退屈な午後へ贈るレクイエム
ひとつ。
何かひとつでいい、生活に花というものがあれば人間は幸せだ。高校の何でもない一日を締め括る最後の授業で、笠神 千羽 はぼんやりとそんなことを考えていた。
教室は既に消化試合というか、1時間が60もの単位時間集合であることを心から怨む空気に満ちている。奇しくも教鞭をとるのは「催眠術師」と渾名される老教師の郷里山で、奴は我がクラスの名だたるガリ勉エース達を微睡みの中へと葬り去っていた。もし仮に古文睡眠導入選手権などという酔狂な大会が開かれれば三年連続王者くらいは固い。
そんな、この世で最も無駄な時間を過ごしている人間の一人である自分にも楽しみなことが一つだけあった。千羽の席から斜め前、そこだけ世界が違ったようにきらりと色付いて見える。艶やかで光さえ流れるような美しいブロンドの髪、後ろからでも分かる整った顔立ち、白く、細身ながら健康的な雰囲気の体躯。身のこなしは優雅で爽やかな風のようだ。
彼女の名前はモニカ・F・ローゼンベルグ。ドイツ系日本人だ。クラスは言うに及ばず、学校、下手すると県下一番人気の高嶺の花が、目と鼻の先に座っている。これを役得と言わず何と呼ぼうか。授業に集中するふりをして、その後ろ姿を眺める。確認したことはないが、このときの自分は、弛緩しきった幸せな顔をしていることだろう。
「おいセンバ、またモニカ姫の観察か?」
後ろから愉快そうな小声で話しかけられる。
「・・・煩いぞニノ。」
こいつは館前 ニ之次、友人というよりも腐れ縁だ。
「悪い、大好きなモニカ姫に見惚れてるの邪魔しちゃったかな。」
「おい、それ以上口を開いたら上唇と下唇をアーク溶接するぞ!」
そのとき、綺麗な髪がふわりと揺れる。
時間と心臓が同時に止まったような気がした。
目の前のモニカは千羽の方を振り返っていて、青く澄んだ瞳と目が合った。あどけなさを残しながらも、強い意志を感じさせる表情だ。そのまま、千羽は見つめてくるモニカから目線を外せずにいた。
き、気まずい・・・目が合ったということは、モニカをガン見していたことがバレバレである。ここは全ての元凶、口八丁のニノに何とかしてもらうしか・・・
「なるほど、せ・まる・き・し・しか・まる・・・と。」
KU☆SO☆GA!
活用形覚えてる場合かッ!こっちは人生幾度と無い土壇場なんだぞ!
どうすればこの危機的状況に対処できるか分からず硬直している千羽を余所に、モニカは、ふっ と笑った気がした。
キーン…コーン…
チャイムが鳴る。
ゴングに救われたああああああああ!
千羽が胸をなで下ろしていると、ニノがぽんと肩に手を置く。
「ハハ、若いな少年。まぁ落ち着けって。」
心底ムカつくアドバイスをありがとう。
「オイィ!元はと言えばニノが余計なこと言うから!」
「いやいや、センバの思いが伝わったんだろ・・・・・・・・・っておい、後ろ。」
千羽がゆっくりと振り向く。そこには、早々に帰り支度を終えたモニカがちょこんと立っていた。
「笠神くん」
「は、ハヒィ!」
ハヒィとは何だろうか。新手のアヘ声だろうか。俺自身に問いただしたい。どういう意味だ。
「この後なんだが、君はその・・・時間あるだろうか。」
モニカが遠慮がちに聞いてきたが、千羽には質問の意図がつかめない。
「こここの後!?あ、空いてます!」
千羽は体をピンと伸ばして答えた。
「そうか!じゃあ良かったら今から屋上に来てくれ。話したいことがあるから。」
モニカは嬉しそうにそう言い残してから、颯爽と教室を出て行った。
教室に残された俺とニノ、そしてクラスメイト達はざわめきに包まれる。
ざわ…ざわ…
「おい、今の・・・聞いたか・・・?」
「何でセンバーが・・・」
「クソ!クソ!羨ましい!」
「何やらかしたのセンバ君・・・」
俺に聞くな。俺が一番混乱している。
「なぁニノ、さっきのアレ、何言ってたんだ?ヘブライ語で『早く家帰って忍たま乱太郎見なきゃ☆』って意味かな?」
「いや、お前屋上に呼び出されたんだよ。」
あえて言おう、マジレス乙と。
「なんで俺が。」
「目障りなんで毒煽って死んでください、とかそういう用件じゃないか?」
笑顔で死刑宣告してくるモニカが頭の中に浮かぶ。
「なんで俺がァ!?」
命だけは勘弁してほしい。
「短い付き合いだったなセンバ。男だったら覚悟決めて行け!」
千羽はニノに背中を押され、クラスメイトが固唾を飲んで見守る中、教室を後にした。
to be continued...