[86]アー・ユー・レディ・スタート?(いえ、ちょっちタンマ)
「ごほん。これは失礼しました!」
ワザとらしく咳払いなんてするアヤメ。彼女が取り出した『外科処置キット』なるものは打ち捨てられ、外科手術とやらを却下したのは言うまでもない。ギリギリのところでスプラッタは回避されたわけだ。
「では皆様、このヘッドギアを着用ください!」
アヤメが誇らしげに掲げたそれは、いかにもSFっぽいディテールのデバイス……でか、あるんじゃないか。ヘッドギア。
「なら何だよ!? さっきのヤツ!」
「ああハイ姫様。このヘッドギアはあくまでも簡易的なモノでして……おススメはやはり外科的手法による……」
向こうの世界の人達って、そんなデンジャラスなことを平気でやるのかよ? くらくらする頭を抱えつつ、ボクはアヤメの言葉を遮った。
「簡易的って言うけど、具体的にどこがどんな風に違うのさ!」
「よくぞお聞きになりました姫様! 何と言っても応答性能が段違いなのです! いかんせんヘッドギアだとコンマ数マイクロ秒の応答遅れが発生してしまう訳でして……まあ、これが技術的限界とゆーモノですね!」
「コンマ……マイクロ秒?」
「はい! ですので極限のバトルを争うハードでコアなプレイヤーにとって、ヘッドギアはゴミだというのは常識なのです!」
「あの……極限のバトル? 乙女ゲーにそれって関係あるの?」
アヤメはふと黄昏たように遠くを見つめ、そして元気良く言った。
「はい! 無いと言えば無いですね! 確かに!」
何だよそれ……全く、どこまで本気なのか分からない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「では皆様! 準備はよろしいでしょうか?」
朗々とした言葉で問いかけるアヤメの言葉に、渡されたヘッドギアをかぶったボクと香純ちゃん達魔法少女はコクリと頷く。もちろん色々と納得できない部分もあるけど、そこは流されやすいボクらのこと、どういう訳か素直に従っている。
無論、カテーテルだの点滴だのは付けていない。付けるはずが無い。聞けばゲーム廃人化したプレイヤーの間では常識ってだけで、絶対に必要という訳ではないそうで――当たり前だよ!
ボクは何気なくヘッドギアから伸びたケーブルに目を這わせる。行きつく先は、乱雑に置かれた幾つもの巨大な装置。床面を漂ってくる白い蒸気のようなものは、冷却装置から出ている冷気だろうか。
インジケーターをチカチカさせ、さっきから唸りを上げている機械だったが、アヤメの合図をきっかけに赤青黄色の光が乱舞、床を伝わってやって来る振動が一際大きくなる。それまでアイドル状態だったのが本格的に稼働を始めたらしい。
機械の様子を確認し、ボクらの様子を一瞥したアヤメは満足げな表情で小さく頷いた。
「よろしいようですね! ではブート・アップ!」
その声が終わるか終わらないか、頭の奥で何やらチリチリと不思議な感覚が湧き上がった。ややもすれば気付かないくらい微かなもので、しかもすぐに消えてしまう。
「コネクション・エスタブリッシュメント……はいオッケー! では、皆様の視界にシステム・ウィンドウを展開します。いいですか? ステータスオープン!」
アヤメはじっくりタメを利かせてから高らかに言い放った。すると何の前触れもなく、四角い空間がぽっかりと視界の中に現れた。
「いやぁ、一度言ってみたいと常々思ってましたが、ようやく願いが叶いました! ほらほら! 見てください、これが聞きしに及ぶ『ウィンドウ』ってやつです! 何だかそれっぽくなってきましたよね?」
彼女の言う通り、目の前には、現実を綺麗に切り取ったかのような四角が浮かんでいる。冗談を取って付けたというか、ちゃちな作り物っぽいというか。存在感の感じられないそれに触ろうとするけど、伸ばした手はやっぱり、何の感触も無いまま呆気なく突き抜ける。
香純ちゃん達もやっぱり不思議そうな顔をしながら、これまたそっくり同じような仕草をしている。人間、不可思議な状況に直面すると概ね似たような反応を示すってことかな? てか、香純ちゃんがボクとそっくり同じ反応ってのが、親近感というかちょっと嬉しかったり。
とまあ、そんな戸惑いがちなボクらに気付いたのだろう、嬉々とした表情でアヤメが次なる言葉を寄越してきた。
「まだ視覚しかシステムにシンクロナイゼーションしていないので、こんな感じですねー。バーチャルな世界は、まだまだこれからですよー。期待に胸を膨らませて待っていてください」
「あれ、そういやアヤメ?」
「はい姫様、どうされました?」
「その……何というか……これって、変身している時に見えるのとちょっと似てない?」
そう。魔法少女――というか、アヤメの言うところの強化防護服を装備した時、視界の中にいろんな文字や図形がオーバーレイ表示されることがあるのだ。アヤメによると、索敵なんかを支援する一種の戦闘情報システムで、要するに戦闘機のHUDみたいなものらしいのだけど、この感覚、その時の感じにちょっと似ていた。
「そうですね、よくぞお気付きになりました姫様! 実は機動歩兵部隊の戦術情報支援システムって、このゲームを元に開発されたのです! 似てるのも当然ですよね!」
ゲームを元に開発された軍用システムというモノの危うさに、ボクは何も考えずただ聞き流すことにした。そんなボクを知ってか知らずかアヤメは続ける。
「さて! 次はお待ちかね、アカウント登録ですね。そうすればフルアクセス可能になって、システムコンソールも操れるようになります! では行きます! 『ビグノート・システム』スタートです!」
「おおおっ!」
それまで空っぽだった目の前のウィンドウにいきなり色彩とパターンがあふれる。それは目まぐるしく変わり、やがて何やら文字が表示された。
『ᚠᚢᚦᚩᚱᚳᚷᚹᚻᚾᛁᛇᛈᛘᛒᛖᛝᚦᛁᛚᛞᛄᚪᚫᛟ ᛜᛜᛜᛜᛜᛜᛜᛜ ᛒᛠᚷᚾᚩ』
――え?
「ちょっとアヤメ、何が書かれているのかわからない」
「そうでした! 今、こちらの言語に切り替えますね……」
『ようこそ ビグノート/スクラマサクス システムへ』
アヤメの返答と合わせるように、それは日本語の表示へと変わった。
「へえ、こっちの言語をサポートしてるの? 凄いね……とゆーか、なして?」
「ほえ? どういうことでしょう、姫様」
ほえ? と小首を傾げるアヤメ。そんな彼女に、もうちょっと親切丁寧にボクはボクの感じた疑問を投げつける。
「いやだって、そりゃ有り難いよボクらには? でもさ、こんなの誰得の機能なのよ!? アヤメの世界のゲームでしょ? こっちの利用者なんて本来誰も居ないんでしょ? そんなの想定してないでしょ?」
「あ、そういう意味ですね! えっと……何故でしょうねぇ……うーん……」
悩みだすアヤメ。とゆーか、そんな真剣に考え込まなくても……と思いきや、彼女の表情がパっと明るくなる。何かに思い当たったのだろう。そのまま彼女は言った。
「開発元がヒマなのではないでしょうか?」
……何というホワイト企業。
「さて。とまあ、姫様のお悩みもスッキリ解消したところで!」
「いや解決してないって。むしろ混迷が深まっただけだって」
「ちゃちゃっとアカウント作成しちゃいましょう!」
「……聞いてないね。アヤメ?」
「いえいえ! 姫様のお言葉、一字一句聞き逃さないよう、常に耳を皿のようにしてます! ああ、なんと健気でひたむきな近衛! そう、親愛なる姫様に仕えるものとして当然の心構えですし!」
「それを言うなら『目を皿のようにして』だよね?」
「ニホンゴ、ムズカシーデース!」
「…………」
ボクとアヤメは見つめ合う。目と目で語り合うコミュニケーション。ボクらは一心同体、心の奥底でつながり合ってるのさ。彼女のにへらとした愛嬌はシームレスにちょっと歪な愛想笑いへと。頬を伝わる冷や汗一筋。
「ごほん。では、ちゃちゃっとアカウントを作成しちゃいましょう!」
アヤメちゃん、何事も無かったかのように巻き戻しました。まあいいけど……。
「アカウント作成か……面倒くさいやつだね。どうすればいいの?」
「いえいえ、姫様は特に何もしなくてもよろしいですよ」
「いいの? どして?」
「スキャンした生体情報と個人プロファイルが自動的に紐づけされますので、メンドクサイあれやこれは無しで終わっちゃうんです」
「へぇ」
地味に凄いような気がする。
「それって、いつも君が言う『王国の先進テクノロジー』ってやつだよね? 珍しくアヤメの世界の技術を褒めたくなっちゃったよ」
「うーん、そんな自慢するようなことでも無いのですが……」
あれ? いつものようにドヤ顔しない。
「どしたの? 急にしんなりしちゃって?」
「まあ、世知辛い世の中でして……」
軽く肩をすぼませ、アヤメは語り出した。
「このゲームの全盛期に、成り済まし犯罪ですとか、荒らし行為ですとか、そんなのが横行してしまったんですよねー。そのため偽装防止と言いますか、そういった事情があるんですよねー」
「なるほど」
ありがちな話というか、こういった問題は世界共通らしい。それは異世界っぽさ満載の、それこそ同じ宇宙かどうかさえ怪しいアヤメの生まれた世界も例外ではないという訳だ。
そんな軽い感傷に浸るボクの横で、さっきから何やらうずうずしている様子の浅見さんが、この機を逃すかとばかりに口を挟んできた。
「そうだ! プレイヤー名考えないとねー。みんな考えてるー? いつ設定するのー?」
そうだそうだ。流されっぱなしですっかり忘れてた。さて、どんなゲームシステムになっているのかと、アヤメの方をチラリと伺うと。
「いえいえ、ゲーム中は本名しか使えませんよ?」
「……はい?」
「ゲームの中でも皆さん、本名イコール、プレイヤー名ということになります。ゲームの中とは言え、あまりはっちゃけてしまいますと、後々黒歴史になってしまう可能性がありますので、ご注意ください!」
「おいこら」
しょっぱいゲームシステムだなぁ。てかそれ、ゲームの意味なくない? チョッチ不満そうな浅見さん。きっと、渾身のプレイヤー名を考えていたのだろう。
「チェックはかなり厳しいですから! 偽名を使おうとしても無駄なんです!」
これは突っ込んでくれってことだよなぁ……。
「あのね? アヤメ」
「ハイ何でしょう姫様!」
「偽名は駄目って……いや、分かるよ、事情は分かった。でもさ?」
「でも?」
「どうして分かっちゃうの?」
「はぁ?」
「だからさ、そっちの世界ならまぁ本人特定できるのかなぁって。だけどさ? こっちの世界の人間の本名って、どうやれば分かっちゃうの?」
「さあ?」
「さあ……って」
「なにぶん、こちらの世界でサービスが提供されるのは今回、初めてなので……あ、でもやっぱりちゃんとチェックされるみたいですね。皆様の名前がちゃんと出てきました」
「何故! どうして?」
信じられない。理屈が合わない。訳わかんない。
「どうしてでしょうねぇ……こちらの住民基本台帳と連動しているのではないでしょうか?」
そんな馬鹿な……一体、何時、誰が、何のために、そんな面倒くさいシステムをわざわざ組んでるんだよ。
「運営はヒマですからねぇ……他にやることが無くって、将来こちらの世界でもサービスを提供する時のことを考えて準備しているのでしょうかねぇ?」
何だよそれ。そんな可能性、露ほども無いんじゃない? ……ってまぁ、ボクらのことは例外として置いといて。それにしても、よっぽどヒマなんだな。
「さ、アカウント登録も完了したことですし、そろそろゲームスタートしましょうか!」
「あ、アヤちゃんちょっとタンマ」
浅見さん再び。
「どうされました? 浅見さん」
「私らのアバターはどうなんのさー? キャラクターメイキングはしないの?」
「あ、そのことですか――」
そうだ忘れていた。そうだよな、先ずは職業とか外見設定をしないと。リセットとかできるのかな? 常識だよね、テンプレだよね。
「――いえいえ。私たちが使えるのは『カーボンコピーモード』だけです。つまりキャラクターメイクは無しという訳ですね! ゲームの中でもご本人の外見が適用されるという訳で……」
「ちょっと待った!? 名前も本名、見た目も本人で、それじゃゲームの意味ないじゃないか!」
「ライトエディションですから!」
またそれかよ。
「では行きます! ゲームスタート!」
ボクらの突っ込みをまるで無視したアヤメの声が合図だった。
視界が溶け出し、耳が遠くなる。視覚や聴覚だけではない、まるで気が遠くなるかのように五感すべてのインフォメーションが希薄になっていく。きっとリアルからバーチャルへと移り変わるプロセスだ。
と、その時。ボクはとんでもないことに思い当たった。
「おいアヤメ!? さっき『本人の外見が適用される』って言ったよね! ならボクはどうなるのさ? 本来の姿……男の状態でゲームの中に出没するってこと!? ちょ、ちょっとタンマ!」
大慌てで叫ぶけれど、精神から切り離されつつあるボクの肉体は既にコントロールは利かず、その叫びが実際に声として発せられることは無かった――
テンプレ展開にはしないつもりですが、何しろ超人気ジャンルをパロってますので、有名作品と派手にネタかぶりしているかもしれません。そんなところも含めて生暖かく見守っていただければ、と思います。




