お医者さんたち
R15要素がかなり強いです。
「餌の時間だー! 全員トツゲキー!」
『うぉおおお!』
彼らは咆哮をあげ、入水した老若男女の足に飛びつきます。そして、足にかじりつくのです。しかし、人間たちは痛くありません。
彼らはドクターフィッシュ。体は小さく、人間の足の老廃物なんかを糧にしている魚です。
ここは町の銭湯。古くから親しまれているこの湯に、今日も多くの人が一日の疲れを流していきます。
フィッシュセラピーの足湯は、数年前に流行に乗りたかった店主が気まぐれで始めたものです。はじめのころは、小さい規模で2・3人用の小さな湯でしたが、あまりの評判に店主は借金を背負ってまで設備を整えたそうです。いまでは十数人入る大きさになりました。
ドクターフィッシュたちは今日もせっせと働きます。食べることと仕事がイコールで結べるというのは、人間からすれば羨ましいのかもしれません。
お客さんが引くと水槽の中からおしゃべりが聞こえてきます。彼らは、食べることだけでは満足できなくなってしまい、おしゃべりの楽しみを覚えてしまった魚なのです。
今日はどんなお話をして楽しんでいるのでしょうか?
耳を澄ませてみましょう。
「まぢ、ぱねぇわ。熟女の足美味ぇわ」
「還暦過ぎた足が、でござるか?」
「そそ、まぢぱねぇんだわ……。熟成されてんの。味わい深いって感じで、メチャクチャ美味いの」
「人間でいうところの腐りかけが美味い、でござろうか。節操のないご老人が言っていたでござる」
「有名なあのセクハラジジイかよ。ジジイそんなこと言いながら、若い女にも手ぇだそうとして一悶着あったらしいぞ」
「左様でござるか! チャラ男殿!」
「お前のお気に入りの美樹ちゃんとかな。尻触って、グーパン一発KОだとさ。あの年でまだ元気って、まぢぱねぇ」
「おのれ、あのクソジジイっ……! 今度来たら思いっきり、くすぐったくしてやるでござる。笑いが止まらなくなって心臓発作で死ねばいいでござる!」
「そんなこと言ってやるな。死人が出たら皆まとめて排水口行きだぞ」
『隊長!』
「しかし隊長殿! そうでもしないと拙者の気が収まらないでござる!」
「まあまあ、落ち着け。ゴザル、よく考えるんだ。お前の幸せは何だ?」
「拙者の幸せ……、はっ!」
「そうだ、そうとも! お前の幸せは少女の成長を見守ることだ!」
「せ、拙者は……大事なことを忘れていたでござる……」
「成長期は多感な時期だ。悲しい味がしたら癒してやる。恋の味がしたら、嫉妬に狂いそうになっても背中を押してやる。それが私の知っているゴザルだ」
「まぢぱねぇっす、隊長! オレ、超リスペクト」
「ほら、涙拭けよゴザル。明日からは今の気持ち忘れずにな」
「ありがとうでござる。隊長」
「おっと、ひとつ言い忘れていたことがあった」
「なんでござるか?」
「ヤるなら死なない程度にな」
足湯の中は今日もにぎやか。ドクターフィッシュたちは元気いっぱいです。
食後の談笑のうちに夜は深くなり、店じまいの時間が近づいてきました。
おや、誰かが足湯に近づいてきましたよ。
あれは、この銭湯の一人娘。美樹さんです。
そう、セクハラジジイを拳一発で床に沈めた女の子です。
彼女はひとつため息をついて湯に足を差しました。
なんだか楽しいことが起こりそうです。また湯の中に耳を澄ませてみましょう。
「この足は美樹殿でござるな」
「なんかおかしくないっすか?」
「たしかに、今日は妙な匂いがするでござる」
「ビミョーによ、若い女が好きな男の話してるときに匂いがすんだよ」
「ああ、おそらく発情期に入ったのだろう。美樹も高校生だ。この時期なら好きなオスの一匹や二匹できるはずだ」
「信じたくないでござる」
「かじってみたら分かるさ」
「では、拙者が先陣を切って……、もぐもぐ……」
「どうだ?」
「……恋の味でござる」
美樹さんは今、恋の病を患っています。相手は幼馴染の浩平君です。彼はたびたび美樹さんに会いにこの銭湯を訪れます。
美樹さんは浩平君が好きで、浩平君も美樹さんが好きなのです。ですが二人はお互いに、自分の気持ちを伝えられないでいるのです。
触れ合いたくても触れ合えない、ぎこちない関係を二人は望んでいるのでしょうか? いえ、違うはずです。本当はもっと、くっついて、イチャイチャして、あんなことやこんなことをやってみたいはずです。だって人間の欲望に底はないのですから。
おっと、男湯の暖簾が揺れました。誰かと思えば浩平君です。
浩平君はニコニコしながら、当然のように美樹さんのとなりに座りました。
やっぱり、美樹さんの心も湯の中も騒がしくなりましたよ。
波乱の予感です。
今度は美樹さんの心から覗いてみましょう。
あ~もうっ! 何で隣に来ちゃうかな。私のこと好きなんじゃないかって勘違いしちゃうじゃないの。
今日は私ダメだ。アレを見ちゃったから変に意識しちゃってドキドキがとまらない。
放課後たまたま体育館裏を通りがかったら、浩ちゃんが後輩の子からラブレターを受け取ってたの。すごく可愛い女の子だったなぁ。小さくて童顔で、恥じらう表情がもうね、同性の私でさえ心をくすぐられちゃった。
テトテト走り去る彼女に、浩ちゃんはまんざらでもなさそうなニコニコ顔で手を振っていたの。
その一部始終を目の当たりにして、私は胸が苦しくなった。
「顔赤いけど大丈夫?」
「ダ、ダイジョブ、ダイジョブ」
そんなこと考えてたから、浩ちゃんの顔を見ることができないし、挙動不審にもなるわけだ。
彼女のことが気になって仕方ない。浩ちゃんは彼女と付き合うのかな。だとしたら嫌だな……。
って! 何で勝手に失恋した気持ちなってんのよ私! そんなのは事実をはっきりさせてからでも遅くないじゃない。
「ね、ねぇ」
「ん?」
「今日の放課後、女の子からラブレターもらってたじゃない? その……、つきあうの?」
言っちゃった……。あ~あ、私の初恋、終わっちゃったなぁ。
「ラブレター? ああ、あれか」
「あの子、すっごくかわいいよね。そりゃ、付き合うよね。でも、私応援するから――」
「お前、勘違いしてるよ」
「へ?」
「あれは、お礼の品だ。俺がバレー部の助っ人に行ったことあったろ? あの子、バレー部のマネージャーなんだけど、どうしてもお礼がしたいって水族館のペアチケットくれたんだよ」
なんて早とちり。穴があったら入りたい。いや、この際、穴じゃなくてもいいや。この足湯にダイブしてもいい。魚たちびっくりするかもしれないけど。
このやり取りを水中から見ていた小さなお医者さんたちは、この二人の恋を応援しようと考えました。
美樹さんがお気に入りだった一匹は反対でしたが、彼女に幸せになってほしいという思いから腹をくくったのです。
ですが、彼らは所詮小さな魚。湯の中から何ができるのでしょうか。
「応援しようにも、足をつつくことしかできない俺たちはいったいどうすればいいんだ」
「性感帯を刺激しちゃえばいいじゃない」
「はっ! この声は!」
『女帝!』
「この銭湯の足湯発展の牽引役となったといわれる女帝殿!」
「この魚につつかれた者はたちまち、頭痛、肩こり、足のむくみが治ってしまうという伝説の魚。……まぢぱねぇ」
「おいおい、よしておくれよ。最近は寝てばっかだったし、今では隊長のレベルが上だよ」
「恐れ入ります、殿下。しかし、なにゆえ性感帯を刺激すると恋が発展するとお考えなのですか?」
「そりゃ、多少強引にでもスキンシップ取らせないとくっつかないでしょ。男のほうも機会を伺ってたみたいだし、ムラムラさせて襲わせるぐらいが丁度いいと思ってるよ」
「さすが、女帝殿!」
「っかっけぇ! やることが超ロックっす!」
「まあ、どうなるかわからないけど。ちょっとやってみる」
一匹が浩平君の足をつつき始めました。すると、浩平君のニコニコのハンサム顔がだんだんと野獣のように変わっていきました。
そして、浩平君は手を美樹さんの肩に触れさせました。それから、ゆっくりとなでつけます。
美樹さんは赤い顔をしてプルプル震えています。よほど肩が凝っていて気持ちよかったのでしょうか。
浩平君のマッサージは止まることなく、肩からどんどん下のほうに手が運ばれました。
そして、お尻に差し掛かった時、美樹さんは何かが頂点に達したように急に立ち上がり、浩平君に向き直りました。
お礼でも言うのでしょうか。
しかし、予想は外れました。
「こぉんの! 変態がっ~!」
繰り出された右ストレートは見事に浩平君の顔面にヒットしました。それはあまりに強烈なもので浩平君は失神してしまいました。お風呂掃除で鍛え上げられた腕力は恐ろしいですね。
足湯の中のテンションは異様なまでに下がってしまいました。
「あちゃー、失敗だったか」
「たぶん、人間で言うところのムード台無しでござる」
「ってか、あのパンチまぢぱねぇわ。生で見られて感動したわ」
「まあ、拳でしか伝わらないものもあるからな」
「……隊長、それは無理があるでござる」
どうやら、今日のおしゃべりはこれでお開きのようです。
魚たちに恋のキューピットは荷が重すぎたようですね。
――いえ、そんなことはないのかもしれません。
見てください。
美樹さんが浩平君を膝枕で介抱してあげていますよ。
まるで新婚夫婦のような幸せがこちらにも伝わってきます。
今日はいい夢を見られそうですね。
後日、浩平君が水族館で美樹さんに告白するのですが、それは、また別の日にお話しましょう。
それでは、お休みなさい。