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見えちゃう女  作者: あんどこいぢ
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だめ男たち

 改札口から吐き出された男たちが、ちらちらと彼女の方をふりかえっていった。横目で一瞬、というのはまだいいほうで、なかには眼を瞠り、口笛でも吹くかのように唇を尖らせてゆく者もあった。彼女は改札口から陰になるよう、駅舎を支える柱の一本にぴたっと背をつけ立っているというのに……。

 さらに、同性の女たちも……。ふんっと鼻を鳴らし通りすぎていったのは、高級そうなスーツを着たキャリア風の女だった。

 柏木美羽。二十三歳。昨春さるお嬢様大学を卒業したばかりの、新人OLだ。外見的にはまずその長身が周囲の人々の注目を集める。百七十センチちょうどと決して高すぎるわけではないが、とにかく脚が長い。と言ってモデルのような感じではなかった。豊かな曲線を描く腰部。むちむちした大腿部。そして臀部。いかにも好色な中年オヤジが、そそられそうな体型をしている。とうぜん巨乳だ。髪も豊かに波打っている。顔はやや幼なげな感じで、とはいえ厚めの唇のほころびかけたような造作が……。ようするに全身、頭の先から足の先まで、ぴちぴちした官能の塊りなのだ。しかし美羽は、そんな自分が大嫌いだった。

 先刻のキャリア風女の蔑むような視線──。ふんっ! 男に媚びやがって! カレ氏を盗った盗らないといった話で、親友だと思っていた級友にいきなり頬を張られたこともあった。だから彼女は、体の線が出る服が嫌いだし、むちむちした太腿を晒さなければならないミニは、滅多なことでは身に着けなかった。それなのに……。

 夏の陽が沈みかけている。

 ニットを押し上げる球体が赤く染まり、その完熟度を倍加している。フレアミニから突き出た脚も、官能的で、健康的で、そして同時に退廃的だ。男も女もそれぞれの驚きをこめ、そんな彼女をふりかえっていった。今宵彼女は、あえてこの服を選んだのだ。ある男の眼を意識して! それゆえ彼女は、いまこの瞬間、自分自身を怒鳴りつけてやりたい気分だ。とはいえ彼女のような若い女が、自分よりも他者のことを責め勝ちになるのは、まあしかたがないことなのだろう。

 あのばか! いったいいつまで待たせるつもり?

 待ち合わせ時間にはまだ二十分ほどあるのだが、あえて扇情的な服を選び、約束の三十分も前にいそいそと出かけてきた乙女心は、とうぜん報いられてしかるべきだ。きゅっと尖らせた肉感的な唇が、そのことを頑なに主張している。

 しかしいま、彼女の脳内に浮かびサンドバックになっている男は? 今度は小さな溜め息とともに、それとはまた別な感情が生まれる。

 ああ……。やっぱこんなふうになっちゃった……。私ってほんと、ばかみたい……。

 実はこの状況、彼女の一人相撲なのだ。

 話はちょうど梅雨のはじめごろに遡る。勤務先の男たち(彼女に言わせれば彼らもまた、問題の男同様ばかばっか!)が、いろいろな意味であぶない話をしはじめたのだ。

「何か出るわけじゃないんだろ?」

「……けどね。なんとなくね」

「だから、稲盛に入ってもらおうよ。あいつなら霊とか関係ないだろ?」

「そうっすね。いちいち神奈川から出てきてもらうの、やっぱ気い使っちゃいますし……」

 勤務先と言ってもそこは、分譲住宅の一室である。普通の部屋に事務机を入れ、オフィスとして使用しているのだ。『三條ITS』というそれらしい社名もあるが、美羽が最初に面接に訪問したとき、社長の三條は頭を拭き拭きバスルームから駆け出してきて──。

「いやあ悪い悪い。履歴書送ってくれた子? 面接今日だっけ? しかしこんなとこにあんなちゃんとした履歴書送ってくるなんて、逆に変だなって、みんなで話してたんだ」

 半ズボンにカジュアルシャツ。辛うじて裸でないといった感じで、シャツのボタンは留まっていなかった。採用はその場で即断即決。ただし……。

「ま、うちにはいつきてもらってもいいから、普通の就活、もうちょっとがんばってみたら?」

 とうぜん美羽は、その忠告に従った。しかし彼女は、残念ながら、「普通の就活」には失敗したと言っていい。その上さらに……。実は「そこ」は会社ではなかった。就活中ちょくちょく寄らしてもらっていたときから嫌な予感はしていたのだが、いよいよほかが決まらないという事態になり、いろいろ不安になって、

「ITSのITはインフォメーションテクノロジーの略だと思うんですが、Sはいったいなんなんですか? システムですか? サービスですか?」

 と尋ねてみたところ、社長の三條はPCでゲームしながら、

「そんなもんどっちだっていいんだよ……」

 などと言う。彼はスーツを着ればそれなりにIT社長っぽく見えるのだが、そうしてゲームをしていると、まるで小学生だ(ちなみにPCはオフィスの備品)。さらに奥の方のPC越しに、そのころすでに顔馴染みになっていた他の社員、八田と竜崎が混ぜっ返す。

「セキュリティって線もありかな?」

「ヘヘ、よく言いますね? 八田さんのPC、アングラサイト覗きまくりで、マルウェアの巣窟じゃないっすか」

 そして彼らは、げらげら笑い出してしまったのだ。思わず凍りつく美羽──。必死で声を絞り出した。

「ここ、ちゃんとした会社なんですよね?」

「うんにゃ。みんなそれぞれ青色申告。まあ八田は毎度毎度怪しいもんだが、本年度も自己責任で、よろしくっ」

 結局そこは、ただのPCヲタクたちの溜まり場だったのだ。美羽にとって就活とはまた別の、新たな地獄が始まった。まずあまり乗り気でない三條の尻を叩き、ちゃんとした会社として登記させた。実質美羽一人の奮闘だった。つづいて──。

「これからは会社なんですから、八田さんも竜崎さんも、ここのPCで内職するの、やめてください! 経費とか税金とか、ぐちゃぐちゃになっちゃう!」

 八田はアニメのフィギュアのセドリなどでけっこう稼いでいたようで、収入が減ってしまうとだだをこねたが……。

「だめです! どうしてもそれやりたいんだったら、うちへ帰って、自宅のPCで一人でやってください!」

 そしてようやく一息ついた昨年十月初旬、美羽は多少威儀を正し、三條たちに訊いてみたのだ。

「大庭先生のHPもここのお仕事なんですよね? 私卒論であのHPの文献案内とかに、ものすごくお世話になって……」

 その大庭教授のHP、『労働問題ウェブ・リファレンス』、タイトルの下に小さく表示されていた「協力・三條ITS」の文字列は、当該HPの信頼度同様、真摯に卒論に取り組む女子大生に純粋な憧れを抱かせるだけの何かがあったのだが……。

「ああアレは、ほとんど稲盛の仕事だったなあ? なんだか妙に当てにされちゃって、どんどん仕事増やされちゃって、最後は爆発して喧嘩別れになっちゃったんだよなあ?」

 三條はそう言いながら、八田と竜崎をちらちら見た。

「稲盛さん、入れこんでた割りに案外あっさりしてたなあ。資料なんかも揃えてたのに、以後一切見向きもしなかったもんなあ」

「そう言やあのひと、ここんとこ見かけませんねえ? また下手糞な小説でも書いてんですかねえ?」

 言われてみれば三條と同世代の中年男が、美羽が正式に勤め出す以前、ちょくちょく出入りしていた記憶がある。

「やだ、それじゃそのひとのお給料、いったいどうなっちゃっているんですか?」

「えっ? 知らないよう。四月から仕事してないんだから、別にいいんじゃない?」

 美羽の顔から血の気が引いた。とうぜん頭にもきた。三條にも。八田と竜崎にも。そしてその稲盛とかいうばかオヤジにも。とはいえ他方で、やはり負い目も感じたのだ。知らぬ間にそのひとをクビにしてしまっていたわけだから……。

 美羽は会社と大庭教授との関係を修復し、それを理由に稲盛を引っ張り出した。

「文献も年表も、一年分追加があるってゆうんですよ。具体的な作業は私がしますから、稲盛さんは監修するって形で、四月からのお給料のおかしくなっちゃった分、なんとかしますから……」

 と伝えると、小太りでどこかとらえどころのない中年男が、にやにや笑っている。彼のデスクも自然消滅してしまっていたので、キッチンでの立ち話になってしまった。

「そんなの別にいいですよ。なんなら僕だけ、これまで通り……」

 かっと頭に血が上った。あなたたちはそれでも社会人なんですか! 胸張ってそう言えるんですか! という怒声を、必死に飲みこみながら、

「いえ、そういうわけにはいきませんので……」

 とつづけた。稲盛たちはもうすでに、勝手に旧交を温め合っている。

「労災とかどうなってんの? やっぱりちゃんとするようになったの?」

「そうなんだよ」

「うひゃーっ! ほんとに?」

 仲間たちと談笑する小柄な中年男の猫背気味の背中に、美羽は黒い影を見た。

 あっ! このひと! なんか拾ってきちゃってる!

 美羽は自分が大嫌いだった。その男好きのする体だけでなく……。

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