四番バッターのフライ
夏の青空に一つの白球が大きく打ち上がった。三塁ランナーはベースに戻る。ショートは定位置に落ちてきたボールを簡単にキャッチした。
四番バッターのタツキはしょんぼりした顔で戻ってきた。
俺は「ドンマイ!」と彼の肩を叩いてやったが、内心では「またか……」と溜息をつきたい気持ちだ。
タツキは公式戦になると緊張してフライが上がってしまう上がり症だ。これは2つの意味をかけている。
この試合は六年生にとって最後の大会。監督の俺はどうしてもタツキに花を持たせてやりたい。
他にも六年生はいるがタツキは中でも一際手塩にかけて育ててきた。タツキもそれに応えるように練習を頑張ってきた。
タツキはこの少年野球チームに入った三年生の頃はデブでチビだった。トンカツが大好物で勉強が嫌いでプロ野球選手に憧れてチームに入った普通の小学生。俺は可能性なんてちっとも感じなかったが、一生懸命に練習するタツキに心打たれてしまった。親御さんの話だとチームに入ってから朝のランニングと夕方の素振り一時間は欠かさなかったという。
今では体も引き締まって背も高くなり四番を任せられるほどに成長した。上がり症というハンディキャップを含めて考えても俺はこのチームでタツキにしか四番を任せられない。
俺はこの試合でタツキにスクイズやヒットエンドランのサインを出さないと決めている。気持よくフルスイングでかっ飛ばしてもらいたいからだ。
一回裏、ツーアウトランナー三塁。五番バッターは三振に終わり、得点できないままこのイニングは終了した。
試合は平行線のまま、0対0で延長9回まで進んだ。この少年野球大会のルールは甲子園やプロ野球と違い基本7イニングで終了する。7イニング終了時点で同点の場合、延長戦に突入する。延長戦は10回まで。延長戦でも勝敗が決まらない場合は抽選になる。抽選というのが小学生の彼らにとってなんと酷なものか。だが、俺は監督になってから、まだ抽選で勝敗を決する試合を見たことがない。
延長9回裏、ワンアウト、ランナー三塁。ここでバッターはタツキに回ってきた。これは野球の神様が与えた試練なのかチャンスなのかはわからない。
ただ俺はこの場面しか勝てるチャンスは無いと思っている。
タツキの二打席目はピッチャーフライ。三打席目はキャッチャーフライ。成績は芳しくない。タツキを見ると緊張しているのがわかる。この試合、いつものあの豪快なフルスイングをまだしていない。ネクストバッターズサークルでも振りがコンパクトになっていた。あれは緊張のせいだけではないなにか理由がある気がする。
だが俺はかける言葉が見つからない。タツキはバッターボックスに入った。
ピッチャーは四番のタツキに集中するらしく、セットポジションではなくワインドアップでボールを放った。
ボールはキャッチャーが構えたインコース低めとは逆の高い位置に線を引いた。ピッチャーも疲れているのだろう。延長に入って投げるとき肘が下がっているし、コントロールもみだれている。チャンスボールだがタツキはそれを空振った。
二球目今度はキャッチャーの構えたとおり、ボールはインコース低めの際どいところに決まった。審判の判定はストライク。
考えろ、考えろ、考えろ。タツキの緊張を解く方法を考えろ。一旦タイムをとって時間を取ろう。その間に何かアドバイスをしなければ。
俺はここでタイムを取った。タツキを呼ぶと彼の顔はやはり強張っていた。
「タツキ、フルスイングできるか?」
「監督、試合前にコンパクトに、長打はいらないって……」
そうか、今思い出した。タツキの振りが小さい原因は俺の指示だったのか。早く気付けていたらもっといいプレーをさせてやれたかもしれないのに。
「タツキごめん、それはお前以外に言ったつもりだったんだ。みんな練習試合のお前の真似して大振りするから。でもお前は四番だからフルスイングで良いんだ」
「はい……」
バッターボックスに戻ろうとする背中に俺はもう一つ加えた。
「試合が終わった後、トンカツおごってやる。皆で旨いトンカツ食おう!」
彼は振り返って笑顔で頷いた。現金なやつだ。だが、効果はあったようだ。バッターボックスに戻る彼の背中はさっきまでとは違い大きく見えた。これがあるべき四番バッターの姿なのだろう。
「しゃあ来ーい!」
球場に彼の大きな声が響く。彼に信頼を寄せるチームメイトも声援を送る。ベンチもコーチャーも三塁ランナーも。そして俺も。
三球目、相手バッテリーは三振を取りに来た。高めの速球。そのボール球をタツキは外国人選手のようなフルスイングした。
バットの金属音とともにボールはセンター方向に飛んだ。そのフライは高く高く、そして深い。
センターは余裕で落下地点に入った。
だがタッチアップには十分な大きなフライだった。
試合後のトンカツ屋は野球のユニフォームを着た小さい集団でうめつくされていた。
そのなかの一人の皿にはトンカツが何切れも無造作に、山のように積み上がっていたという。