タイムカプセル
成人式の三次会から帰ると、リビングに酔っ払った父がいた。テーブルにビールの缶やおつまみの袋を無造作に広げて、ハリウッド映画を見ていた。
「おう、ようやく帰ってきたか」父はポンポンと俺をとなりに座るように促す。
こんな父を見るのは初めてだ。会社の飲み会に行っても12時にはちゃんと帰ってきて、翌日もちゃんと働けるように漢方を飲んでさっさと寝る。「俺には妻も子供もいる。それに仕事にも誇りがある」父がそう語ってくれたのはいつだったか。まじめな人間、まさに父親の鑑だと俺は思う。
それが呑んだくれのダメ人間にかわっている。
別人になった父に恐怖さえ感じた。
「父さん、仕事は?」テーブルに転がった空き缶を眺める。
「んなもん、こんなんで行けるわけないだろ。風邪でも引いたっつって休むよ」
父は暢気に笑いながらビールの缶を渡してくる。
「しっかし、匠ももう成人かぁ」
何か悪いことをしている気分になって、プルダブは引けなかった。
大人が子供にするような話が一通り済んだあと、父は「とりあえず空けろ」と指示をだした。
「タイムカプセルは空けてきたか?」
「ああ。自分で書いた自分宛ての手紙が汚い字でさ、恥ずかしいこと書いてあったの。あれはだれにも見せたくないな」
『好きな舞ちゃんに告白できましたか?』の部分が正直堪えた。舞は妊娠して高校を中退。二人目を授かったときに離婚して、今はシングルマザーをやっている。今回の成人式で久しぶりに会ったが「時々、子供にイラついて発狂しそうになる」と笑っていた。
「そりゃそうだ。父さんも日記つけてるけど読み返すと恥ずかしくなる」
日記もタイムカプセルも過去を振り返るためのツールという点は同じ。その過去には未熟な自分がいて恥ずかしくなる。また、日記は一人でつけていればいいが、タイムカプセルは複数人でやる。過去の自分を見せ合うという楽しみもタイムカプセルにはあるのかもしれない。
今回、数年ぶりに会った友人たちはみんな変わっていて、少し寂しい気分になったなぁ。
沈黙。
ビールは苦くて美味しいとは思えない。この苦さに慣れたときにまた一歩大人になる。それはきっといいことばかりじゃない。
「二十歳になったら、お前に話そうと思っていたことがあるんだ」
父は重たそうに口を開いた。
***
今から30年ほど前、友人同士でタイプカプセルを埋めることになった。よくいっしょに昆虫採集をして遊んでいた親友が言い出したのだ。
「未来の自分にメッセージを残すってなんだかわくわくしないか!」
楽しそうだった親友に皆同調して、あっさりとこの計画は決まった。
俺もそのときは楽しかった。
入れるものは、新聞、世界地図、未来の自分に宛てた手紙、それ以外に自分が入れたいものということが決定した。
埋める場所は近所の公民館の桜の木の下。館長さんは俺たちの計画が気に入ったらしく二つ返事で許可を出してくれた。
順当にことは進み、タイムカプセルを埋める日。公民館に集まった友人たちはそれぞれに埋めるものを見せ合った。
家族の写真、お気に入りの詩集、紙幣――缶詰なんかもってくるヤツもいた。俺はクワガタの本。
親友はというと。相当自慢したいのか、早くみたい仲間たちを十分にじらした。
「俺のはこれだ!」
親友が披露したモノに俺は目を疑った。それは大きなオオクワガタの標本だった。
「80mmあるんだ。すごいだろ?」
みんなが親友を持て囃した。俺も雰囲気に合わせて煽ててやったが、その態度は気に入らなかった。
プラスチックケースに思い出を詰めている間も、釈然としない感情が、ふつふつ、ふつふつと湧いてくるのを感じた。
「8年後にまた会おう!」
タイムカプセルを埋めた達成感と、未来でこの仲間と思い出を開けるというSF映画にも似た高揚感はみんな感じていたはずだ。
俺にはもう一つ醜い感情が芽生えていたのだが。
約束を胸に、一同拳をあわせて、それぞれの帰路に散っていった。
家に帰ってからも胸が騒がしくて、気持ち悪くて仕方がない。
なぜ、あいつはあの大きさのモノを捕らえられたのか。なぜ、あいつは俺に黙っていたのか。なぜ、あいつはわざわざこのタイミングで自慢するような真似をしたのか。
気に食わない。納得いかない。
なぜあいつが――。
悩みぬいた末に一つの結論にたどり着いた。
俺は単純にあのオオクワガタが羨ましかった。あれを手に入れたかったのだ。
夕飯の間、俺は考えた。あのオオクワガタを盗んでしまおうと。親が床に就いてからこの計画を実行しよう。
小さなシャベルを手に家を抜け出し、あの桜の木の下へ。
夜の桜も綺麗だ。月に照らされた五分咲きの花は夜に溶けてしまいそうな儚さを醸し出していた。
埋めて間もないから土も柔らかくビニールで何重にも密閉されたプラスチックケースは簡単に掘り出せた。
――生まれて初めて過ちを犯した。
8年後どうなったかというと、タイムカプセルを掘りにはいかなかった。行けるはずもない。
進学のために上京して下宿先に閉じこもって、二十歳になってからは夜な夜な震えがとまらなかったよ。
約束の日から1週間後、俺のもとに一通の手紙が届いた。差出人はもちろん親友だ。
読むのは怖かった。震えながら開封したんだ。許しの文言一つあるだけで俺は救われる。そんなことも考えた。どう考えても悪いのは俺なのに。
一縷の望みは望みのまま、叶えられることはなかった。最初から情状酌量の余地はなかったことは、手紙をよんで気づいたよ。
『お前にはがっかりしたよ』
申し開きもない。本当にごめん。
『クワガタ熱も冷めていたから、開けたときお前が欲しいと言えば差し出すつもりだったんだ』
当然、返せるものではない。
『まあ、結果オーライか。こんど飲みに行こうぜ。親友だからな』
謝って済む問題ではない。もうお前の親友だと名乗ることはできない。
手紙はまだ続いたが、その先は覚えていない。
臆病な俺には逃げる以外の選択肢はなかった。
***
カーテンから明るい光が漏れる頃、父はそのまま眠っていた。
俺はテーブルを片付け、父に毛布を掛けてやる。
『未来の自分へ』
汚い字は紛れも無く俺の字。
『好きな舞ちゃんに告白できましたか? お父さんの背中に追いつきましたか?』
輝かしい未来などどこにあるのか。
『素敵な大人になっていますか?』
いつまでも純粋ではいられない。
俺は携帯の連絡先を一件、削除した。
スーツのままベッドに体を投げるといつの間にかまどろみに落ちていた。
ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』と似ています。