[87]このゲーム、どうやらオワコンらしかった
意識から拒絶された五感とふわりとした軽い浮遊感覚。だけどそんな違和感も、次の瞬間にはまるで気のせいだと言わんばかりにかき消される。
「はい、とーちゃーく! 皆さん、体の調子が変だとか、気分が悪いとか無いでしょうか?」
ふっと戻ってきた聴覚に押し入る素っ頓狂な声。言うまでもない、アヤメの声だ。いつも通りお気楽モード全開、こんなお気楽で能天気な声の持ち主など、アヤメ以外に居るはずも無い。
「私は大丈夫よ」
「はいですぅ」
一呼吸置き、津島さんと香純ちゃんの声。まるで探るような、ちょっと戸惑ったような声色だった。
「おおスゲー! 異世界じゃん! ゲーム世界じゃん! まじかー」
少し遅れてかなり興奮気味の浅見さん。
いつも通りの三人だけど、ちょっと上ずった声の調子から察するに、彼女たちの目にはきっと、驚きの光景が映っているのだろう。
そう。どうやらバーチャルの世界に入った……ということらしい。それを裏付けるように、相変わらず何も考えてなさそうなアヤメの声が後を継ぐ。
「皆さん大丈夫そうで……いやぁ、良かった! 正直言いますと異世界の方々がこのシステムにダイブするなんて初めてのことですし……ほら、いくら同じ人間とは言え、何から何まで全く同じとは限らないワケでして……『ほんとに大丈夫かなぁ?』なんてちょっとドキドキだったりしたのですが……」
てか……おいこら……軽く人体実験が入ってたってことかよ!?
きっと香純ちゃん達のジト目がアヤメに集まっているのだろう。アヤメの声に釈明するような色が混じってくる。
「あ、いえいえ嘘です! 冗談です! 王国の科学力の完璧です! ワタシがボンと太鼓判を押しちゃいます!! 嫌だなぁ~そんな胡散臭そうな目で見ないでください! 前もってちゃんとシステム管理会社には確認してましたって! ほら? 実際、何事も無く無事に……って……あれ? 姫様!?」
急に慌て出すアヤメ。凍り付く声色。そりゃそうだ――さっきから、ボクは顔も上げずにうずくまっている。
「ええっ!? 姫様! どうされました? ちょっと、え、うずくまっちゃって、気分でも悪いのですか!? あああっ、姫様ーっ!!」
両手で顔を隠し、丸まったままのボクを抱きかかえるアヤメ。その手は小さく震えている。
だけど、別に気分が悪いわけでも違和感があるわけでもない。ただ単に、今の姿を香純ちゃんや津島さんに見られたくなかっただけ。ボクが本当は男だってこと、彼女たちに知られたくなかったってだけ。
「姫様!? 姫様!? 姫様!?」
だけどアヤメは悲痛な声で叫び続けた。ボクはそんなアヤメに、他の誰にも聞かれないように小声で応える。
「あ……あの、アヤメ?」
「ああっ、姫様! 良かった……どうなされました?」
「ボクの姿……」
「え?」
まるで気付かない様子のアヤメ。ああっ、どうしてだよ……察してくれよ……仕方ない、もっとストレートに言わなきゃダメか。
「今のボク、その……お……男の状態……だろ?」
「は? 何を仰ってるのですか?」
「だって……」
「変な姫様? ちゃんといつもの姫様――ミヤコ王女殿下ですよ?」
「……え?」
呆れたようなアヤメの声に促され、戸惑いながらも両手を顔から外し、恐る恐る自分の身体を一瞥。
目に入ってきたのはここに来る前と同じ姿、白くか細い腕、華奢な胴、肩の辺りまで伸びたストレートヘア。明らかに男モードではない。
そう。いつも通りの、白梅女学院の制服に身を包んだ『果無 美彌子』だった。
そのことを確認したボクはようやく、よろよろと立ち上がり視線を一巡させる。覆いかぶさるようにして手を肩にかけているアヤメ、こちらをじっと見つめている香純ちゃんに浅見さんに津島さん。
みんなここに来た時と同じ、白梅女学院の制服を着ている。どうやら服装もスキャンしたデータをモデリングして適用しているみたい。
不思議そうにこちらを伺う香純ちゃん達の表情を見てホッとすると同時に、どこか釈然としない想いがムクムクと心の底から湧き上がってきた。
「どういうこと、アヤメ?」
「どういうこと――って?」
「だってさ? さっきの説明だと、生体データからモデリングした本来の姿がアバターになるんだよね?」
「その通りですが?」
「なら何で女の状態なんだよ!」
あり得ないだろ。本来の姿なら男モードの『果無 都』で出現するはずだろ?
小声のまま思いっきり声を張り上げるという、チョッチ難易度の高い攻撃を発動したのだけど、不思議そうに見つめるアヤメの瞳は微動だにしない。そして、さも当然といった口調でアヤメは答える。
「は? 何故です? 何がおかしいのです? だって、これが姫様の本来の姿ではないですか?」
「……うーん……まあ、いいか。まだイマイチ納得いかないのだけど……」
相変わらずそんなボクらのことをキョトンとした目で見つめている香純ちゃん達。さすがにこの話題を終わらせなきゃダメかな? とボクは気を取り直しぐるりと体を回す。
遅ればせながら、このゲーム世界の第一印象を味わってみることにした。
ボクらが立っているのは石畳の上。コンコンとつま先で突くと、跳ね返ってくるのはやっぱり石の感触。この場所は二抱え以上ありそうな巨木を取り囲み円形のランナバウトになっていた。ここを起点に、四方へと道が伸びている。
見通しはとてもいい。少し高台になったこの場所から伸びる広々とした道路。その道路脇や、パッチワークのような緑生い茂る林と畑のモザイクの合間に、石造りっぽい家がポツリポツリと建っている。どことなく、中世ヨーロッパっぽい風景。
「見てください! お城ですぅ」
香純ちゃんの指さす方向に目を向けると、城郭に囲まれたこれまた中世風の立派なお城。まさに白亜の殿堂。柔らかな日の光を気持ち良さげに受けているその石造りの建物には、塔や楼閣とおぼしき構造物が幾つも立ち並び、塔の上からはいくつもの旗が風に揺れている。
そういえば、時折柔らかな風がほおを撫でているのに気が付いた。風に合わせて揺れる木漏れ日もそれっぽい。やたら再現度が高いというか、凝った造りのゲームのようだ。アヤメがやたら自慢するのも無理はない。感動なんて言うと大げさだけど、ちょっとした新鮮体験。
「凄いなー、お城だよー! あのお城の見晴台に登ったら、街全体を見通せそうだねー」
「はい浅見さん! ゲームのシンボルといいますか、アイコン的な存在です!」
気のせいか、浅見さんもいつもよりハイテンション。そんな彼女に釣られ、ボクも他愛の無い軽口を叩く。
「そうみたいだね。だけどさ? あのデザインはいくら何でもありきたり過ぎるっていうか、普通過ぎない? もう一工夫欲しいなぁ」
別に文句を言うつもりはないけど、何となくノリで言ってみただけだ。
ところが。
そんなボクの独り言にアヤメを除いた三人の『えっ?』という視線が突き刺さる。
「そう? そんな感じはしないけど」
「え、嘘。シルエットとか門の形とか、いかにも絵本とかに載っていそうなお城の形じゃないか」
「そうかしら……浅見さんはどう思う?」
「そうだねー、うーん、確かに中世のお城って分かる造形ではあるんだけど、どちらかと言うと特徴的ってゆーの? 平凡な感じではないねー。香純は?」
「はいー、初めて見る感じのお城ですぅ」
「ええっ!? 平凡に感じるのってボクだけ?」
おかしいなぁ。この造形で感じる認識って、何か普遍的なものというか、いわゆるステロタイプだとばかり思っていたのに……。だけどそれはボクが勝手に抱いているイメージで、誰しもがそうだという訳ではなかったという、ちょっと寂しい気分。
「まあいっか……それにしても人が少ないね。これって俗に言うMMO的なゲームなんでしょ? 何で誰もいないの」
そうなのだ。この辺りを見渡しても、ずっと向こうまで伸びている道を遠望しても、人っ子一人いない。ここって雰囲気的にはポータルな場所のはずなんだけど……。ログインしてきたユーザーが、次々と出現したり集まっていてもおかしくないよね?
何故だろう……。
そんなボクの疑問に答えたのはアヤメだった。
「そうですね。姫様には以前、お話ししたかもしれません。このゲーム、昔は凄い人気だったんですけど、すっかり下火になってしまったのですよぉ」
そう言えば、そんな話を聞いたかもしれない。
「確か、リアル過ぎて疲れちゃうとか言ってたっけ?」
「はい。それもありますし、規制規制で息苦しくなっちゃったってのもありますしねぇ」
「どゆこと?」
「おそらく、姫様も感じておられることだと思います……プレイヤー名は本名じゃなきゃダメ、基本的にアバターもエディット不可……これじゃゲームである意味は無いですよね」
「ん……確かに」
「昔はこんなんじゃなくて、混沌とはしてましたが、活気あふれていたのですが……。いやぁ、ワタシとしては残念なところです」
そう言うとどこか寂しそうな表情を見せるアヤメ。彼女、ひょっとしてこのゲームに思い入れがあるのかな?
「そうだ、ねぇアヤちゃん?」
「はい、何でしょう浅見さん!」
物憂げなアヤメにどう答えようかと思っていた最中、割り込んできたのは浅見さん。
「そもそもさー、これって何やるゲームなの?」
「あ、はい! そのことですか! そうですよね」
確かにそうだ。超リアルなVRゲームって言うのは分かった。でもゲームの目的って何だろう?
「実は何でもありなんです!」
「何でもあり?」
「はい! RPGでも格闘ゲーでもSLGでも、何でもOKなんです!」
「え?」
「運営が用意したクエストがありますので仲良しでパーティーを組んでロールプレイをしても良し! 格闘戦もアリ! 必要とあらば血で血を洗うバトルロワイアルだってできますよ!」
「つまり完全に自由ってことー?」
「その通りです!」
そうなのか。確かにしっかりした基本システムっぽいし、運営さえその気になれば応用次第で色々なサービスを提供できそうだ。
「じゃあさー、アヤちゃん?」
「何でしょう浅見さん?」
「ちょっちバトルしない?」
ファイティングポーズを取り、ポキリポキリと指を鳴らす浅見さん。ちょっと、いきなり何を始めようって言うの!?
「はぁ……えっと……」
しばし悩むアヤメ。しかしそんな表情も長くは続かなかった。
「……まあ、いいでしょう。お相手しましょう!」
「よっしゃー! ゲームと来ればやっぱバトルだよね!」
うわ、浅見さん血の気が多い。ついでにアヤメも。
確かに浅見さんったら、見るからにボーイッシュなスポーツ万能少女だ。それは見た目だけじゃない。
中学の時は所属していたバレーボール部のみならず、いろんな体育会系の部活から助っ人として引っ張りだこだったという、まるで少女漫画に出てくるキャラのような学生生活を送っていたと、津島さんは言っていた。
高校に入ってからは、白梅会の活動と本格的な部活動の掛け持ちはちょっと厳しいという理由で――本人曰く『こう見えて本当は私コミュ障だしさー、チームプレーは苦手なんだよねー』と言っていたけど――体育会系の中では珍しく上下関係が緩いと噂の、陸上部の幽霊部員をやっている。
それでもなお、大会出場レベルの記録を持っているって噂だ。その運動センスは未だ衰えていないらしい。
そんな彼女の血が騒ぐのだろう。いつの間にか、浅見さんの人懐っこい目は、楽しげで攻撃的な光を宿す猛禽類のそれに変わっていた。
「念のためお伝えしておきますけど、いくらボンクラなワタシと言えど一応は王国最精鋭の王宮近衛騎士団の末席を汚す兵士、軍隊格闘術の心得はありますので、そのつもりでお願いします浅見さん!」
「イイねー、そう来なくっちゃ!」
やおら火花を散らす二人。
しかしその立ち姿は対照的だった。普段通りまるでリラックスした様相のアヤメ。一方の浅見さんは軽やかにステップを踏みシャドーボクシングを始める。
「け……喧嘩ですかぁ!?」
「大丈夫、香純ちゃん。あくまでもゲームだよ。痛くもないしケガもしないんだから」
その様子を見て狼狽える香純ちゃんの手を握りボクは答える。しかし、そのやり取りの間にも二人の闘いは始まっていたらしい。
緊迫の一瞬。先に動いたのは浅見さんだった。
「よし行け深央ーーーっ!」
「ちょっと!? 何するの浅見さん」
「は?」「え?」
ボクと香純ちゃんは思わず呆けた声を上げた。
あろうことか浅見さんは軽やかなステップのまま津島さんの後ろへと回り込み、津島さんをアヤメの前に突き出したのだ。
「やめて、ちょっと、何? 浅見さん!」
津島さんの抗議の声に浅見さんは答える。
「私が格闘技なんてするわけないじゃんー。武術の心得なんてないし、私だってこう見えてもか弱い乙女よー?」
「ちょ、ちょっと!」
「さあ行け深央ー! 死力を尽くして戦うのだー!」
何だよ……これだけ煽っておいて自分が戦う訳じゃないの? これはツッコまずにはいられない。
「あの浅見さん? 何故に津島さんを」
「あれ、知らないー? 深央、『南部一拵流』の有段者よー? 強いんだから!」
へえ。南部一拵流ったら江戸時代から続く地元辺りではかなり有名な武術じゃないか。確か歴代藩主や藩士が通ってた道場が今も残っているんだっけ……って、いやいや。そうじゃないだろ!?
「有段者って言っても、子供の頃から護身用に道場へ通わされていただけよ!」
「イイからイイから!」
「別に格闘マニアでも何でもないの! 誤解しないで! 平和主義者よ私!」
「さあ、レディ・ファイト!」
「もう……仕方が無いわねぇ」
やたら強引な浅見さん。そして覚悟を決めたのだろう。徒手格闘の構えを取った津島さんはすり足でアヤメへとじり寄る。アヤメの方は相変わらず、まるで隙だらけの体勢だった。
固唾を飲んで見守るギャラリー。津島さんがめっぽう強いのは、この間のパーティーで目の当たりにしていた。一体、どんな戦いが繰り広げられるのか。
勝負が動いた。電光石火――決着がついたのはまさに一瞬のことだった。
「痛い痛い痛い痛い! ギブ! ギブアップ!」
そう叫び声を上げるのは津島さんの方。地べたに転がされた彼女はアヤメの完璧で華麗な腕肘十字固めで、完全に関節を決められていた。
派手なBGMもエフェクトも無しに、まるでゲームらしさも何もなく勝負は決まったのだった。
「まじかー、あの深央が!? アヤちゃん強い! 先に仕掛けた深央を裏拳でカウンター。ひぇぇ……みぞおちに入ったよね! ゲームじゃなきゃ相当痛かったわ! そんで、そこから足技アンド関節技のコンボ! こりゃ手も足も出ないわー」
興奮気味に解説を始める浅見さん。てか、ボクの目には速すぎて何が起こったのかまるで分らなかった。
「大丈夫でしょうか津島さん? 起き上がれますか?」
関節技を外すアヤメ。彼女は声をかけながら申し訳なさそうに津島さんへと手を差し伸べるが、津島さんの方はうずくまったまま動かない。
「うるうるうるうる……えっぐ、えっぐ」
え? 本当に痛そうだよ? ゲームだよね? 何で泣き出すの?
「しくしく……えーん……」
遂にマジ泣きする津島さん。本当に痛そう……いやいや、そういう問題じゃなくて!
「ちょっと待てアヤメ!? ゲームだろ? 津島さんマジで痛そうなんだけど! どういうことだよ」
「スミマセン姫様! やりすぎてしまいました……津島さん、超強いです。立ち合いの瞬間分かりました! もう余裕が無くなっちゃって、つい全力を出してしまい……ゴメンナサイ! 津島さん!」
平謝りのアヤメ。それにしても暴力というのは本当に不幸しか招かない……なんて御託は置いといて。
「そうじゃなくて! ゲームだよ? ゲームだよね? どんなシステムなんだよ! 痛くしてどうすんのさ! 格闘ゲームったって、痛みを感じないようにするのが当たり前だろ? ボクの見た小説の描写だってそうなってたよ!」
肩をすくめ、本当に申し訳なさそうにアヤメは語り出した。
「申し訳ありません……これ、リアリティ追及の結果なのです……あ、でも痛いといっても痛覚はリアルの三割ほどに抑えられますし、ある程度以上は痛くないようにリミッターがかかるようになっているのですが……そうは言っても、やっぱり痛いですよねぇ?」
当たり前だ……見ると浅見さんも香純ちゃんもこの惨状に顔を引きつらせている。バトルは禁止だよ! ヤバすぎる。
てか、このゲームの人気が無くなった理由の一端が垣間見れた一瞬だった……。
まじでゲームの意味ないじゃん!




