に、キャットフードを猫達にあげ始める。
猫達は、静かになって、夢中でキャットフードを食べ始めた。
少女は、キャットフードを食べている仔猫の頭を撫でてみる。
すると、仔猫は、キャットフードを食べるのをやめて、少女の足元にすり寄って来た。
少女は、仔猫の顎の下を撫でた。
仔猫は、喉を鳴らしながら、気持ち良さそうに目をつぶっている。
少女が撫でるのをやめると、仔猫は、またキャットフードを食べ始める。
少女は、笑顔を取り戻していた。
そこには、いつもの光景があった。
少女と、「先生」と、猫達の、穏やかないつもの光景があった。
少女が人として生きることが出来た、最後の穏やかな光景があった。
それは、忘れたくなかった、少女の大切な思い出の光景だった。




