[74]津島さんのポエム再び(しかもイラスト付き!?)
「津島さんの様子どうだった?」
「まるっきり駄目。重症だわ……」
例の一件があった翌日。たまたまトイレで出会った浅見さんに連れられ、ボクとアヤメは廊下の端っこで今日の出来事を聞かされていた。
「さっき見かけた時は、いつも通りのようだったけど?」
「表面上はねー。でも酷いもんでねー。あの子、元々男に免疫が無かったけど悪化しちゃったみたい。相当なトラウマになってるっぽいわ、ありゃ」
何故だろう、この話を聞くと担任の五味先生のことを思い出す。あの先生のように拗らせちゃったら、確かに洒落になってないような気が。浅見さんは続ける。
「聞いて聞いて、歴史の時間ね? 深央ったら教科書に何か書いてるのよー。何やってるのかなー、って見ると男が描いてある挿絵を全部塗りつぶそうとしているの。『男消えろー男消えろー』ってぶつくさ独り言いいながら」
「うわぁ」
「授業でセーラー服が元々、水兵さんの服だって話が出た時なんて、いきなり『男の服はやだー』って喚きだして、脱ぎ始めたのよ」
「ええっ!」
「いくらなんでも限度があるっしょー」
ボクとアヤメは目を見合わせた。津島さん、極端な人だとは思っていたけどまさかそこまでとは。
「でねー、美彌子っち? お願いがあるんだけど」
「え、ボク?」
「深央のトラウマを取り除くのに協力して欲しいんだー」
「どういうこと?」
御指名? 津島さんにボクができることなんて無いと思うのだけど。
「ほら、この間やってくれた男の子の姿……あの姿で深央に近付いて欲しいんだー。男に馴れさせたいの」
「なるほど。いやいや、でも、どしてボクが? あ、言っとくけど男モードのことは津島さんには内緒ね? 面倒臭いから」
「もちろん。美彌子っちの秘密は、深央に知られちゃ駄目だから」
「う、うん」
一応、その辺の思惑は一致しているみたいで一安心。だけど、それなら尚更、どうしてボクじゃ無ければならないのだろう。こだわる理由が見つからない。
「とにかく美彌子っちじゃなきゃ駄目なの。理由はいくつかあるんだけどさー」
「?」
「まあ、男モードの美彌子っちが男っぽくないから深央の警戒レベルが低そうとか、素が女だから安心だってのはあるけどねー。ほら、万が一にでも本物の男が深央とくっ付いちゃったりすると私がムキーってなるじゃん?」
「しくしく……」
「泣かないでー美彌子っち。でさ? 一番の理由はね?」
浅見さんは周囲にボクら以外誰もいないことを確認すると、小声で魔法の呪文を唱えた。ポンと小さな光が弾けた後、彼女の手には一冊のノートがあった。
「それなに?」
「深央の厨二ノート」
「……は?」
どうやら魔法で召喚したらしい。表紙には『みおのアンダンテのーと』とか『みちゃだめ』とか――なにか乙女ちっくなことがパステル色のペンで書かれている。
「ちょっと見てくれるー?」
「いいの? 津島さんの創作ノートっぽいけど。『みちゃだめ』って書いてあるよ?」
「いいからいいから」
「うーん……ちょっと気が引けるけど」
それを渡されたボクはパラパラとページをめくった。肩を寄せ覗き込むアヤメ。
「なになに……『私は紫陽花が好き。青、水色、白、紫。しとしと雨の中、水玉は七色模様。それは君が大切にしている色? それとも恋の色? 私の心は何色なのかな……』……」
「ほうほう。ポエムですね」
鼻の奥から背中にかけて駆け抜けるゾワゾワしたこの感覚。久しぶり。あの、超甘ったるいクリームを舌の上で転がした時と同じ身体の反応だ。
「――あ、そこじゃないよー。もっと後のページ」
浅見さんが訂正。ボクは、それとおぼしきページを開く。
「…………」
「…………」
「ねえ、アヤメ?」
「はい、姫様」
「これ、何書いてあるの?」
「さあ、何の絵でしょう?」
津島さん。絵はとっても下手。音楽から勉強からスポーツまで、万能スペックを持つ彼女の、唯一の弱点と言えるかもしれない。
しかも不思議なことに、本人にその自覚が無い。やることなすこと完璧すぎるせいで、客観的な自己評価という能力が欠如していることがその理由なんじゃないかって、浅見さんは言っていた。
ノートに書き殴られた――いや、むしろ本人の意図としては丁寧に書いたつもりの線なのだろう。だけれども、逆にそのせいでグチャグチャとなってしまった鉛筆画。シャープペンシルの筆跡と消された跡のモザイク。遺跡から発掘された書簡の断片を解読する考古学者の気持ちはこんなんだろうかと想像しながら、ボクはアヤメと共にその絵が指し示したかったものを探した。
「人間が二人……かな?」
「片方の人が、もう片方を……刺そうとしてます!?」
「な、なんて犯罪的な!」
ミステリーの一コマ? それともまさか津島さん、殺人衝動を密かに抱いているとか!? そ、そんな馬鹿な。
「……いやいや、ちょっと違うような」
「違いますか?」
「うーん、何か手渡そうとしている……のかな? 何だろう」
「まさかヤバいブツの売買ですか姫様!?」
「マジすか! ヤバい売人の取引を描いたノワールちっくな作品!」
あああっ、津島さんのイメージとのギャップが。
「でもやっぱり、ちょっと違いますかねぇ。片方はワンピースだから女の人でしょうか?」
「そっか。渡しているのは、お財布? 本? ……あ!」
「どうされました、姫様?」
「これってまさか……生徒手帳?」
「ようやく気付いたー?」
浅見さんは苦笑いで頷きながら、その下の文字を指し示す。ポエムだった。
『
彼ははにかみながらそっと手渡す
凛とした穏やかで柔らかい声
彼はじっと見つめる
こんな私の泣きそうな顔
だめよ、そんなに見つめないで
ああ、今すぐ逃げ出したい
おっちょこちょいで、だめな私
でも彼の瞳から逃げられない
吸い込まれるような藍色の瞳
こんな私でいいのかしら――
』
「ああああっ……!」
ま、まさか!
「そうなのよー、美彌子っち。週末にこんなシチュエーション、あったでしょ?」
「そんなまさか!? ボクが生徒手帳を渡そうとした時の?」
「それ以外に何があるってー」
「かなりフィクションが入ってるよ! それに『今すぐ逃げ出したい』って、実際は速攻で逃げ出したじゃないか!」
そもそも、そのせいで肝心の生徒手帳も渡せてなかったし。
「まあ、それはそれだけどさー。こんな絵つきのポエムを残すくらいよー? きっと、何か感じることがあったのよー」
「え? ……感じることって? 超嫌われた印象しか無いんだけど」
「あーっ、美彌子っちったら鈍感! 美彌子っちって時々、ちょっと男の子っぽいってゆーか、そんなことろあるよねー。乙女心よ! お・と・め・ご・こ・ろ!」
「そんなところも姫様の魅力的なところですが!!」
「はい?」
浅見さんとアヤメ、チラリと視線を絡ませてから、何やら意味ありげな表情をこちらに向けてくる。しばしの沈黙の後、口を開いたのは浅見さんの方だった。
「そう。いわゆる『王子様症候群』ってやつ? だからさー」
まさかおい!? 男モードのボクが白馬の王子様ってか……何の冗談だよ。
「つまり……ボクが男モードで津島さんに近付いて彼女の心を解きほぐすとか、まさかそんな少女漫画的シチュエーションを期待しているんじゃないよね?」
「あ、美彌子っち。わかってんじゃん」
「無理無理! ボクが演技とか苦手なのは知っているでしょ? どんな顔して津島さんの前に出るんだよ!」
「おねがいー 白馬の王子様が目の前に現れれば、いくら深央だって」
「だから!」
ボクの手を握りしめ瞳をキラキラさせる浅見さん。きっと彼女の脳内には、乙女ちっくな表情を湛えた津島さんが涙を浮かべ感極まっている光景が展開されているのだろう。そして押しの一言。
「美彌子っちだけが頼りなのー……」
「ぐぬぬ……」
ボクは押しにとても弱かった。美少女相手なら尚更だ。




