[88]これは仕様です。バグではありません
アヤメと浅見さんが代わる代わる抱きしめたり頭を撫でたりして、ようやく津島さんは泣き止んだ。
「いやぁ、ワタシも経験アリです! 思い出しますねぇ……部隊教練の時は散々痛い思いをしたものです……はい、このゲーム! コンシューマー向けにはすっかり人気が無くなっちゃったんですけど、機動歩兵の訓練用としては現役で使われているのですよ!」
アヤメのフォロー……いや、まるでフォローになっていないと思う。ここは思いっきり突っ込んでいいところだよなぁ。てか、むしろ突っ込むのが礼儀だよなぁ。
「だから軍事用シミュレータとゲームがごっちゃになっている時点でおかしいでしょ? 大丈夫、アヤメの国?」
「ああっ、姫様! まるで他人事な!! ワタシの国、それ即ち姫様の国!! と言いますか言葉通り、姫様が治める姫様の王国では無いですか!! 姫様自身がそんな風に王国のこと言っちゃダメですよぉ!?」
ああっ、訳分からん。王女自身が――とゆーか、ボクが本当に姫様とやらとか言う与太話が本当だと仮定して――その実態はおろか存在そのものを認知していない王国って、一体何だよ。
「それで何だっけ……このゲームを始めた目的を忘れかけちゃったよ」
「そうでした姫様! 津島さんをトキメキの楽園にお連れするのでした!」
はいはい。超リアルな乙女ゲームをプレイさせて、津島さんの男嫌いを治すのが目的ですよー。目論見通り行くかは未だ謎のベールに包まれてるけどー。
「で、具体的にこれからどうするの?」
「はい姫様! 乙女ゲーと言えばイケメン! イケメンと言えば貴族王侯! という訳で、あの宮殿に向かいます!」
「宮殿って……あのお城のこと?」
「左様!」
「どして?」
「ぐっふっふっ……よくぞお聞きになりました姫様!」
そう言うとアヤメは、待ってましたとばかりに目力込めてこっちを見つめる。ドヤ顔と期待に胸を膨らます乙女のそれを、ごちゃ混ぜにミックスしたような表情だ。
「あのお城は、ゲーム世界のランドマークであると共に、一種のテーマパークとしても運用されているわけですね! それはもう、思わず胸キュンしてしまうような、様々なシチュエーションが用意されているのです!」
「ふうん……」
「とまぁ、断言はしてみたのですが実際のところは、ワタシ自身は姫様一筋でしたので、その手のゲームプレイは未体験なのですが」
おいこら。やったことすら無いのに今まで自信たっぷり語っていたってか?
「そうだアヤちゃん! しつもーん!」
「ハイなんでしょう浅見さん?」
「すっかり忘れてたよー。このゲームにもスキルとか装備とか、あるんでしょ当然? どうやって出すの。それと、私たちのランクって今どれくらい?」
そうだった。VRゲームには付きものだよね。お約束だよね。テンプレだよね。
「ありません」
は?
「ライトエディションですから!」
……まじでゲームの意味ないじゃん。本当にこのゲーム何なんだよ!? てか、こんなのをゲームと名乗っていいのかよ!
「ついでに属性とかジョブとか、そういった概念もありませんねー」
はいはい。
「そうそう、忘れていました! ステータスの出し方をお教えしておきますね! 何しろVRゲームには付きものですから! お約束ですから! テンプレですから!」
「いやいや、スキルもレベルも属性も無いんじゃステータスの意味がないだろ? こんなところでテンプレを出されても」
「てへぺろ」
「ああっ! アヤメったらいつもそうやって誤魔化すんだから」
「そう言わないで姫様! せめて頭上表示の出し方くらいは……ほら、こうやれば名前が表示されるんですよ! 面白いですよね? ゲームっぽいですよね?」
そんなアヤメの声に合わせるように、ポン、っと吹き出し風のポップアップが頭上に浮かぶ。あー確かにこれはゲームっぽい。
ぼくは香純ちゃん達の頭の上三十センチほどをぐるりと見渡し、そこに書かれている文字をまじまじと見つめる。
『風見 香純』『津島 深央』『浅見 里琴』
しかも何故かちゃんと漢字で表示されている。役所の個人情報から引っ張ってきているというのも嘘ではないらしい。とは言え、漢字を使わない異世界のゲームなのにこんな機能が実装されていること自体、誰得な機能なのかは全くの謎だけど。
「でもさ?」
「どうされました姫様?」
「リアルなVRなのに、ここだけ妙にコミカルでちょっと変な気もするね……って、おい! アヤメ!!」
「?」
思わずアヤメの頭上に向けたボクの指先を、彼女は無言のままクエスチョンマークをたっぷり湛えた瞳で見つめる。小首を傾げた仕草に合わせてそのポップアップも小さく揺れるのがおかしくて、ボクは思ったことをありのままに口にした。
「何だよそれ!? アヤメの名前!」
アヤメの頭上には『アヤポン』という間抜けな文字が浮かんでいたのだ。
「あ、これですか?」
「どういうことだよ? 本名しか使えないんじゃないのかよ!? ウソかよ?」
「いえいえ、ワタシの場合はこのゲームの開発段階から関わっていましたので、その特典と言いますか特権と言いますか……要するにアレです、いわゆるβテスターってやつですね!」
しれっと言い放つアヤメ。そのまま彼女は続ける。
「あ、皆さん納得いかなそうな顔をされてますね? 実はこのゲームには王宮もスポンサーとして参画しているのですよ! 話せば長くなるのですが、その辺りのアレヤコレヤで、ワタシもワタシの父親経由でそういった感じのお役目を任されていたのです!」
「え? それってどゆこと? てか、今さらっと意味ありげなこと言ったよね?」
「いやぁ、懐かしいですね! まだちっちゃい時のことですよ? ろりアヤメちゃん時代ですよ! もう、根暗なゲーマー少女でしたから!」
激しく誤魔化されているようなのは気のせいだろうか。
「とは言え、ワタシだけハンドルネームというのも不公平かもしれませんね……ちょっと設定を変えますね。よいしょ……っと」
アヤメは手元にコンソール画面を呼び出すと何やら操作を始めた。すると、彼女の頭上の表示が変わる。
「これでどうでしょう?」
「うん、『紫野 菖蒲』って変わった……って……あれ?」
表示が変わったと思ったら、フォントが崩れて違う文字に再び変わる。
「今度は『アヤメ ジーノ』に変わっちゃったよ?」
「そうですか? おかしいですねぇ……」
再びコンソール画面とにらめっこを始めたアヤメが、しばらくして顔を上げる。
「ああ、これですね? きっとこれは、ワタシが王国と日本と両方の世界に属しているからですねぇ。きっとシステムが対応していないんです、バグっちゃってます」
そういっているうちにも、再度アヤメの頭上の文字が『紫野 菖蒲』に変わる。
「そういえば姫様も同じ現象みたいですねぇ」
「え? そうなの」
「はい。『果無 美彌子』と『ミヤコ ハート=テナンシー』が行ったり来たりしています!」
「えー、ちょっと間抜けだなぁ……」
それにしても……『果無 美彌子』という名前の方は少し慣れてきたような気がしないでもないけど、『ミヤコ ハート=テナンシー』なんてまるで他人のような感じがする。
まあ、でも『果無 都』が表示されないだけマシと考えるべきか……いや、それとも本来のボクのアイデンティが無視されたということで残念と考えるべきか。
そんなボクの心中を知ってか知らずか、こんなボクらのやり取りに、香純ちゃんと津島さんが声を挟んできた。
「本当ですぅー」
「仮初の名前で身分を隠しながら、お忍びで他国の庶民の暮らしに溶け込むお姫様感が出ているわね。憧れるわ」
「そうですね津島さん! 姫様の置かれている状況を良くご存じで!!」
「知ってるも何も、柴野さんが教えてくれたんじゃない」
「あれ? そうでしたっけ? ワタシ、言いましたっけ」
「言ったわよ?」
「そうでしたっけ……うーむ……このことは国家機密でトップシークレット扱いのはずなのですが……ホントにワタシ言いました?」
「はいー、と言いますか、美彌子さんと菖蒲さんを見ていれば、誰でもそう思いますぅ」
「どう見たってそれ以外ありえないわよ」
「そうですか?」
「学校中でそう言われてるけど? 北欧の王女様と、そのお付きの人だって」
何だよ、その勘違い。しかしアヤメの方はまんざらでもないようで、ボクの方をチラリと見つめると、腕を絡めて抱きついてくる。
「まぁ、後で運営に連絡しましょう。この現象が起こり得るのは差し当たって姫様とワタシだけですし、表示だけの問題ですから後回しです。大勢に影響はないハズですから」
そりゃそうだけど……あれ? 香純ちゃんの表示も何か乱れてるや。二人だけじゃないじゃん。こりゃ本格的にバグってるぞ。
「それでは皆様! 宮殿まで向かいましょうか!」




