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第75話(母、走る)

 母は――

 あじさい学園という養護施設前。まだ幼く、身の周りの事がよくわかっていない千歳の片手を繋いで、母は施設前に立ち止まった。そして、

「ココでお別れよ、千歳」

と、リンスの入った容器を小さな千歳の手に持たせる。

「お母さん……?」

 千歳はキョトンとして、母と容器を見比べるように交互に見た。

 雪が ちらついている。

 上を見上げると。雪結晶が舞いながら千歳の顔に触れた。幾数も。母の顔は真剣だった。

「それは肌身離さずいつも持ち歩いているのよ。誰にも渡しちゃダメ。いい? 千歳。よく聞いて」

 しゃがんで千歳と目線を合わせている母は、片手で千歳の頭を撫でる。時々千歳の顔にピットリくっついた雪を取ってあげる。

「いつか……川の側で倒れている女の子を見つけたら、それを飲ませてあげてね」

 千歳は わかっているのかいないのか、ただ母の一言一言に頷くだけだった。

「そして、千歳は その子と」

「?」

 雪の結晶の一つが千歳の目に飛び込んだ。冷たいと、千歳は片目をつぶり最後の母の顔を記憶する。

 真剣で……もの悲しげな、でも口元は ほころびで……温かそうな目を。

「いつか帰ろうね……ミルキー星に……」



 そんな、千歳の母の記憶。

 だがコレには続きがあった。


「じゃあね……」

 母は去る。今、自分たちが歩いて来た道を戻る。雪がチラつく歩道を。

 冬ももう終わりだというのに、マフラーや手袋といった防寒着は まだ手放せそうには無かった。

「……ん?」

 母、だいぶ歩いた先で振り返る。

 後ろに千歳がくっついて来ている。置いてきたつもりが、そうでなかったらしい。

「ちょっと、千歳千歳。戻りなさい」

 母、真面目に千歳の体をUターンさせて背中を押した。

「何で?」

 千歳は頭だけをクルッと母へ向け そう問う。母は困った顔で「いいから」と背中をグイグイ押し続けた。

 また母が先へと歩き出しても。振り返ると千歳は追いかけてきていた。


 母、走る。


「お母さ〜ん!」


 母、無視して ひたすら前を見て走った。


「待ってよぉ〜!」


 何度も何度も角を曲がり、交差点を渡り、人と人の間をすり抜け、時々振り返ってみると。

 まだ千歳は諦めてはいなかった。

「しつこいんじゃいっ」

 息をつきながら いきなりそう叫んだので、店の隅に居たホームレス男がギョッとして一歩下がった。

 母、また走る。

 100メートル16秒くらいで。

 年の割には黒光る虫並みに早い。

 いっそ飛んでしまいたいと思いながら。


「お母さーん!」


 賑やかな雑踏の中で千歳の声は段々と小さくなっていった。




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