[08]白梅女学院、そこは乙女の集う学び舎
「はーい。皆さん、お早うございますぅ。今日はとても、嬉しいお話があるんですよぉーっ。じ・つ・は! 皆さんに新しいクラスメイトが加わることになったんです! パチパチパチ。しかも、なんと二人も! さぁ、入って入って!」
女子高の教員とは、こういうものなのだろうか。妙に親しみを演出するというか、お友達モード全開で生徒に接しているんだ。それは、この閉鎖社会で生き残るための知恵? それともこの先生、素でこれなのか……まぁ、どっちでもいい。
ボクとしては無関心を装うだけ。そっちからボクの方にあまり干渉してこなければ、そんなもんだと受け入れるだけさ……あはははは……はぁぁ。
――そんなことをまるで他人事の様に考えながら、ボクは教室に入る。
ゆっくりと一歩一歩、確かめるように。少し長めのスカート、その裾が乱れないように気をつけて。足を前に出す度に感じるペチコートの感触。違和感の塊。
緊張のあまり目の前は真っ白。黒板の前を進む足取りも、自分のものじゃないように思えてしまう。まるでボクの体から離れた魂が、ボク自身を後方視点から眺めているような感覚だ。
『きゃぁぁぁっ!!』
それまでザワザワしていた教室のあちこちから、黄色い歓声が聞こえてきた。
「はーい、皆さーん。お静かにーっ。はーいっっ。えーと、まずこちらの子。皆さん、名前は御存じかと思いますけど、『果無美彌子』さんですっ。さぁ、果無さん。黒板にお名前を書いて、皆さんに御挨拶をしてねーっ」
ボクはチョークを手に取ると、黒板に向かう。そしてボケっとした頭で考える――黒板に字を書くのって苦手なんだよな――なんてことを。
予想通り黒板に書かれたのは、ちょっと斜めった名前。しかも上下に並んでいるのは比較的流暢な“果無”と、明らかに書き慣れていない“美彌子”の字。それだけじゃない。その上、“美”と“子”に比べて、やたら大きな“彌”の字……間抜けだ、間抜けすぎる……。
そうだよ! 何で『ミヤコ』の字を『都』じゃなくて、やたら難しい漢字の『美彌子』で当ててんのさ!?
「……えっと、果無美彌子です……よろしく……」
『きゃああ!』
『まるでどっかの王女様みたいよ!』
『なんか、ちょっとクール!』
再び歓声と私語の嵐。
クール? このボクが?? 冗談? 冷やかされてる?
「はーい、果無さん。ずっと御病気で休学されていたのですがー、このたび無事回復されて、皆さまと合流することができましたー。はい、拍手ーっ!」
教室を埋め尽くすパチパチという歓待の嵐が耳に痛い……ああ、いつかボクの正体がバレた時、これが憎悪の嵐に変わるのだろうか……。
「そしてもう一方、こちらも凄いですよぉ! 海外からの帰国子女!! 本校に転入してこられた、『紫野菖蒲』さんですっ! はい、紫野さん!!」
そうなんだ――あの少女。突然ボクの前に現れて、ボクの心をかき乱し、この意味不明な状況に陥れた張本人――彼女の名前が“アヤメ”だって知ったのは、土曜日に付き合わされた買い物の途中でのことだった。まぁ、ボク自身のことで精一杯で、彼女自身のことを聞き出す余裕すらなかったって、言い訳させてくれ。
もちろん“菖蒲”という漢字は当然のことながら当て字だ。でも、“シノ”という苗字の方も嘘では無く、自身のファミリーネームにほぼ準拠してるって言ってたし、結構、日本語の語感に近い言語らしい。
であれば、ボクがちっちゃい頃、向こうの世界で彼らの言葉をただの方言だと感じたのも、さもありなん、ということだよね……って、いかんいかん。アヤメの与太話を真に受けちゃ駄目だ。
さて、そのアヤメちゃん。ボクと同じように自分の名前を黒板に書きだす。物凄い下手な字で、しかもカタカナ。なんか、カオス関数が描き出すフラクタル曲線の様な、絶妙かつ微妙なカーブでプルプルと。
なんとか“シノアヤメ”と書き終わると、皆の方に向き直り、ペコリとお辞儀。
「シノ、アヤメです。えっと……ついこの間こっちにやって来たばかりで、実はまだ、習慣も、言葉も良く判らなくて、とっても思考錯誤だったりします。いろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくオネガイです」
あれ?……ちょっと日本語変だぞ。ボクと話している時は普通なんだけど……帰国子女を演じているのか、それとも緊張で頭が真っ白になっているのか……後でネチネチと問いただしてやろう。
『わーっ、カワイイ』
『お人形さんみたいー』
『帰国子女だってー、ちょっと憧れるー』
『帰国子女っていうイメージと違ってカノジョ、何か和風だよねー』
おお、彼女もずいぶんと好評みたい。確かに、結構可愛いもんね。そんなことをぼんやりと考えていた時、教室の片隅からひときわ大きな声が飛び込んでくる。
「ねぇーっ、紫野さんーっ。何処から来たの? アメリカーっ?」
お約束だね。さぁ、どう答えるアヤメさん?――と、ボクは彼女に視線を寄せる。
「ええっと……ヨーロッパの方です……まぁ、小さな国なんです。皆さん、御存じない様な」
「うわーっ、ヨーロッパ! 素敵!! じゃぁ、何か喋ってみて? お願い!」
なるほど、“ヨーロッパから”ではなく“ヨーロッパの『方』から”ですか。完全な嘘では無いという奴で、上手いこと誤魔化したようだ。しかし彼女、何か喋ってみてというリクエストを受けて、ちょっと思索するような顔。さぁ、どう切り返すか。
そんな風に考えていた、その直後のことだった――
「ごほん……エク ヘムピーギ アヤメ ファーリン フォル ヤポネ エファー クーヌング ドッタ シン ファーダ レット ヒャルピ ヘナ パ ランディ!」
彼女は瑞々しい声で異国の言葉――いや、多分異世界の言葉を朗々と紡ぎ出す。シンとなる教室。所々で『え、これ英語じゃ無いよね?』『うん。全然聞いたことの無い言葉……』なんていうひそひそ声が交わされる。
「えっと……今の、“父の仕事上の都合で日本に来ました”って意味です!」
もう一度、ペコリとお辞儀すると照れくさそうな表情。再び教室は拍手に包まれる。
「はーい。では自己紹介は終わりー。皆さーん、仲良くしてくださいねー。じゃあ、果無さん。果無さんの席は後ろの方になっちゃっててゴメンナサイなんだけど、ずっと空けていたから。紫野さんの席は、その隣」
ボクらは好奇の目が集まる中をかいくぐり、教室の後方へと歩き出す。
職員室で聞いた説明だと、今日まで“果無美彌子”なる存在しない人物のためにずっと空席が用意されていたらしい。まぁ、“開かずの間”というか“開かずの席”みたいな感じだろうか。このクラスの子達、ずっと不思議に思っていたんだろうな。
でも机に花束が飾られていたり、落書きがかかれていたり、あるいは机の中にゴミが詰め込まれていたりとか、そんな卑しい行為が行われていなかったというのは、さすがは品行方正、お上品なお嬢様学校ということだろうか。
「じゃあ1時間目、国語でーす。教科書の83ページ目からー……」
ボクとアヤメは机をくっつけて、新調した教科書とまっさらなノートを開く。授業に付いていけるようになるまで、そうやって二人一組で授業を聞いていい、ということだった。
ボクはインクの匂いも新しい教科書をめくる――その時、肩を寄せ合うように座っていたアヤメはこちらの方に身を乗り出し、小声で話しかけてくる。
「さっきのあれ……ワタシの国の言葉、『仕事上の都合で日本に来ました』っていうのは、本当はちょっと違うんですよ?」
「……?」
「正確には、『姫様をお助けするため日本に来ました』って言う意味なんです。こ・れ・は、姫様と、ワタシの、二人だけの秘密、ですよ?」
「!?」
――彼女のその言葉に、少しだけ、心臓がドキリと音を立てた。