第86話(分裂された細胞)
あたしは動揺を隠せなかった。
あたしのヒザは崩れる。ヘタリと冷たい非情な床に座り込んだ。「そんな……」
寿也も目を見開いている。寿也だって静かに動揺しているんだ。
時間を止められてしまったかのように……流れる空間と時間。変な言い方。
「前に のどかさんが言ってた……アレの事……?」
肺にガン細胞があると言った。のどかさん、後で治療しにって言っていたけれど。結局、帰りのドタバタで忘れてしまっていたんだ。そんな。
のどかさんのせいじゃない。あたしたちだって忘れていたんだ。
そして……。
「皮肉なものだな。悪性は成長し転移してまた成長して、その分に押されて普通の細胞は縮小を見せている。調べていくうちに奇妙な体の構造だと思ったが、君たちの話の事情から察するに……元々、この子の体は産まれる前に服用されたシャンプーによって、分裂された細胞の寄せ集めのようなものだったという事か」
!!
「やめろ!」
「やめて下さい!」
あたしたちが大声で張り叫んだ。志摩浪さんの残酷な……いや、残酷なのは憶測とはいえ恐らく正解に近い事実のせいだった。
大声を聞きつけてか、またドアがバーン! と開かれた。
「真木! 寿也くん!」
駆けつけたのは先生だ。「先生!」
先生は入って来たと同時に場の空気に戸惑った。
「今、渋滞を抜けて やっと到着したんだが……どうした? 真木に寿也くん。真木は泣いてるし、寿也くんはオニみたいな顔になって」
事情を知らない先生のノンキな顔。あたしたちは おかげで冷静さを取り戻せた。
「……ともかくだ。このままでは、この子は死ぬ」
志摩浪さんは……紙の束を近くの台の上に放り投げた。
バシンと……紙は台に しばかれて おとなしくなる。
「解決策が無い」
また、残酷な事実を。
もう たくさんだ。
「やめて……もう……」
あたしは泣いてばかりで。
「千歳くんを いじめないで……」
助からない。
「助けて……」
助けて……助けてたすけてタスケテ。……
神様……。
……
「 諦 め る な 」
……?
あたしはヒドイ顔を上げた。べチャべチャに なった あたしの泣き顔の前に、寿也が怖い顔で立って千歳くんを見ていた。
寿也は言うと、ツカツカツカと千歳くんのベッドに近づく。
そして、寝ている千歳くんの胸の上に両手を重ねて置いた。「僕は諦めない」
寿也は深呼吸をして、気合いを入れる。睨むように自分の重ねた手を見つめた。
「かえって来い! 千歳!」
寿也が叫んだ。
皆が寿也たちを見守る。
息が出来ない。
心臓が張り裂けそうで。
……
緑、光り出す。
寿也の手先を中心に、徐々に円を描くように広がっていく。
あたしが車の中で見て驚いた光景のまんまだった。
寿也の集中力が、エネルギーが、……願いが、祈りが。
あたしも。
一つになって、千歳くんに注がれる。